2014年05月23日

「平和憲法」という呼び方をもうやめるべき時


憲法 constitution の件で、かたりを追加します。前回もかたりましたが、今回は、「平和憲法」という呼び方をやめせんか、という話です。憲法は、単体の「憲法」という呼び方で行きましょう、という話です。実際、世界のどこの国に、憲法に「平和な」などという語をくっつけている国があるでしょうか。

「平和な pacific 」などという形容詞をつけて、自分の国の憲法を語らなければならないような、奇妙な言語空間を形成している国があるでしょうか。

とにかく、 「平和な」という語は、憲法にくっつけることで、抽象的な理念を示すだけでなく、日本国民の自衛や防衛のための議論を封じ、自衛や防衛をやりにくくさせるだけなのです。 「平和」とは、国家間あるいは国民間の考えうるあらゆる戦争が無い状態、何も争いのない状態を示す語ではない点も指摘しましょう。平和とは、自衛を忘却し、外国との間のどんな細かい争い事も、あたかもないかのように認識しようと努めるための概念ではなかったのです。

英語だけに話を限定しますが、そもそも語源から見れば、「平和」という語は、争いをやめるとき、戦争をやめるときに使用された語です。

17 世紀のウェストファリア条約は、別名 Peace of Westphalia(ウェストファリアの平和)です。争い合っていた当事者同士、戦争していた当事国同士が、争い事や戦争をやめるときに、和平をむすぶ (make peace)という言葉を用います。 だから、戦争と平和のうち、人類の歴史の中でどちらが優勢だったかと言えば、当然、「戦争」の方です。何らかの原因によって戦争が起こり、それをやめましょうというときに、「平和」が持ち出されたというだけです。

戦争がまったくない状態が優勢だったら、そもそも、「平和」という語は発明されなかったでしょうから。戦争も争い事もなくて、戦争の観念さえ形成されない。遠い遠い牧歌的な、はるか昔の黄金時代を想像するのは自由ですが、そんな時代には、「平和」という語もなかったでしょうし、「平和」の観念自体が存在しなかったでしょう。

そんなわけですから、憲法 constitution に「平和」という語を無理やり付けて呼ぶということは、すなわち、戦争をしつこく関係づけるということになるでしょう。しかも、問題なのは、あまり意識もせずに、国民が「平和憲法」などという語を用いることによって、日本国民自身を過去の特定の戦争だけにしつこく関係づける結果をもたらすことです。数千年の歴史のある日本の国民、さまざまな道徳的資質や重要な価値観や文化を継承してきた日本国民のもっとも重要な価値を成文化するはずの憲法 constitution なのに、しつこく特定の戦争を関係づける。しかも日本国民の価値観や視点で関係づけるのならまだいいですが、そうではなく、いまだにGHQと同一化した視点によって日本国民の考え方や価値観を一方的に拘束し、自縄自縛状態をつくり続けるということを意味します。

「平和」とは停戦状態とか休戦状態の長時間バージョンでしかないのに、その程度の認識もなく、なにやら全てを犠牲にしてしがみつく価値があるかのように「平和」を吹聴する。

なぜ「平和」が必要か必要でないかを議論する視点など全くなく、冷戦後の時代の要請を考慮せず、周辺国の軍備増強や国際法違反などを考慮せず、地域の勢力均衡を考慮せず、国民と国土を日本国民が守るという本質的な議論から逃げ回り、その結果、日本国民の行動や言論を束縛することになるのです。馬鹿馬鹿しいにもほどがありますね。最近は、そういう卑しい平和イデオロギーに脳を侵食された人々が、なんと、GHQの作成した「憲法」をノーベル賞候補になどという運動をやっているということも耳にします。馬鹿の標本としか言いようがないですね。彼らのようなイデオロギー思考、古ぼけたメンタリティ、ベクトルのずれまくった思考様式と行動様式によって、日本の国民の意志と力によって日本の国土と国民を実際に守る仕組みがつくれるわけがありません。未来に負の遺産しか残さないことは間違いないでしょう。

このような人々の有害さを、さらに指摘しましょう。

彼らはなぜ、自衛隊の災害復旧活動と日本国外での平和維持活動を認めているくせに、自衛隊による国防に反対するのでしょうか。まったく意味不明です。彼らはなぜ、日本の国民と国土を守るために必要な軍事力を計算したり議論したり装備したりする、国防のための一連の知的プロセスに参加しないのでしょうか。

なぜ、国防のための軍事力の必要性の議論すらせずに、一方的に反対するのでしょうか。意味不明です。冷戦下でアメリカの核の傘下にあってはじめて主張可能だった「非武装」を、今頃になって執拗にまだ主張し、馬鹿げた平和ぼけのデモなどをやる。そんなことをやったところで、いったい何が可能となるのでしょうか? 過去60年程度の期間、シナや南北朝鮮という周辺国の軍事力増強にひたすら貢献しただけの平和イデオロギーの中に、この先生まれてくる国民へ継承する何の価値があるでしょうか? そんなのは、もう終わりにすべき時なのです。

つらつらと述べてきましたが、以上のような様々な理由から、

憲法は、「憲法」と呼ぶことだけがふさわしいのです。 憲法に何らかの形容詞をつけて、理念を体現するものであるかのように装う必要もないですし、たった一つの理念で憲法がつくられているかのように観念する必要はないのです。

そんなことをしても、イデオロギーをかつぐだけで、有用な結果にはつながらないでしょう。自衛に関する考え方、戦争に 関する考え方、戦争を中止して平和をもたらす考え方、すべては、国民が長い時間をかけて形成してきた事柄ですし、過去数千年の間の様々な歴史上の事実を考 慮に入れ、また、常に固定的ではなく徐々に変化する周辺諸外国の自衛や対外関係、軍事に関する動向を考慮に入れ、大いに議論すべき事柄なのです。そして、 過去の日本国民、現代の日本国民、さらにはこれから生まれてくる未来の日本国民に配慮して、議論し方針を決定すべき事柄です。

