2014年09月09日

毎日新聞は南朝鮮大使の訪問を特別扱いする偏向メディア

毎日新聞という新聞の不可思議な動向を確認したので、転載して批判することにします。

毎日新聞は、一応ほぼ日本全国に販売網を持つ、通常「全国紙」と呼ばれる新聞です。なぜ、日本語で日本国民を対象とし日本全国向けに配信するメディアが、たったの1カ国の大使のみと握手した写真を載せたり、まだ一単位も仕事をしていない、その国の「大使」の話を聞いて記事をつくったりすることができるのか、全く理解に苦しみます。

いったいぜんたい、世界のどこの新聞が、世界各国からあまたの大使が日本にやってきて着任しているのに、たったの1カ国の大使だけを特別扱いして、社長がでしゃばってきて写真をとったり、まだろくに仕事をやっていない「大使」に好きに意見を言わせるでしょうか。公正な視点を欠いていますね。世界の諸国民とその代表者を公正に対等に扱うべきです。とりわけ、毎日新聞の社長と握手しているこの人物が、未だろくに仕事をやっていない点に注意しましょう。実績はゼロなのです。要するに、彼が口先だけで何を言おうが論評に値しないのです。そういう論評に値しないものを、なぜ、新聞が紹介してやる必要があるんでしょうか。

確かな「行為」によって、日本国民、日本政府との関係改善のために具体的な努力を示し、それを評価可能になった時点で、言いたいことを言わせるべきでしょう。暴力だけを背景に文字通り侵略している竹島についても、日本国民に対して説得的な説明をすべきである。そもそも、その程度の言論を展開できないならば、それは、自分たちの野蛮な暴力をただ単に肯定し、日本国民に対して、不当に自国の立場を一方的に押しつけようとする「代理人」だと言われても仕方ないでしょう。日本の被災地を公人として訪問するのは勝手であり、別に評価に値しないでしょう。むしろ、公人ではなく何の役職もない一外国人として、そういう訪問をするならば評価できるかもしれない。だが、この人物は、南朝鮮の利害を代表する人物です。竹島について何らの説明もしない、できない。南朝鮮の戦時売春婦をかついだ捏造と現代日本国民に対する差別の釈明もしない、できない。そのくせ、日本の被災地を訪問して日本国民の機嫌を取ろうとし、自分に善意があるかのように偽装する。そのやり方は、全く卑劣としか言いようがないですね。

GHQのscapin-33 にいまだにしたがい、主権者としての日本国民を尊重することをしない。日本の国土を尊重するという紙面がつくれない。GHQのプレスコードそのままに、いまだにシナと朝鮮を特別扱いしようとしているマスゴミは、日本にほとんど不要といっていいでしょう。少なくとも現代のメディアならば、政治と報道を切り離してもらいたいものです。日本政府の批判をするだけでなく、同じ「政府」なんですから、シナや南北朝鮮の「政府」も徹底的に批判すべきでしょう。日本国民=主権者の視点を基礎とし、さまざまな事実に精通した上で、自国の「政府」も諸外国の「政府」も批判する。いやしくも新聞ならば、当然、そういう使命があるのではないでしょうか。権力そのものである特定の一外国の「大使」に、しかも仕事をやっていない段階でPRさせるなどということは、まともなメディアのすることではありません。


<柳駐日韓国大使>「関係改善に努力」 本社社長と会見 

毎日新聞 9月9日(火)20時16分配信

  8月に着任した韓国の柳興洙(ユ・フンス)駐日大使が9日、毎日新聞東京本社を訪問し、朝比奈豊社長らと会見した。柳大使は現在の厳しい日韓関係を念頭 に「難しい時期に着任することになり、重い責任を感じている。日韓関係が今よりも良くなるよう一生懸命努力したい」と抱負を述べた。

 さらに、柳大使は関係改善に向けたメディアの役割の重要性にも言及しながら「問題はいつの時代にもあるものだ。それを乗り越えていかなければならない」と強調した。

 警察官僚出身の柳大使は、2004年まで国会議員を計4期務め、韓日議員連盟幹事長などを歴任。8月31日の初の地方視察では、広島土砂災害の避難所を訪ね、被災者を慰労した。【米村耕一】





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2014年09月06日

「みなし契約」で受信料を強制徴収しつづけるNHK

放送法64条の法律成立過程を研究している論文が、「放送文化研究所」というNHK関連団体の職員によって、公表されていることを知りました。放送法の中でとりわけ問題となっている64条について、何かの参考になるかもしれないと思いましたので、説明することにします。戦後65年も、まともに改正されてこなかった64条の本質的な問題が何かが、当時の法の作成過程に現れているように見えます。

「放送法」は、昭和24年(1949)にGHQの占領下で議論され、発効したものですが、素案段階では、現行の文面とは、かなり異なっています。

放送法64条に関しては、法案の作成過程で、「契約」という文言をどのように入れるかが、大きな問題となっていたのです。これは、以下を見れば分かります。

(1)昭和24年8月13日段階
受信契約および受信料:
「受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約を締結したものとみなす


(2)昭和24年8月27日(最終=現行)
「受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない

(1)の段階では、「みなしの契約」というものを埋め込もうと画策していたことが分かります。これでは大きな問題が起こるだろうと法案製作関係者は考えたのでしょう。契約の文言を残し、「しなければならない」と義務化する文章にすりかえたのです。

しかし、この義務の違反に対する罰則は設けられないで現在に至っていることを考えるならば、「みなしの契約」の精神が、いまだに残っていることが理解されます。要するに、NHKは、テレビを所有し設置している世帯を、「契約を締結したものとみなし」一方的に集金できると、契約の自由という国民に保障された権利を侵害して、一方的に国民の資産を掠奪しているという解釈が可能なのです。