もう一度、今回のかたりの要点を繰り返します。最初から憲法に、戦争に関連づけられた語源であるつまらない「平和」などという語をくっつける必要は全くないのです。その程度の安っぽい観念でしかない「平和」をイデオロギーにして、過去の同胞国民を一方的に悪い人々であったかのように決めつける必要は全くないです。「平和」をイデオロギーとして用い、日本国民の国防に関するさまざまな議論を封じることは、その先に、国土や国民を守ることを通して維持されるはずの主権者国民の権利すら無視することにつながるでしょう。拉致事件がその典型です。ここまでくれば、「平和」のイデオロギーは日本国民にとって有害以外のなにものでもありません。

日本の国土と国民を日本国民の意志と力によって効率的に守る、計画的に守るための独自のコードとポリシーを設計すべく議論する必要があるでしょう。本質的 な議論を日本国民の中で構造的につくりあげることができれば、アメリカとも実務的な協議が可能になってくるはずです。自衛隊の暗号や敵味方判別システム を、全面的に米軍のものに依存する現状は終わりにすべきでしょう。日本には十分な技術があるのですから、技術を発揮し、少なくとも、日本の自衛隊独自の暗 号と敵味方判別装置を構築し、その上で、米軍のシステムとの連携を設計する必要があるのです。米軍のシステムからの切り離しが全く設計されていない現シス テムは異常と言うほかないでしょう。

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2014年05月03日

5月3日という日に憲法改正と国軍について


憲法改正、新たな憲法制定についてかたりたいと思います。
というのは、毎年、5月3日になると、憲法改正の話が出るのですが、どうも保守と呼ばれる人々の、憲法改正の議論に同意できない点があるからです。 

憲法改正をすべきだ、という主張をする人々の論拠は、過去長らくの間いつも同じです。円猿が良く知る過去20年程度においても、いつもこれです。

「敗戦憲法だ」
「占領下に、GHQがつくった不当な憲法だ」 

この論拠自体は、まったくその通りです。それを少し長くなるが説明しましょう。日本では「終戦」を8月15日とする認識が広く共有されていますが、この認識は間違いだからです。間違いと断言できます。なぜならば、昭和20年8月15日に、個別の戦闘が終わっただけで、停戦条約も結んでいませんし、ましてや、平和条約も結んでいないからです。平和条約が発効するのは、昭和27年4月28日です。

要するに、昭和20年8月15日のあとも、戦争状態は続いていたということです。潜在的な戦争状態です。 「日本は戦争を終わりにします」と宣言したのですから、日本が相手国に仕掛ける戦争ではなく、日本の国内で何か事が起きたならば、GHQや連合軍が一方的に、日本の制度を破壊したり日本国民を殺害したり傷をつけたりする戦争状態が潜在的に存在しつづけたということなのです。

実際、戦争状態が続いていたからこそ、GHQはMilitary Tribunal という軍事法廷(これは東京裁判と呼ばれることがありますが、決して裁判ではありません)を組織して、マッカーサーがいきなりつくりだした裁判所条例(Charter)に基づいて、多くの日本国民に死刑を宣告して、実際に殺害をしました。GHQは日本の多くの制度を破壊しました。内務省を解体しました。財閥を解体しました。数千人におよぶ公職追放を行いました。日本の教育の伝統に合わない教育委員会をつくりました。数千冊の焚書をおこない、ひどい検閲を行い、さらには「真相はかうだ」などというプロパガンダ放送をNHKに流させ、独断的なプレスコードSCAPIN-33の体制を敷いて、日本国民の言論の自由を封殺しました。戦争状態が続いていたからこそ、昭和20年以降、横浜で、東京で、大阪で、佐世保でアメリカ合衆国軍人による、大規模な強姦が起きました。戦勝国の武装した軍人が一方的に日本国民の女性を犯すという許し難い行為が行われていました。この間のドキュメンタリーは、『日本の貞操』蒼樹社という昭和28年5月に出た本を読んだら分かります。

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「昭和28年」の意味を多くの読者は理解されるでしょう。そうです。サンフランシスコ講和条約が発効する昭和27年4月28日まで、GHQは、プレスコードSCAPIN-33によって、日本女性の米兵による強姦被害をすべて握りつぶし、公論に訴えることを封じていたのです。人間の尊厳に真っ向から反対する占領制度と言えるでしょう。この本の目次だけ見ても、昭和20年は「終戦」では全くなかったということが、確かに理解できます。日本の女性たちの占領下=戦争状態における筆舌につくしがたいつらい思いが伝わってきます。
第一部 死に臨んでうったえる
第二部 私は誰に抗議すればいいのか
第三部 妻となった私の苦悩をこえて
第四部 私の生涯を踏みにじったもの
第五部 日本の貞操は奪われている

GHQは、以上のような狼藉をやったあげくに、「日本国憲法」まで勝手に作って公布させたのです。日本の憲法学者をカネで買収させ、コンメンタールなどまで書かせる周到さでした。これらは、戦勝国の代表を自任するGHQの人々の感情的な対応と言えるものでしょう。自分達の感情に基づいて、日本国民を殺させ、日本の世論を不当に操作しようとし、日本の国力が弱くなるような介入をやったのです。

アメリカ合衆国という国は、第一次世界大戦前まで400年ほど続いてきた、最高権力者どうしの戦争のやり方を著しく歪曲しました。特に勝ち負けが決まった後のプロセスを著しく歪曲したのです。簡単に示せば以下のようになります。下線を示したところが、不当に相手国にダメージを与え、普遍的な人権にも著しく反する部分です。「軍事法廷、制度の破壊」のところに注目してください。 この段階で、「憲法」までつくって公布させるというのが異常なことなのです。

勝負の趨勢が決まる→ 停戦もしくは休戦交渉→ 停戦条約→ 平和条約

勝負の趨勢が決まる→ 停戦に応じない→ 相手国の国民の大量虐殺→ 降伏させる→ 占領→ 軍事法廷、制度の破壊 →平和条約

とにかく、戦争中だという理由のみによって、相手国の国民の大量虐殺、そして、その後の占領や軍事法廷は、人権にも国際法にも反しています。東京大空襲、広島や長崎こそ、人道に反する罪なのです。東南アジアやヨーロッパのどこの国に行っても同じような世論が支 配的ですが、20世紀の代表的な大量虐殺は、ナチスと広島・長崎の原子爆弾です。円猿は、広島と長崎だけではなく、東京大空襲をはじめとする大量虐殺も国際的にもっと知られる必要があると考えています。要するにナチスとアメリカ合衆国のやったことこそ、人道に反しているということなのです。戦闘員 ではない、一般国民をあらかじめ大量虐殺することを意図し、実際に虐殺したのですから、当然の認識でしょう。だが、一部のヨーロッパの諸国では、アメリカ が戦争に参加して解放してもらったという認識があるために、おおっぴらにこのことを主張できないままだというだけなのです。彼らも内心は分かっています。

まあ、そんなわけで、憲法改正すべきだと主張する人々の論拠は正しいのです。これは感情論ではなくて、事実に基づいた整合的な判断として正しいと言えるでしょう。したがって、5月3日に記念すべきものは特になにも無く、占領時に不当にGHQが作成して押し付けた「現憲法」改正の実現プロセスに向けて動くべきだという主張は分かります。

問題は、その先です、憲法改正のプロセス、憲法改正の主旨、憲法改正後の軍隊の性格づけ、こららの点において、保守の一部の人々は、不思議なくらい陳腐化した内容にとどまっています。多くの保守の論者の人々は、憲法改正を主張されますが、彼らには憲法改正のプロセスに関するアイデアが十分にありません。お決まりの政党談義をやるだけです。ジミン党は自主憲法制定を言っていたが、やらなかったとか、シャミン党とかキョーサン党という改憲反対の人々と妥協していたとか、そういう使い古したぼろ雑巾のような分かりきった話をしつこくやる。もういいんです、そんな話は。聞き飽きています。プロセスを提示してくださいよ。なんで、それをやらないんですか。まだ20代〜40代の青壮年の主張なら、「これからあなたが一線に入ってプロセスをつくりなさい」という話になるでしょうが、もう、50歳代とか60歳代の人々が、そんな話をしたって、老人の繰言にすぎません。そんな漫談のような話を何十年やり続けるんですか。 挙句の果ては、随分と歳をとってから、日本国民が愚かだから憲法改正ができなかったというような主張をされる方さえいます。そんなに賢明ならば、あなたが実現すればよかったじゃないですか。日本国民を愚民扱いするのは誰にでもできます。そういうのは、怪しい戦後知識人の主流の傾向ですらあります。自分がなぜできなかったかを検証して、後の世代に引き継ぐべきでしょう。

また、憲法改正の主旨や、憲法改正後の軍隊の性格づけもとても同意できないものです。彼らは、議論を大いにやって、日米安保見直しをやり、憲法改正をやれと主張します。しかし、比較的多くの論者が、「自衛隊は国体を守るものだ」「自衛隊を天皇陛下を守る軍として定義せよ」 というような話を最初に置いてしまうのです。この点が、円猿には理解できないんです。説明しましょう。

国体も天皇陛下もきわめて重要ですが、日本の国軍たるもの、「国体」「天皇陛下」を守るだけの存在だ、と言い切ってなぜ平気なのか、それが理解できない。これは、古ぼけた復古的な議論ではないでしょうか。なぜなら、時計の針を大東亜戦争前に戻して、日本の兵士たるものは、「国体と天皇陛下のために死を覚悟せよ」ということだからです。 これが21世紀の現代の日本の国軍の要件として妥当でしょうか。円猿には、まったくそうは思えません。保守の論者の方々が、もし仮に、日本の対外的な戦争の歴史や伝統において、天皇陛下をお守りするということを通して、実は、陛下や皇室だけでなく、日本の国民と国土がしっかり守られてきた事の方が多かったのだから、「国体」「天皇陛下」を守るという体制で軍隊を再定義すれば、日本の国民のためにもなるという主張ならば理解できます。しかし、国軍が守る対象として、国民も国土も全然入れることなく、「国体」「天皇陛下」だけを守るなどという主張は、あまりに不可思議というべきです。

「主権」に関する十分な知識なく議論しようとしても、議論にならないということです。国土と国民という「主権」を守るという定義をしないで、ひたすら天皇陛下を守る国軍を作れば、自動的に、国体も守られるというような主張は、楽観論にしか見えません。なぜ楽観論かも説明しましょう。今上天皇陛下は戦争を経験され、戦争の悲惨さ、戦後の占領の悲惨さを知りぬいておられる。それだけでなく君主としての徳も備えておられるでしょう。しかし皇太子と呼ばれる方はどうでしょうか。彼は、自分の誕生日に、平然と「平和憲法(=現憲法)をこれからも尊重する」などと言い放っています。保守の方々が、日本の国防とは天皇陛下を守ることによって国体を守るのだ...と言っていながら、未来のある時点において、時の天皇陛下の方から、「そういうのはやめてください。GHQのつくったヘイワケンポーでいいのです」と拒否されたらどうするんでしょうか。誰が時の天皇陛下に対して教え諭し、あるいは議論し、認識をあらためさせるのでしょうか。無理でしょう。なぜならば、一般国民は天皇陛下に対して、教え諭したり、議論したり、認識をあらためさせるなどということは絶対にできないからです。このようなことを考えると、保守を自任する一部の人々の、議論のもろさが見えてきます。