実は、この昭和24年に放送法作成に関わった人物の記録も残っています。荘宏という人物ですが、彼は、1963年の著書の中で、以下のように述べている。

「この制度の下においては、名は契約であっても、受信者は単に金をとられるという受身の状態に立たされ、自由な契約によって、金を払うがサービスについても注文をつけるという心理状態からは遠く離れ、NHKとしても完全な特権的・徴税的な心理になりがちである」

荘宏 『放送制度のために』(日本放送協会) 1963年、P.258
驚くべきことですが、放送法の制定から65年経過した今でも、また、この本が書かれた半世紀以上たった今においても、この荘という放送法に関わった人物の憂慮は、まったくそのまま国民とNHKに当てはまるものでしょう。

国民は不当に受身な状態に置かれ、契約の自由を無視しているNHKは一方的に徴税的な心理で、「集金」しても問題ないという最低なモラルを押し通しています。これは、放送法をつくる段階で見通されていたことなのです。その背後には、「みなしの契約」という姑息な方法が隠れていたということです。元の案では、みなしの契約でしかないものを、現行の案のように、「契約をしなければならない」となったことによって、NHKは、国民の契約の自由を無視して、ひたすら徴税人のように集金できると勘違いしたまま、2014年を迎えているのです。国民の財産を侵害する重大な案件だと考えています。結論としては、以下が言えると思います。

放送法64条は、契約の義務化をうたう文面を廃止し、みなし契約と解釈可能な文言も慎重に排除して、「契約の自由」という国民の本来持つべき権利にもとづいて、すべてを書き換える必要があると考えます。

以上述べたことの資料は、以下の「放送研究と調査」という雑誌の号で紹介されています。ご関心がありましたら、内容をご確認ください。

「放送研究と調査」2014年5月号, p.32-47
論文名:放送法・受信料関連規定の成立過程〜占領期の資料分析から〜



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2014年09月02日

東京新聞 デスクメモ


東京新聞のミニコミ記事をとりあげましょう。 2014年8月29日朝刊の、「こちら特報部」なる記事の右下に、ゲリラ的に置かれた140字程度の記事です。まったく、ひどいとしか言いようのないミニコミ記事です。


<デスクメモ>
例えば、ホロコースト記念館が日本国内に建設されても、ドイツ人は怒るまい。ホ ロコーストが「世界の記憶」であることを十二分に理解しているからだ。翻って慰安婦問題はどうか。2008年の国連自由権規約委員会の対日審査で、委員の 一人は「慰安婦は世界の記憶」と発言した。そういうことなのだ(圭)


140829_tokyo_chokan.JPG
国連自由権規約委員会=United Nations Human Rights Committee


さて、これをお読みになった方は、強い違和感をお持ちにならなかったでしょうか。一般の日本国民は、おそらく強い違和感を持つでしょう。2014年8月5日に、朝日新聞において、自分の紙面で過去に事実であるかのように報道した戦時売春婦の証言を否定し、一部の朝鮮出身の売春婦の強制性を数十年ぶりで修正した後だからです。朝日新聞が自称する「検証」は、まったく十分ではないものですが、史料で一切裏付けすることのできない、売春婦の大量の強制徴用などということは、事実であるはずがありません。

このデスクメモが、なぜ異常なのか、なぜ違和感を読者に与えるのかの分析に移りましょう。それは、比喩の不適切な使用からきています。マスゴミは、この手の稚拙なレトリックを用いてきます。通常、比喩でならべる2つの事柄には、事実において確かに、「似ている」と思わせる多くの要素が必要なのです。しかし、このミニコミ記事には、まったく事実において似ていない2つの事柄をならべて、強引に比喩化しているのです。つまり、「ホ ロコースト=世界の記憶」と「戦時売春婦=世界の記憶」を、比喩でしかないのに、全く同じ関係にあるように見せかけ、ホロコーストの問題と戦時売春婦の問 題を同じ問題として認識すべきであるかのようにプロパガンダ化するのです。実際は、どうでしょうか?

「ホロコースト=戦時売春婦」などという定式化は不可能です。大量虐殺が記録 として残っているホロコーストと、一人も命を奪われた形跡のない戦時売春婦のケースは、極端に違いすぎる事象と言えます。そして、事実関係を自分自身で探 求し、議論することをさぼり、比喩の不適格な使用によって、他人を説得できるかのように完全に勘違いする。

「翻って」というフレーズに注意してください。翻る必要は全くありません。彼は、ホロコーストだけ を論じればよかったはずです。あるいは、読者に対して、ナチスのホロコーストとは全く別の事柄だと断った上で、戦時売春婦について言及すればよかったはずです。しかし、彼はそれをせず、不適切な比喩で、ホロコーストと戦時売春婦を同等の事柄であるかのように見せようとした。この手の不適格な比喩を持ち出すときの、枕詞が「翻って」というフレーズなのです。良識を持った一般国民を対象に、日本語で情報発信しようとするまともな新聞ならば、どういう情報を発信すべきか。言い換えてみましょう。


<< まともな新聞が日本語で日本国民に向けてすべき主張>> 

例えば、ホロコースト記念館を日本国内に建設するなどという案は、現時点では全く現実的ではないが、もしそのような施設の建設に、将来的に日本国内で関心が持たれた としても、ホロコーストの犠牲者となった多くの人々を尊重し、その子孫の感情に配慮したうえで、最大限慎重に検討・判断すべき事柄だろう。現代のドイツ国民との関係、現代のドイツ政府との 外交関係にも配慮する必要があろう。