円猿も保守です。こちらは、日本国民の少なくとも千年以上の伝統には、天皇陛下をいただく君主政治の徳だけでなく、実は共和主義的な徳もあるのではないかということを示唆したいと思います。 もう馬鹿な市民革命を主張する時代は完全に終わりましたから、このような主張をしたところで、「なにぃ、お前は天皇陛下を退位させろというのか!」「なにぃ、お前は天皇陛下の存在を否定するのか!」という条件反射的な反応をする人物はだいぶ減ったでしょう。誤解しないでください。君主政治か共和政治かという二者択一ではないのです。これから先、共和主義にしろなどという主張も円猿はしません。天皇陛下がいたから、ただその一点のみによって、日本国民がひとしなみに平等で、お互い共感し合えたわけではないと言いたいのです。もちろん天皇陛下がおられた伝統は非常に大きいことは間違いありませんから、なんとしてもそれは守るべきでしょう。しかし、日本国民が、この日本に長い間住みつき、地震や台風をはじめとする多くの災害に立ち向かう中で身につけてきた、自分と他者に優劣をつけずに、互いに共感し合う姿勢、相互扶助の文化は確実にあるのではないか。そう考えるのです。

「民主主義」という言葉がありますね。これは、とても新しい制度的な価値であり、第一次大戦前までネガティブなものでしかなく、また、「民主主義」がナチスを生んだのです。円猿は、こういう近代を騙るあやしい仕組みをイデオロギーとして信奉する必要はないと考えています。「民主主義」を騙る人々に限って、天皇陛下や皇室を不用だなどと決め付けますね。なぜでしょうか。民主主義=新しい価値=戦後民主主義 という馬鹿な図式がまだ通用すると考えているからです。 馬鹿そのものです。新しい制度を次々に採用していれば、どんどんよくなると他人に信じさせようとする馬鹿だからですよ。そういうやからには注意しましょう。そういうやからは、実は、「新しいかどうか」だけの判断しかできないのです。本当に日本国民が何を必要としているのか、日本国民が伝統にしたがって大切に守り継承しなければいけないものは何か、そういう「価値判断」がまるでできないのです。「新しいかどうか」だけを判断できるが、伝統や制度や文化が重要かどうかの「価値判断」ができない。そんな判断なら、あなたである必要はありません。機械にでもやらせればいいんじゃないでしょうか。とにかく、価値判断ができない人物、価値判断を理由を含めて説得的に語れない人間が、他人がかかわる事柄に口出しするのはやめた方がいいし、日本国民という集団の過去・現在・未来がかかっている領域に立ち入るのはやめるべきです。新しもの好きな彼らには、新着商品のレビューでも書かせていればいいんです。

重要なのは、日本国民、日本人が数百年、あるいは千年以上日本の地で身につけてきた、国民相互に共感し合い、協力し合うことのできる長所を、どう表現するのが適切なのかということです。制度的なものではありません。伝統的な道徳的資質です。ここでは、それをとりあえず「共和主義的な徳」と言っておくだけです。もっと理解しやすい言い方があれば、それでいいと考えています。ただし、この日本国民の徳は、天皇をいただいて身につけてきた日本国民の思考様式や道徳的判断と同じくらい重要だと考えますので、それに相応しい呼び名が必要でしょう。それも、「民主主義」以外の呼び名です。

日本国民が戦後の短い期間ではなく、これまで長い間に身につけてきた長所として、現代の世界の諸国民において見られる、君主政治をいただく諸国民に見られる長所(徳)も見出され、また、共和主義政治をいただく諸国民に見られる長所(徳)も見出されるということです。実際にそうではありませんか? 日本の国民は、君主をいただいている国へ行っても、その国の仕組みを非常によく理解できるし、君主が敬われることで国民のモラルが保たれる理由を深く理解することができ、また他方で君主の腐敗の可能性についても理解できます。そして、日本の国民は、君主をいただかない共和主義の国で、平等な公民どうしが共感し合い、議論して物事を決めていくという仕組みも理解できますし、共和主義だと言いながら一部の一握りの人々が圧倒的な富を手中に収め権力を振り回す異常さについても、その悪性を非常によく理解できます。ここで重要なのは、日本国民のこの二つの長所が、いきなり戦後に形成されたのではなく、日本の古い伝統において形成されてきたのではないか、ということです。そういう認識を共有できなければ、馬鹿な安易な人間が、天皇陛下をなくせとか、またぞろ主張するでしょう。円猿はそんなことは主張しません。
 日本が君主制の制度的基礎と共和制の制度的基礎の両方を兼ね備え、それらを混合した制度の伝統を持っているという思想は、とっぴでも何でもありません。制度と呼ばずに、慣習でもかまいません。このタイプの考え方は、実はヨーロッパの政治論・政治思想の古い伝統に接合させることも可能なのです。それは混合政体論gouvernement mix / mixed constitution という議論領域です。少なくともアリストテレス以来確立され存在している議論領域です。政体は、君主制か共和制の二者択一ではありません。幾つかの政体のメリットを組み合わせて、その国に適した最良の政体が形成されてきたという解釈も十分成り立つのです。もはや古ぼけたとしか言いようのない近代の誤った思想、誤った思想史観が、とにかく暴政を敷いた君主を追い出して市民が革命を起こし民主主義を確立するように世界は動いているし、動くべきであると決めつけているために、君主制→民主制という不可逆的な歴史の時間が進んでいるかのようにわれわれは支配され続け、錯覚しているにすぎないのです。いくらでも君主制と民主制を両立させる議論を深めることができるし、それを日本独自の思想において深めることも可能でしょうし、ヨーロッパの政治思想の伝統と関係付けて深めることも十分に可能なのです。近代の民主主義など別に最良の制度でも何でもありません。純化され最高に機能的にはたらく民主主義の制度など別にありもしません。混合政体論の議論を掘り起こし、「天皇陛下というヨーロッパ流に見れば皇帝に近い精神的権威が存在しても全く問題ではない」「君主制のよい点と、古くからある共和制的な要素を両立させることができるはずだ」と議論することはいくらでも可能なのです。むしろ、そういう混合政体系の議論がぜんぜんなされていない戦後の思想が異常だと円猿は考えています。

まとめですが、日本国民は、君主を持つ国民の良さももっているし、そうでない国民の良さも持っている。しかも、長い伝統の中でそれを持っているのではないか、ということです。したがって、憲法改正が国軍を再定義するものであったとしても、その国軍のミッションは、天皇陛下と国体だけを守るのだけで満足すべきではないということです。それで満足する人間は、日本の国土を保守できないでしょうし、日本の国民の生命や財産を保守できないでしょう。日本国民と日本の国土を大切に守る。そういう内容も最重要視すべきではないでしょうか。そのことが、将来の日本国民に国防の大切さを伝え、天皇陛下と国体を守る精神を通じて、国民と国を守るという事柄の本質が継承されていくきっかけになるはずです。日本国民の北朝鮮による大量拉致のような悲惨な事が二度と起きないように、日本国民を大切に守る。そのような事が自衛隊のもっとも重要なミッションになってほしいと願っています。

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2014年03月01日

NHK解体のプロセスについて 其の四


具体的な解体プロセスを語ります。今回は、其の四です。ちょっと足踏みですが、今回は、第五段階と第六段階を論じたいと思います。


第一段階 : NHKの現体制の全ポスト(職位)を精査し、暫定ポストを選定した上でリストラを実施。
第二段階 : NHK内に不当に常設されている外国放送局、外国放送局の関連事務所を排除。
第三段階 : NHKの関連株式会社への、受信料を用いた決済、取引を一部停止
第四段階 : チャンネル整理。

--- ここまでは、NHK解体のプロセスについて 其の三 で論じました。

第五段階 : 公共放送の「ミニマム領域」の定義とコスト算定、更新設計と定期的な更新、業務内容の標準化

第六段階 : 受信料に関わる法律の完全な改正。受信料歳入管理組織(NHKとは完全別組織)の立ち上げ。放送法64条を抜本的に改正します。NHKが受信料契約を「みなし契約」と解釈し、ひたすら集金だけをすればよいという「契約」を著しく制限した営業形態に終止符をうつため、現行の64条を全面改訂して、国民視聴者に「契約の自由」を認める法規定を導入します。国民視聴者の側に立った「契約の自由」を認めることによって、はじめて、この放送法が、民法との整合性を得ることになるでしょう。それが、消費者保護を重点施策とする、現代の日本の行政の目的とも合致するのです。

チャンネル整理をした後に、すみやかに、公共放送の「ミニマム領域」を議論し、定義します。実は、解体プロセスに入る前に、国民の代表者が、公益とは何か? 公共放送とは何か? を議論しています。 その概要は、NHK解体のプロセスについて 其の二で説明しました。解体プロセスの前に、「公共放送」を議論し、とりまとめた上で、実際の解体プロセスを、第一段階〜第四段階まですすめ、チャンネル整理を行った後に、今度は、「ミニマムな公共放送」の領域を「定義」します。公共放送の全面的な定義をやろうとすると非常に細かい規定が必要になり時間もかかりますから、全部やろうとせずに、この解体プロセスの第五段階で、まず、「ミニマムな公共放送」を定義しましょう。 その作業主旨は、公共放送の中で、国民と国土を守るために必要不可欠な各種情報の提供を適切に行う領域のみに限定してコストを算定し、業務を標準化するということです。NHKは、これまですべての放送内容を混乱させ、国民と国土を守るために一体なにが情報として不可欠なのか切り分けする仕事をサボり、国民に分かるようにそれらを提示することをサボりつづけてきました。

第五段階では、国民と国土を守るための公共放送のミニマムな領域を定義します。具体的な放送機能と設備、さらに運用のための作業プロセス、必要な人員・コストを算定します。その定義と機能とコストは、定期的に、国民の利益代表者(NHK解体のプロセスについて 其の一で出しました)の会議体で議論し、内容を更新するための、「更新設計」が必要なのです。この公共放送のミニマムな部分を確定し、それを国民共通の利害と一致させることで、限られた予算で国民が必要とする最小限の公共放送とは何か? が国民と共有可能になるでしょう。 

現状では、「NHKが制作したもの」

が、異論の余地なく公共放送にな

ってしまっています。

公益にかなうとNHKが主張して

制作すれば、その内容がいかな

るものであっても、公共放送とし

て通ってしまうのです。

そういう異常な現状は完全に打

破する必要があります。



国民が公共放送を定義し、議論

する会議体を持ち、NHKの放送

内容が、実際に国民が定義した

「公共放送」に適合的かを判断す

るプロセスをつくれば、十分に可

能となります。



それから、さらに悪いことには、「受信料収入の予算があまっている、番組枠があるというだけの理由で、公益にほとんど関心がないか関心が薄い外の製作会社に制作を依頼されたすべてのもの」は、すべて否応なしに公共放送になってしまっているのです。これが最悪なのです。国民にとって不可欠な公共放送の部分と、そうでない部分を、明確に線引きすることをせず、国民にもさせない。そうやって、NHK内部の恣意的な判断で、公共放送をやりたいようにやる。公共放送を定義せずにやる。


NHKは、防災も報道も娯楽もす

べてを混乱させたまま、明確な

優先順位を国民に示さないまま

に、自分たちが提供する番組なら

ば、すべて必要な公共放送である

かのように一方的に制作し、国民

に押しつけ、巨額の予算を消化し

て平然と居直ってきました。

こういうことを平然と数十年も行っ

てきたのです。限られた国民の

「供託金」で必要不可欠な公共放送

の領域をつくり、守るという意識が

欠落し続けてきたのです。



これは、国民の供託金とも言える受信料を預かる集団としては、まったく不十分なモラルでNHKが組織運営されてきたということの何よりの証拠です。

国民と国土を守るための、緊急時地震速報や防災報道、災害情報、公共交通網に関する情報、甚大な被害をもたらす可能性がある気象情報(平時の気象情報はミニマムな放送の領域外でよい)、日本の国土の保全と国民の生命自由そして財産に関わる権利に関係のある国内政治の動向調査、日本の国土と国民の権利の侵害に関係する可能性のある、外国の法令や外国の動向に関する分析や調査。これらがミニマムな公共放送のだいたいの範囲内となるものです。あとは、いったんミニマムな領域ではないという、「ミニマム外指定」をした上で、あとから分類すべきカテゴリを論じればいいのです。「娯楽」があってもよいし、「教養」があってもよい。解体プロセスの中心には無い事柄なので、解体プロセスが済んでから具体的な議論をして取り扱うでしょう。 ここではとにかく、「ミニマム外指定」をするプロセスが必要です。