仮に一般のドイツ国民に対してアンケートをとり、「日本でホロコースト記念館を建設することに反対か?」 と問い、90%のドイツ国民が反対ではないと表明したとしても、そのことによって、ホロコースト記念館を日本に建設して問題ないという判断にはつながらない。なぜなら、ホロコーストは世界の記憶である以前に、ユダヤ人の記憶であり、ドイツに戦争中に迫害された諸国民の記憶であり、その子孫の記憶である。誰にも頼まれていないのに、勝手に、その「他者」の記憶に同一化し、日本の人々がわがもの顔で、その記憶を取り上げ、自分勝手に恣意的に解釈して「世界の記憶」だなどと建造物を建ててはならない。

このホロコーストと、戦時売春婦の問題は、完全に別物である。 ホロコーストは史料に基づいて、計画的な多数の人間の虐殺が裏付けられている。これに対して、戦後に南朝鮮に国籍が変わった戦時売春婦は、当時、日本国民 と同じ権利主体として、日本の公民(国民)であり、法にもとづいて、生命・自由・財産を守られていた人々である。その証拠に、彼女たちが、別の法にもとづいて扱われ、殺されたという例は、史料に一つも残っていない。

戦時売春婦を国連のマイナーな委員会が取り上げているのは、100%南朝鮮政府と関連団体のプロパガンダに端を発するものである。戦前の日本の行 政や法を理解するために必要な日本語の史料の読解力を持たない国連のマイナーな委員会の人々が、プロパガンダに動かされて、発言しているにすぎない。そういうことなのだ。(円)


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2014年08月27日

公娼制度と白人奴隷取引(White slave traffic)white slavery

明治維新以後、日本には「公娼制度」というものがありました。見慣れない言葉ですが、公娼制度(こうしょうせいど)とは、売春を公認業務として一定の条件のもとに営業を認め、行政(主に警察)が管理する制度です。日本には江戸時代から花街がありました。花街は、ひたすら売春だけを業務とする店舗の集合体ではなく、「三業地」として、料亭、待合、芸妓屋の三つから構成されるものでした。これらの中の、芸妓屋に、娼妓(しょうぎ)と芸妓(げいぎ)の二種類が存在し、「娼妓」が売春をサービスとして提供する女性に相当します。これを、まったく制度的な基礎がないまま、明治以降も続けていたわけではありません。明治以降は、ヨーロッパ諸国の公衆衛生の法制度を参考にして、近代的な法にもとづいて、花街を合法的に運用していたのです。三業地は警察の許可を得て、三業組合を組織していました。あくまで法に基づいた行政の管理下の公衆衛生の中の一部として、この「公娼制度」があり、そのもとに売春を運用していたということになるでしょう。あくまで、日本国民向け、日本国内向けの公衆衛生に関わる法のもとに、公娼制度が運用されていたというこ とです。

朝鮮人慰安婦というのも、単なる公娼です。戦前に「日本国民」として、他の日本国民と同等の諸権利をまもられていた朝鮮出身の人々です。戦前の日本政府は、他の欧米諸国とは異なり、台湾や朝鮮半島や満州において、日本の国内法と別に、植民地専用の法をつくりもしていないし、運用もしていないのです。これは非常に重要な点です。日本が支配していた海外の地域において、現地の人々は、差別された別の法に服していたわけではない。これに対して、欧米の「植民地」の人々は、治安維持や政治犯を拘束する目的を持った、本国とは全く別の差別された法律に服していたのです。その差別された法によって、自由や財産を略奪されるだけでなく、生命までを脅かされていたのです。東インド会社以来の、植民地における人種差別の法体系が平然と残り、かつ、運用されていたのです。朝鮮人売春婦に戻るならば、この人々は、日本列島の日本人と同じ法の下に諸権利を守られていた人々であり、生命を守られ、自由と財産を保障され、公娼制度をベースとして、貧しい親の強い意向や自身の意思によって売春を合法的に営業していたにすぎないのです。公娼に対して「私娼」という言葉もありますが、これは今回とりあげません。

これに対して、アメリカでは、国内はもとより、戦闘地へ持ちこむ、公衆衛生の法の一部としての公娼制度が戦前から存在しませんでした。アメリカはヨーロッパの制度を参考に、それを確立しようとした時期もあったようですが、婦人運動が激しく起こり公娼制度を整備する ことができなかったのです。その結果、終戦後の各地での度重なる日本女性への強姦行為が発生しました。それだけでなく、アメリカは公衆衛生にもとづく公娼制度を 全く持っていなかったので、悪質なことに、日本国民向けの日本の公娼制度を、自分たちに一方的に用いるということを画策したふしがあります。その例が、小町園という施設です。しかも、アメリカが小町園をはじめとする公娼施設を使うのは、終戦 (※)後、まだ昭和20年9月2日の停戦協定が結ばれる前にはじめられたのです。つまり、「戦闘状態」の中で、数多くの強姦を繰り返しただけでなく、日本の公娼制度を元に、日本の多くの女性の権利を侵害したということです。これがいかに野蛮な行為であるかを理解する必要があります。昭和20年8月15日以降の公文書の中には、アメリカから姦淫目的の公的な施設をつくるよう打診する内容の文書が確実に存在するはずです。

(※) 「終戦」は天皇陛下が戦闘停止を国民に命じたものであり、昭和20年8月15日の時点では、まだ国際関係上、停戦も発効していません。停戦が9月2日に発効する前に、 日本政府側が売春施設を用意する動きが進行していたということは、アメリカが一方的に「戦闘」をこの分野で継続し、戦地(=日本)での一方的かつ集団的な女性の姦淫を計画し、それを、当時の東久邇内閣が幇助していたという解釈が可能になります。