「ミニマムな公共放送」と判定し、定義した領域についても、一度判定して、あとはすべて放送事業体の好きにやらせるのではなく、着実に更新設計をしたうえで、更新のプロセスを定め、3年もしくは5年周期で、領域を部分的に定義しなおすか「再定義」し、具体的な放送機能と設備、さらに実運用のための作業プロセス、必要な人員・コストを算定して、国民に公開すべきでしょう。変更点をすべて明らかにし、変更の理由も含めて国民に公開する必要があります。

この第五段階において、さらに重要なのは、ミニマムな公共放送領域の業務を「標準化」する作業をするということです。この「標準化」をがっちりやりましょう。国民(および日本に一時滞在する公民としての外国人)が必要とする最低限度の公共放送領域を定め、そのコストを算定し、維持や運用のために必要な要件を議論し、それらを更新可能とするだけでなく、ミニマムな公共放送の業務を「標準化」するということは、すなわち、NHKでなくても国民の信託を受けた組織が同業務を遂行することが可能となるということです。ただし、この業務は国益に関わる最重要業務ですから、一般競争入札で外国企業が入札することはできません。当然のことです。日本国民と国土を尊重するという活動実績のある組織だけが入札可能であり、業務に従事する場合にも担当企業が独自の方針で実施することはできない方式にします。そして、一般国民の利益代表者や立法・司法・行政の利益代表者とともに放送内容に盛り込む価値を議論し、番組内容を策定し、番組について承認するプロセスが不可欠です。ミニマムな公共放送をコストとして可視化することによって、日本国民と一時滞在の外国人が、いわばメンバーとして参加するための会費≒受信料を算出することが可能となるでしょう。 その価格は、現在の受信料と比較して、とてつもなく低い額に設定可能になるはずです。世帯あたり年額で上限2,000円を超えることはあってはならないでしょう。高齢者は過去数十年に渡って高額な受信料を支払っています。受信料を40年以上支払った実績のある世帯で、かつ、70歳以上の高齢者世帯からの徴収額はゼロにすべきでしょう。彼らはもう受信料を支払いすぎていると言って過言ではありません。

都会や地方の年収200〜300万円程度の世帯の高齢者の方々が、高額の受信料を一方的に徴収され、平均年収が1200万円を超えるNHK職員をやしなってあげなければならない理由は一つもないはずです。高齢者世帯だけではありません。若者の単身世帯や、低所得の核家族世帯なども同様です。半強制的な受信料によって、「公共放送」を名目に、自分より5倍も6倍も年収の多い人々を、しかも1万人規模でやしなわなければらないなどという重すぎる義務を負っている国民は、世界広しと言えども、日本しかないでしょう。公共放送は限られた人員規模で、一般国民と同等の年収に近い人々が担うことで、はじめて国民の負担を要請することができるはずです。圧倒的に高額な所得の人々を大量に雇っている団体が、「公共放送」をかたって、自分たちの組織の現状維持のために一般国民から受信料を脅し取る。現在、NHKはそのような状態に限りなく近くなっています。本来、公共放送を担う側の人々も、自分と同等の年収に近い一般国民の生活や境遇に共感しながら、公共放送とは何かを考え、追求することが可能となるはずです。一般国民が想像もできないような年収と境遇を享受している人々が、一般国民に共感することは無理でしょうし、一般国民の利益を考えて公共放送を構想し制作することはできないでしょう。NHKは過去20年の組織運営によって、それを証明したと言うことができます。

第六段階において、従来の受信料徴収の法的な根拠を根本的に改め、受信料歳入管理組織を立ち上げます。「日本放送協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」などという古くさい文句は完全に消滅するでしょう。この従来の文句は、「日本放送協会の放送を受信することのできる設備を持っている者は、思想信条の自由や放送を取捨選択して視聴する権利を持っているにもかかわらず、その自由や権利を犠牲にして、協会が恣意的に制作するすべての放送についてコストを負担しなければならない」と言い換えることができます。こんな馬鹿げた法は改正するしかないでしょう。具体的には、受信料に関する放送法の完全な改正を行いましょう。

さらに、NHKとは完全に別組織として受信料歳入管理組織を立ち上げ、放送法の中に、この新たな組織の役割を定義します。つまり、受信料という収入が、集金者を通じてNHKにダイレクトに注入されている現状を完全に改めるのです。 国民視聴者の受信料 → 受信料歳入管理組織(NHKとは完全別組織)→ NHK という金の流れを作ります。これは、イギリスで採用されている組織形態です。BBCは、NHKが公共放送の類似の法人として都合のよい時だけ引き合いに出しますが、そもそも、受信料の回収は行っていないのです。経営という観点で見た場合に、BBCは、NHKとは全く異なる団体です。受信料に相当する語は英語で、license feeと呼ばれていますが、イギリスの国民とBBCの間には、BBCからは完全に切り離された政府系のConsolidated Fund という管理団体が介在しているのです。イギリスの国民は、BBCに受信料を支払うのではありません。Consolidated Fundに対して支払う仕組みです。そして、Consolidated Fundが必要な予算をBBCに付けるのです。

Television licensing in the United Kingdom (Wikipedia)

イギリスのケースをそのまま適用する必要はありません。日本国民の民意が反映するように、NHKとは切り離された別の受信料歳入管理組織を設計し立ち上げることが重要なのです。必ずしもそれが政府直属の管理部門である必要はないでしょう。とにかく、公共放送の契約と集金部門をNHKの業務から外し、国民の意志に基づく組織として立ち上げるということです。受信料の管理、NHKへの出し入れは、公共放送の出資者である国民が堂々と国民の意志で行うというスタイルを定着させましょう。

これまで国民の受信料を直でNHKが徴収してきたから、NHKはいくらでも大金をプールして国民の民意に沿わない使い方をいくらでもできるようになってきたのです。無駄遣いもやりたい放題です。理事以下の特定のポストに就いた者が長期間巨額の受信料をとり放題です。架空発注の犯罪は何度も起きています。関連会社への金の注入も外観を装えばほぼフリーです。受信料収入が増えれば増えるほど、NHKの組織は腐敗し続けてきたと言えるでしょう。限られた予算で国民のために必要な公共放送を作り上げるという意志は完全に廃れました。代わりに、プールしている多額の有り金を自分の私物として好きなように用いるというエゴイスティックなNHKの組織意志だけが現在はあります。こうした状況を改善するためには、NHKは、直接受信料収入を受け取ることはできず、「歳入管理組織」に申請して、国民のために必要な放送であることを説得的に説明して、特定番組のための予算を得ることができるという仕組みにする必要があるでしょう。

受信料歳入管理組織(NHKとは完全別組織)を間に挟むと、以下のような図になります。契約も解約も、この新組織が担当すればよいことにします。受信料の契約と収納をする機能や、受信料をプールする機能は、NHK内部には無くなります。NHK内の営業部門が嘱託の職員をやとったり、あるいは、契約と受信料徴収を自由に下請けの会社に委任することはできなくなります。

shin004.png


従来のフローと新たなフローでは、受信契約をする組織が異なります。従来はNHKの営業担当もしくはその下請けが受信契約を担当していましたが、新たなフローでは、新設の受信料歳入管理組織が受信契約を全責任のもとに担当します。そして、「契約」および「解約」を導入します。受信料の契約と解約も、一般社会で用いられているものと同じ標準的なものにしましょう。契約とは、当事者として固有の意思を持つ両者による、明文化された規定についての合意を指すものです。契約当事者双方にとって、納得できない規定があるならば、契約することはできないはずです。また、現状では、受信設備を備えていない(=テレビを設置していない)、もしくは、受信設備が壊れており機械的に機能しない(=テレビが動作しない)場合のみに、NHKを解約するという選択肢が取れるようになっていますが、これを完全に改めましょう。テレビをアンテナとともに設置しているというだけで、強制的に契約させられ、解約できないというのは、異常な状態です。自分の強い意志でNHKを全く視聴しない人も、テレビを所有しているか、テレビが壊れていないならば、NHKを解約できないことになるのです。これは、一般的な契約の概念とはまったく異なる状態です。

NHKの受信料を、公共のインフラに対する必要

不可欠な会員費と見立てて、受信料の徴収を

正当化しようとする主張もあるかもしれません。

しかし、これもおかしな主張なのです。


NHKよりも公共性の高い、電力供給のケース

から、この主張の誤りを論証しましょう。


東北大震災の後に福島第一原発事故がありまし

たが、仮に、あの事故で東京電力に完全に不信

感を抱いた人が、自分の世帯を完全に東京電力

の送電に依存しない自家発電方式に切り替えたと

しましょう。東京電力の電力をまったく使用せずに

年間を通して自家発電による電力供給を可能にす

るのです。すると、どうでしょうか。


この場合、東京電力という会社は、「東京電力の

電力がいつでも使えるように、お宅の至近まで

電線を引いているから、お金を支払う義務がある」

「自家発電していると言ったって、元の宅内への

電力の引き込み装置はそのままなのだから、

東京電力に対してお金を支払う義務がある」

「公共のインフラ維持に必要だから」という理由で、

他の世帯とまったく同額の電気の基本料金を請求

できるでしょうか? 無理でしょう。


これは法的な問題以前に、最も基本的な人間の

権利の問題なのです。


サービスを受け取らない人は、契約当事者になる

ことはできないし、彼に対して契約を求めることは

できないのです。それは、電力の供給においても、

放送の供給においても全く同じ事柄なのです。



すでに久しく前から、テレビとは一般の世帯で極めて容易に購入し設置可能な電機製品であり、さらに今となっては、テレビの受信をメインの機能としないパソコンや携帯電話も、消費者の意思いかんに拘わらず、テレビ受信が可能な機種を継続して使用する可能性があります。携帯電話のケースが典型的ですが、ワンセグは一機能にすぎません。これらを一般世帯と同様の受信端末とみなして、同等の課金をすることは、果たして公正と表現しうるでしょうか。これも無理でしょう。公正な受信料の徴収を徹底するという意思をNHKが貫徹するためには、「受信契約をしていない世帯」には、NHKの番組の視聴ができないようにするだけでよいのです。これは全く不可能なことではなく、技術的には非常に容易な方法で可能でしょう。 国会の委員会での質問などでも、スクランブル放送を導入検討すべきだと質問する質問者がいます。受信契約をしていない世帯に「契約のお願い」の20行程度の文字字幕を全画面表示に拡大して、番組の内容が分からないようにすればよいという意見もあります。デジタル放送に切り替わってからは、このような個別処置も容易に可能でしょう。技術的に何ら困難はないはずです。これに対して、公共放送をくまなく行き渡らせるために、個別の世帯を受信不可能とし、排除することができないとNHKの関係者が答えているのを見ますが、問題外です。公共放送がNHKのテレビ番組でなければならないと誰も前提にしていません。ラジオでもよいですし、NHKのラジオでなくても、一般の民放ラジオを通して自然災害やその他の必要不可欠な情報を受け取ることは可能です。インターネットでも公共性の高い放送を提供している組織はたくさんあります。気象庁のサイトなどを通して自然災害に関する情報は多く知ることができるのです。