実は、戦前、昭和6年に、国際連盟の売春調査使節として、バスコム・ジョンソン Bascom Johnson という人物が日本に来たときの新聞を参照することができます。白人奴隷取引White slave traffic という人身売買が、19世紀からアメリカでは問題になっていました。彼は、白人奴隷取引White slave traffic 反対者であり、公衆衛生の中から公娼制度を抜き取る立場の人物ですが、日本の公娼制度=白人奴隷取引とみなして、それをやめさ せる目的で来ていたのです。この記事を読むと、白人奴隷取引White slave trarfficという言い方をやめさせて、「婦人児童買春問題」と言い換える提案をしたのが、当時の国際連盟の日本代表らしいといことも分かります。 「白人」に人種差別を読み取ってやめさせたのでしょう。

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以上、日本の公娼制度と、公娼制度を戦前から持たなかったアメリカの、戦地での女性に対する権利侵害について簡単に確認しました。この長い一連の因果関係を辿るならば、アメリカの一部の女性たちが戦前に自分たちの権利を主張しアメリカ国内および戦地での公娼制度を封じたことが、終戦直後の数多くの日本女性の権利の一方的な侵害に結びついただけでなく、さらに、ベトナムをはじめアメリカが関係した戦闘地における、多くの諸国民の女性の権利の一方的な侵害に結 びついたのです。これは、21世紀にも解決していない問題として存在するものです。

アメリカでは、「白人奴隷取引White slave traffic」は、歴史上の汚点のように認識され、また、彼らの歴史問題として認識されています。従軍慰安婦の問題や、こ の終戦直後の日本での野蛮な行為の数々は、この「白人奴隷取引White slave traffic」と関係付けて情報発信する必要があるでしょう。そうすれば、日本語だけでなく、英語や諸外国語による、より多様な議論が可能になるでしょう。
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2014年08月14日

朝日新聞の『慰安婦問題総括』を読んで思うこと

平成26年8月5日の朝日新聞で、慰安婦問題総括が掲載されたようです。電子版で円猿も読んだ一人です。この総括を批判することも、評価することも可能だと思いますが、ジャーナリストとして当然自分の言論に責任を負うべき、ある人物の反応を見ましょう。

田原総一朗氏という人物は、「いささか残念に思った」 などという曖昧な回答をしているようです。他人事のような感想と言えるでしょう。彼は単なる戦前の売春婦でしかない人々を、「従軍慰安婦」などという特殊な被害者であるかのように見立てて世論を操作した人物 の一人であり、この間、「軍の関与」などということも、頻繁に口にしていた。改めて、この人物が司会をしているお気楽な戦時売春婦の、討論というか座談を 見ることが有用かもしれません。日本国民が共有すべき事実に基づかない完全に誤った認識に立って平然と話をする人々の姿に、驚くほかないでしょう。善人ぶって、日本の国の内外で活動する現代の日本国民に精神的苦痛と物理的な損害を与え続けてきた彼らには、2014年の今、「現代日本国民の尊厳を守る、未来の日本国民の尊厳を守る」というテーマで、より緊張感のある座談を行ってもらいたいものです。


今の時代に戻ると、この田原という人物は、「私は、もっと前に誤りを認めて訂正していたものとばかり考えていた。それがここまで延びたのは、報道機関にとって記事の撤回がいかに困難な作業かを示しているのだろう。」  などと話している。赤字の部分に注目してください。良識のかけらもない感想と言うべきでしょう。いやしくも、ジャーナリストを自称する人物ならば、このように述べるべきところでしょう。すなわち、「報道機関としては、事実に即した報道を徹底するのが基本で、日々の業務の全ての点においてそうでなければならない。日本語で日本国民に向けて発信する以上、国民の利益に配慮し、誤りをすみやかに修正できるように常に全社的に対応の準備を整え、また、誤りの修正を困難な作業にしないよう、図らなければならない。」と。

田原は、想像力が乏しい人物のようで、この点に関する国民の批判は、「朝日新聞はだらしない、官僚的だ」などという曖昧なものだろうと想像している。完全な勘違いです。国民の批判はもっと具体的に起きてくるはずです。そんな曖昧な批判では済まされないでしょう。事実を事実として伝えるという報道機関として最も重要な作業をさぼっていた新聞社に対 して、購読者から損害賠償が起きる可能性もあるでしょうし、大口の広告主が撤退して二度と戻らない可能性もあるでしょう。現代の日本国民の尊厳、生命・自 由・財産を一方的にきずつけて20年以上も平気で営利活動をやり続けてきたということに対して、組織の社会的な意義を根本的に疑問視する動きが加速し、組織の解体を強く推進すべきという世論が高まり、一般国民が原告の裁判が幾つ起きてもおかしくない。

さらに、このジャーナリストなどを自称する人物の、無責任な発言に対しても強く非難する必要があるでしょう。田原は、自分が現代の日本国民の尊厳 を きずつける朝日新聞の集団的行為に一部加担していた一人であり、朝日新聞が発信していたのとは異なる情報発信ができたにも拘らず、それをしなかった怠慢に よって厳しく糾弾されるべきです。田原は、戦前の朝鮮半島で法に基づいて営業権を与えられて高額な賃金を得ていた売春婦の問題などに時間を費やさずに、 90年代のボスニアで起きていたまさに現代の戦地強姦をひたすら問題にすべきだったでしょうし、現代の戦地での強姦と、戦前の日本が公衆衛生に関する法律 に基づいて適切に管理していた朝鮮半島の売春は徹底的に切り離して論じる先鞭をつけるべきだったでしょう。彼は自身の怠慢によって、それをやらなかったの です。できたはずなのに、わざとやらなかったのです。

朝日新聞に戻りましょう。世論がどうであろうと、とにかく事実を報道する重要性を一貫して維持せず、それを社是とせず、「誤りを認めて訂正」をしない 報道機関とは何でしょうか? 報道機関とは、事実を取り扱い、日本語で情報発信して、日本国民に提供する仕事をメインとする団体なのではないでしょうか?  ならば、新聞社とは、いかなる場合でも、日本の国民の重大な関心にかかわる事柄の事実確認に誤りがあった場合、すみやかに認めて訂正できるように、会社 としての最も上位に位置する内規をつくり、日常的に運用し、「誤りがあれば認めて訂正」するという、報道機関として一義的に重要なガバナンスを組織的に達 成し、社会的なコンプライアンスに応えるべきでしょう。

そ うしなければならないのに、田原が話しているように、もし過去ニ十数年にわたる驚くべき長期間の間、朝日新聞にとって「記事の撤回が困難な作業」だった としたならば、明らかにそこには、事実を事実として日本国民に対して正確に伝えるのとは、まったく別の、「報道機関ではない」朝日新聞の会社の事情があったということで しょう。つまり、朝鮮人の元売春婦の利益を、日本国民の利益よりも一方的に優先させようとするプロパガンダに加担したという事情がそれです。現代の日本国 民の尊厳をきずつけ、現代の日本国民に存在しない罪をなすりつけ、さらに、現代の日本国民からカネを奪い取り、現代の日本国民とは何の関係もない外国人の 特定集団に与える仕組みをつくろうという卑劣な計画の一部を朝日新聞社が担っていたということです。現代日本国民から一円のカネをも受け取る資格のない、 外国人の売春婦の集団に対して、現代日本国民が働いた果実であるお金を掠奪して分配させようとする計画に加担しようとしていたということです。

こ の朝日新聞が加担した計画は、明らかにヒューマニズムに反する計画です。なぜならば、行為の責任がない、皺皺の老女を相手に売春をしたことがないよう な、現代を生きる日本国民に対して、一方的に罪をなすりつけ、罪の意識を持たせるだけでなく、現代の日本国民の尊厳をきずつけ、財産を掠奪しようとする計 画だからです。 世界のどこの国民に、その国民として生まれたというだけで、特定の外国の特定の集団に対して、負債を負うような国民が存在するでしょう か? 存在しないでしょう。つまり、これは明確にヒューマニズムに反した、現代日本国民に対する命の差別なのです。この21世紀に日本国民として生まれたというだけで、 特定の外国人の元売春婦に、支払うべき金を背負うなどということは、それだけで、明らかな命の差別であり、日本政府、日本国民は、これを絶対に許すべきではないでしょ う。これから生まれてくる日本国民に対して、そのような命の差別をさせようとする、外国の組織、外国の政府、日本国内の組織に対しては、強いペナルティを課す必要があるでしょう。


田原総一朗「朝日新聞の『慰安婦問題総括』を読んで思うこと」〈週刊朝日〉

dot. 8月14日(木)7時18分配信


朝日新聞が慰安婦問題の報道に誤りがあったと認める記事を掲載した。ジャーナリストの田原総一朗氏は、いささか残念に思ったという。

8月5日、朝日新聞が1面と16面、17面を使い、「慰安婦問題」の誤報道についての総括を行った。

「慰安婦問題に光が当たり始めた90年代初め、研究は進んでいませんでした。(中略)そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します」

 1面で編集担当の杉浦信之氏がこう書いている。そして16、17面で、「強制連行」「『済州島で連行』証言」「『軍関与示す資料』」「『挺身隊』との混 同」「『元慰安婦 初の証言』」の5項目について検討し、「済州島」や「挺身隊」についての誤報道を全面的に訂正している。

 朝日新聞が誤った記事を掲載したのは、山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたという吉田清治なる人物の証言を信用したためだ。

 たとえば92年1月23日付夕刊、「(朝鮮)総督府の50人、あるいは100人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振 るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む」、しかも、その人数が少なくみても950人はいたなどと具体的な書き方もしているのだが、これは虚偽の 証言だったのである。

 この年の4月30日、産経新聞が秦郁彦氏による済州島での調査結果を基に証言に疑問を投げかける記事を掲載。そこで、この直後に朝日新聞の社会部の記者が吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。

 さらに97年3月31日の特集記事のための取材の際も吉田氏は面会を拒否し、虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えたということで、朝日新聞はその後、吉田氏を取り上げていないようだ。

 また、92年1月11日の朝刊に「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」という 記事を載せた。「挺身隊」の名で前線に強制的に動員されて慰安婦にさせられたということだ。だが、挺身隊と慰安婦はまったく別種であり、朝日新聞は混同し ていたのである。そのことについて、「原因は研究の乏しさにあった。当時、慰安婦を研究する専門家はほとんどなく、歴史の掘り起こしが十分でなかった」と 反省している。

 私は、今回、朝日新聞が誤報道を全面的に総括したことを評価する。しかし、実は私は、もっと前に誤りを認めて訂正していたものとばかり考えていた。それ がここまで延びたのは、報道機関にとって記事の撤回がいかに困難な作業かを示しているのだろう。おそらくここまで遅れに遅れたことについて、朝日新聞はだらしない、官僚的だという批判が少なくないはずだ。また、記事を撤回はしたが、読者に謝罪をしていないことに対する不満もあるはずだ。だが、朝日新聞とし ては、当然ながらそうした批判や不満が出ることは承知した上での総括作業であるはずで、私は、あらためて今回の総括を評価していると記しておきたい。

 しかし、いささか残念に思うのは、読売新聞、毎日新聞、産経新聞も、朝日新聞と同様に吉田清治氏の虚偽発言を報じていたと記していることだ。総括は自社のことに徹すればよいのであって、余計な弁解としか読み取れない。