新設の受信料歳入管理組織に関する説明をしましょう。この組織は、歳入と受信料の出し入れをメインで管理する機関として、年次予算を組むのではなく、プロジェクト制で予算を組めるようにする必要があります。可能ならば、最終的な歳出と決算を会計検査院に監査委託するという方式を採るのがいいでしょう。現状の会計検査院が、プロジェクト制の予算を細部まで監査できないのならば、会計検査院のシステム本体を刷新すべきです。刷新できないのならば、受信料歳入管理組織の監査を独自の方法でプログラムする必要があるでしょう。 諸外国で進んだ会計検査システムを導入している国においては、年次会計だけでなく、プロジェクト制の会計方式にも完全対応できる柔軟なシステムを構築している国がいくつもあります。この点では、国の仕組みが全然ついていっていません。総務省に行政評価局というのが2001年にできましたが、残念ながら、予算と決算を監査する総合的な機能を持っていません。この行政評価局が、受信料歳入管理組織の歳出を包括的に監査し評価することは無理でしょう。平成12年〜13年の、参議院憲法調査会- 予算・決算の在り方と会計検査院 というトピックを見ても、旧態依然とした年次会計の枠組みから脱出することができず、会計検査院が複数年度にまたがるプロジェクト制の予算を包括的に監査、評価するための仕組みが無いことが分かります。残念ながら、会計検査院に監査を委託しても「監査できない」ということなら、仕方ないので、一般の監査法人に監査を委託するでしょう。

予算の方式について少し説明を追加します。一年という単年度をすべての基準として作られる年次会計の有害さ、年次会計が組織の腐敗を生んできた理由について説明をする必要があります。年次会計は年単位で包括的に会計規模を管理することができるように見えるため、一見すぐれていますが、年度内の予算消化を無理にやろうとする無駄、内部の部や課が無理やり会計名目をつくって強引に内部留保金をプールしようとする無駄が頻発します。こういう無駄金のある所には必ず国民の誰も必要としていない使えない権力者が付くのです。部や課の内部の留保金を増やそうとし、国庫に返納しない。最悪ですね。とにかく、単年度だろうが複数年度にまたがろうが、プロジェクトを高精度で作り上げ、プロジェクトに応じて予算を配分してもらい、「金が足りない」という状況が発生しないようにする。もし金が余ったら、プロジェクト完了後に、1円単位ですみやかに受信料歳入管理組織に返納する。そういう仕組みを構築する必要があります。

この受信料歳入管理組織を国民の手で独自に立ち上げできたら、画期的です。財務省の管轄に入れないようにして、日本国民の意志代表者が中心となって、立法・司法・行政の代表者の諮問を受けながら、この歳入管理組織を立ち上げることができたら、それは、日本の歴史に残るものになるでしょう。そのような歳入管理組織は、ミニマムな予算規模で、ミニマムな公共放送の範囲が定義されることによって、立ち上げが現実的なものとなるはずです。しかし、間違っても、現行の国の会計のように、一般会計と特別会計のような詐欺的な見せ方にしてはいけないでしょう。「ミニマムな公共放送」の予算を一般会計でクリアに確立して、決算もばっちりやっているのに、その一方で、国民のよく分からない巨額の特別会計があって、「ミニマム外指定」された放送をすべてごたまぜにして、いい加減な会計をやっていたのでは、意味がありません。ミニマム外指定した部分については、今回は扱いません。次回以降に言及の対象にしましょう。

第七段階以降は、新しい運用の話を展開したいと考えています。
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2014年01月25日

就任時にまともさを発揮した籾井NHK新会長

 
籾井勝人(もみいかつと)という人が、NHKの新会長に就任したそうです。
就任会見の一部内容を、つかえない新聞社が報道しているのを読みましょう。

何度か書いていますが、戦時売春婦は、単なる売春婦であって、日本の法の下に売春婦を営んでいた人々が、世界的に見て特別な人々だったわけではありません。

ご注意いただきたいのは、戦前の日本国民が呼んでいたイアンフと、戦後のイアンフは別の存在だということです。戦前において、イアンフ という呼び名で表現していたのは、日本国内行政の公衆衛生の法にもとづいた売春婦です。売春婦をいたわる気持ちを表現して、イアンフなどという特殊な呼称を用いていた。これが戦前です。 

そして、戦争が終わりました。戦争が完全に終結した「戦後」において、「過去の売春婦」という法的なステータスを表現するために、イアンフなどという語を使用する必要は、もはや完全に無いのです。 戦後に用いられるイアンフは、一貫して、 戦時売春婦 英語 : prostitute in war time / ラテン語 prostibulum in bello と表記し、国内・国際におけるコミュニケーションレベルでも使用すべきでしょう。法的なステータス、権利の主体として、そのように定義された方がよいでしょう。

この人々は、当時の日本の公衆衛生に関する国内法によって、売春の営業許可を申請し、その許可を与えられ、両親の強い意向、あるいは自分の固有の意志で売春を営み、自分名義の銀行口座を現地の横浜正金銀行もしくは郵便局に開設することができ、そして自分の希望する通貨で売春の報酬を受け取ることができ、さらには、その報酬を自分の自由意志で一貫して処分できた人々です。

最近では、戦時売春婦の管理を担当していた人物の日記が発見され、律儀に横浜正金銀行で高額の売春の報酬を送金する手続きなども分かってきています。事実が明らかになればなるほど、その大半は、自分の身体を堂々と商売道具にして、どこまでもそれを換金してやろうという、やる気まんまんだった人々です。


以上をもとに、今回の記事の内容を確認しましょう。戦時売春婦を吉田という虚言癖のある人物を使ってプロパガンダとして着火し、過去30年以上にわたって日本国民に損失と精神的ストレスを与え続け、日本国政府に損失を与え続けている公益に著しく反する新聞社の記事を見てましょう。 下線部に注目してください。 この公益に反する新聞社は、この下線部によって、客観的な公平性ではなく、自らの法人としてのローカルな主張を露骨にアピールしようとしていることが分かる。

朝日新聞デジタル 1月25日(土)17時37分配信
NHK籾井新会長「従軍慰安婦、どこの国にもあった」

 NHK新会長の籾井勝人氏は25日の就任会見で、従軍慰安婦について「戦争をしているどこの国にもあった」と述べた上で、日本に補償を求めている韓国を批判した。従軍慰安婦問題を取り上げた過去のNHK番組に関連し、この問題に関する見解を問われ答えた。籾井氏は会見で放送