※週刊朝日  2014年8月22日号


今回の朝日新聞の見直しの動きは、なぜ行われたのでしょうか?結局、これは、2014年6月に、90年代に行われた戦時売春婦に関する官房長官談話の製作の経緯を政府の依頼で調査委員会が公式に調査し、国民に向けて公表したことがきっかけになったと円猿は見ています。 朝日新聞は最近の日本国内の世論や政府の動きを見てから、見直しをすることにしたのです。本来ならば、自社の一貫した事実報道を実現するプロセスによって、20年以上前にそれをしなければならなかったでしょう。会社として、法人として、その意志を持ち、実現しようとし、具体的に議論して作業プロセスをつくりさえすれば、間違いなくできたでしょう。ごくごく短時間でできたでしょう。しかし、朝日新聞社には、それが全くできなかったのです。やらなかったし、できなかったのです。日本国民の世論や政府の顔色を見なければ、自分たちが過去に報道した事実に基づかない低品質な記事の修正報道のきっかけをつくれない会社を、「報道機関」と呼べるでしょうか。困難でしょう。今回の経緯の中で誤解してはならないのは、世論やいまの政権が、「権力者として」朝日新聞に圧力をかけようとして、この調査と公表を行ったわけではないということでしょう。数人の調査委員が短期間で作業して、十分に調査できる内容だったのです。言い方をかえれば、その程度の容易な調査だったのです。しかし、調査は容易だったとしても、その主旨は重要です。事実の捏造によって、現代の日本国民の尊厳、生命、財産が侵害されることのないようにという主旨のもとに事実関係を調べ公表したわけですから。まだご覧になっていない方は、有害きわまりない河野談話の作成経緯の調査報告をご確認ください。


「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯〜河野談話作成からアジア女性基金まで〜」(PDF)(首相官邸HP)


経緯を知れば、これははじめから外国の特定圧力団体のプロパガンダ活動であり、元売春婦の証言など、何一つ事実関係の検証がなされていないことは明らかです。現代の日本国 民とは何の関係もない元売春婦の外国人老婆たちが、現代日本国民に対して「人殺しの子孫」
だの「強姦魔の子孫」だのという命の差別を行い、それを広めた上で、現代日本国民から一方的にカネを掠奪しようとする卑劣きわまりない物乞い活動です。さらに悪いのは、この河野の談話が出た後です。南朝鮮の政府や各種団体、そして、元売春婦によるヒューマニズムを欠いた行動です。アメリカなどの第三国において、日本語の文書も読めない事実関係の調査能力のない第三国の人々に対して、現代の日本国民を差別するよう に説きすすめている。最低レベルのヒューマニズムすら欠いた行動スタイルとしか言いようがないでしょう。

日本政府が事実関係に基づかない売春婦の証言や、河野談話の検証をしていることに対して、韓国の政府関係者は、「両国関係は大きく傷つけられた」などと主張しているようですが、全く問題外です。論評に値しないと言うべきでしょうが、ほんの少し考えさえすれば、彼は以下のように主張していることにほかならないことが理解されるでしょう。

「事実関係にもとづかないで、日本と韓国の二国間の関係が築かれたとしても、何の問題もない。」
「日本政府は、韓国政府が公式に認定した事実関係については、独自に検証をせずに、とにかく事実として認めるべきだ。」
「現代の日本国民の尊厳がきずつけられ、現代の日本国民の権利が侵されるとしても、日本政府は、とにかく外国人である韓国人売春婦の権利を優先させるべきだ。」
「日本政府は、現代の日本国民の権利を犠牲にして、自分たちに一方的に共感し奉仕しカネを出すべきだ、そのためには、いかなる事実関係にもとづかないプロパガンダでも、両国で共有すべきだ。」

すべて、外交の基本レベルの認識すら見当たらない、日本国民の権利に配慮するとか、日本国民に共感するとかいうレベルが全くない最低の認識といってよいでしょう。日本国民の命を軽蔑させるプロパガンダにもとづいて、両国の関係を構築すべきだと主張しているも同然です。日本政府が日本国民と日本の国土を守るために存在する機関であるという認識すら見られない。意味もなく、自国民の一部の元売春婦がプロパガンダ集団として、捏造と不当な権利主張を行い、ごくごく限られた一部の反日の日本人を動かすことによって、関係を悪化させ、関係は悪化すべくして悪化してきたという現実を、この韓国の政府関係者は文字通り直視すべきでしょう。これは全く歴史問題でも何でもなく、単なる猿芝居にすぎない。いや、猿芝居以下です。

日本に関して言えば、日本の新聞社やNHKなどのGHQの放送コード(SCAPIN-33) にいまだに拘束された使えないメディアが最大の問題です。一つのメディアが真剣にやれば、過去30年の間に容易にできた仕事でしょう。 しかし、今回の戦時売春婦の件で、日本の新聞社やNHKなどのメディアは、この手の仕事をさぼり続けて、20年も30年も平気で放置するということが分かりました。アメリカをはじめとする海外で活動する日本国民が差別されることのないように、国民の権利を守るための情報活動についても、一切何もやらない怠惰きわまりない組織だということが分かりました。したがって今後も、国民の権利を守るための事実確認、情報活動の一部を、政府が仕切らなければならない時間は続くでしょう。現代の日本国民の権利を侵害しようとするプロパガンダの排除や、日本の国土の保全に関わる事柄に関しては、コストを最小限度にし、最短の期間で、今回のように活動し、調査と事実公表を行ってほしいものです。



posted by 警鐘凡打 at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月18日

論点の先取りというもの

日本の国防に関して、議論がすすまない原因が少し分かってきました。どうやら、議論のやり方そのものに一部の原因があるということが 分かってきましたので、それについて語ります。その誤りとは、論点の先取 です。何だそれは...  と思われる方もいるでしょう。少しずつ説明します。

論点先取とは、議論を経たうえで認めるべき内容、認めるかどうかを議論の結果として判断すべきものを、気づかずに前提として立ててしまう誤りです。気づかず に前提として立てる場合が多いようです。中には、自分で気づいて論点先取をやって、他人を平気で騙す人もいるでしょうが、そういう意識的にやる論点先取は バレやすいし、分かりやすいのが通例です。問題は、気づかずになされ、しかも、社会的に共有されてしまうタイプの論点先取なのです。

ま ず、「日本は敗戦した」ということと、「戦前の日本政府は、国土も国民もしっかり守ることができなかった」という論点があったとします。これだけならば、 戦争の反省として議論の対象になるでしょう。日本が敗戦したのはなぜか? ということは議論できます。原因を追求することもできるでしょう。なぜ、大日本 帝国時代の日本政府は、大東亜戦争を戦うことによって、インドや東南アジアの多くの国民の独立のきっかけをつくった一方で、日本国民に大きな犠牲を強いる 結果になってしまったのか? アメリカ軍の空襲や原子爆弾によって、多くの国民の犠牲を出し、国土を焦土と化す結果になってしまったのか? これは重大な 議論のテーマであり、戦後70年近く経過して、なお議論すべきテーマと言えるでしょう。ここで、「日本は敗戦した」「国民と国土を守れなかった」 この二 つがキーになります。

次の段階に、論点先取が関係してきます。例えば、
「日本が敗戦した」⇒「国民と国土を守れなかった」⇒「国民と国土を守れるはずがない」 となると、ここに論理の飛躍があります。
日 本は敗戦したし、昭和20年の時点で国民と国土を守れなかったという結果があったかもしれませんが、その後、日本国民と国土を守れないと決まったわけでは ありません。実際に、サンフランシスコ講和条約で主権を回復していますし、日本の国民と国土を守るために運用可能な自衛隊が存在します。昭和30年代以降は、日本政府が国民と国土を守る機能を実装可能だったでしょうし、それが法的にも実践的にも実現されたならば、北朝鮮による日本人拉致という、典型的な「国民を守れない」事象は起きなかったのではないでしょうか。

では、具体的な議論を想定してみましょう。


パターン1です。日本の国防を少し考えてみたいAさん、それをやらせないBさんとしましょう。

A:尖閣諸島の領海に中国の船が入っているのは、いけないことでしょう。竹島を韓国が軍事占領しているのも、いけないことでしょう。日本は自衛隊によって国防を強化して、離島を国土として保守する必要があるのではないでしょうか。
B:日本が平和を誓うことで、周辺国とも仲良くやっていけるのです。自衛隊で国防を強化すると、それができなくなります。

A:でも、日本が国防を増強しないからこそ、周辺国は、国防と称して軍事行動を活発化させているのではないですか。「平和」など単なる自己満足だけで、戦後、周辺国の軍事活動を活発化させてきただけなのではないでしょうか。北朝鮮のミサイル開発を見ても、そうとしか思えません。
B:一部の動きにすぎません。日本は自衛隊によって国防を強化するべきではありません。

A:なぜですか。
B:日本は戦争に負けて、今があるからです。軍隊とは書いていませんが、陸海空の戦力は保持しないと憲法にも書いてありますよ。


パターン2です。日本に軍隊を通じて国防を必要とみなす人をAさん、何がなんでも国防をしないことが平和だと主張する人をBさんとしましょう。

A:自衛隊は憲法違反ではない。日本は主権国家なのだから、国民と国土を守れる国になる必要がある。それについて話しましょう。
B:自衛隊は軍隊ではありませんよ。日本には軍隊は存在しません。日本は国民と国土を守ることに失敗した。だから、軍隊を放棄したのです。

A:軍隊でなければ、海外での平和維持活動もできないですよ。自衛隊が「日本の軍隊です」と公式に表明して、軍隊の徽章をつけて活動しなければ、現地ではテロリストとみなされて、虐殺されても何も文句は言えないのですよ。
B:自衛隊は、海外での平和維持活動に参加するときに、日本の外に出た場合に限って、軍隊なのです。

A:なぜ、日本で日本の国民と国土を守る活動に従事する自衛隊は、軍隊ではないのですか。
B:日本に軍隊があると、他国を侵略することになるから、置いてはいけないのです。

A:国民と国土を守る軍隊と、他国を侵略する軍隊は、常に同じなのですか、日本において。
B:戦前にそうなってしまったから、現代の日本にもそうなると想定しなければなりません。

A:おかしいでしょう。あなたは日本国民として現に守られているし、守られた国土で生活しているのに。
B:わたしが日本国民として守られ、国土が守られているのは、アメリカの軍事基地があるからです。自衛隊があるからではありません。

A:あなたは、日本が主権国家ではないと認めるのですか。
B:そうです。日本のような過去の侵略国民は、自前の軍隊を持たないことによって国民と国土を守ってもらうべきなのです。

A:冷戦まっただなかに自分がいるかのような主張ですが、それをおかしいと思いませんか。
B:おかしいと思いません。事実、日本には米軍基地があり、それによって平和なのです。

A:日本国民を代表する政府が、今後も、自衛隊によって日本国民と国土を守れないのでしょうか。
B:日本は国民と国土を守れなかったのです。だから敗戦したのです。日本が独力で国民と国土を守れるはずがありません。

戦後の日本において、「日本の国民と国土を守り、保守する」 という主張を社会的に議論しながら作り上げ共有する仕組みが機能していない理由が理解できると思います。パターン1という簡単な会話でも全然発展的な話になる見込みはありませんが、お互いに一定の知識を持ったパターン2のケースでも、入り口のところで、議論が封じられています。

「日本の国民と国土を守り、保守する」という現代の日本の主権の最も重要なテーマに真剣に関わろうとする人に対して、パターン2のBさんのように、以下のように論駁しようとする人々が必ずいます。


 (ア)  「国民を守り、国土を保守できなかったから戦争に負けたんだろう?」
 (イ)  「多くの国民が戦火の犠牲となり、空襲や原爆で多くの罪の無い国民が犠牲になり、国民も国土も守れないと証明されたんだろう?」


これらは、2つとも論点先取の典型の議論です。戦争の結果論をつきつけているだけのように見えますが、実際はそれよりもはるかに有害な議論の妨害をしていると言えます。なぜでしょうか。

日本が敗戦した⇒戦前の日本政府は国民と国土を守れなかった⇒現代の日本政府が国民と国土を守れるはずがない

下 線を引いたところが、論点先取です。国防の議論になると、必ず、(ア)(イ)あるいは他のバリエーションの反論が出されてきますが、共通するのは、「現代の日本 政府にしたって、国民と国土を守れるはずがない。なぜなら、戦争で日本は負けて、国民と国土が守れないと証明されたからだ。」という論理です。典型的な循 環論法ですね。 「国民と国土が守れないのが日本なのだから、国民と国土は守れないのだ」  と主張しているに等しいのです。 この循環論法は実際は、無意識下でかなり手の込んだものになっており、日本の国防の問題だけに見せないように、「日本はアメリカの言いなりだ」とか、「外国へ多大な被害を与えただろう」といった論をくっつけてくる場合が少なくありません。しかし、「現代の日本の国民と国土を守る」という国防の議論に集中することは不可能ではないはずです。技術論としても可能な議論でなければならないでしょう。外国との関係は後から取り扱う論として外に出して、国防の議論を深めることがで きるはずです。過去に日本の国防を議論すべき場で、もういやというほど繰り返し繰り返し、このような論点先取と循環論法が用いられてきたでしょう。

本来、国民と国土を守るという主権にかかわる重要な議論に、一般国民がもっともっと参加する傾向があっていいはずだし、それに適した言論の場が設けられるこ とが必要なはずです。一人一人の国民にとって自分の問題ですし、自分の住む国のことですから。しかし、一般の多くのマスコミは、国防の議論をさせないよう に、最初に「戦争に負けた」=「保守できなかった」=「保守できない」という論点先取を置いてしまうのです。そうすると、どうでしょうか。「国民と国土を 守る」というのは、21世紀の日本の現実の重要課題であるにもかかわらず、「日本は、国民と国土が守れない国だと敗戦で証明されたのだから、国民と国土は守れないのだ」という論点が置かれるだけで終わってしまうのです。論点先取により、生産的な議論を作り上げる道が最初から絶たれている。保守の基本的な思想が出され議論するというコンテクストを社会的に封じていることがいかに大きな問題かが分かるでしょう。

戦 後の日本では、「日本の国民と国土を守り、保守する」ことを中心に据えた議論を組み立て共有するプロセスを放棄させる仕組みが、日本の中で強くはたらい てきた現実があったことの一部をご理解いただけたと思います。21世紀の今の日本の国防の問題を論じるためには、以上に述べたような論点先取を取り払っ て、国民の間で議論を深め、議論を有意義なものにする必要があるはずです。過去の戦争に対する反省は、重要な事柄ですが、論点先取とともに国防の議論に紛れ込ませてはいけないでしょう。国防の議論をすることは、何も日本人だけの利己主義の世界をつくるために議論するのではないのです。主権国家として自分の国の国民と国土を守る一つ一つの国が存在し、その集合体が国際社会であるというのは、まぎれもない事実です。国防は、国連憲章51条で保障された権利でもあります。とにかく、一人一人の日本 国民の命に関わり、実際に国民が生きている大切な国土の保守に関わる議論なのに、「国民と国土が守れないのが日本なのだから、国民と国土は守れないのだ」 などという乱暴な論点先取をさせてはいけないでしょう。

問題は、主権に基づいた国民と国土を守るという保守の議論が、いわば、日本の戦後社会全体の「論点先取」によって、封じられていることなのです。論点先取を見つけたら、それを指摘して、やめさせるところからはじめましょう。戦争に負けたことも事実ですし、日本が国民と国土を守りきれなかったことも事実ですが、それらの事実は、現代の日本国民と国土を守る国防の議論においては、起点にも結論にも置く必要はありません。起点にも置く必要はないのです。これがポイントです。なぜなら、それが、あらゆる「論点先取」のもとになって、議論を封じるからです。

議論の方法上の誤謬と、それに基づいた国民の議論を封じる強い傾向によって、北朝鮮による日本人拉致のような事象が長年放置されてきたのです。この拉致事件は、日本の戦後において、主権者である国民を守るという基本機能を日本政府が果たさなかった重大な事件ですが、なぜか、NHKや朝日新聞をはじめとする偏向メディアによって、その重大さに応じた取り扱いがなされていません。過去の日本政府を一方的に責めるだけではなく、メディア側が、同胞国民と国土を守るという議論を論点先取により封じてきたことの反省は一度もなされていません。日本国民の北朝鮮による拉致を、日本国民の最大の関心事として取り扱うことができないなら、日本の偏向したメディが、国防のみならず、国民の保護という点でも、「戦争に負けた」=「守れなかった」=「守れなくて当然だ」という論点先取を全社的に続けているということになるでしょう。




posted by 警鐘凡打 at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする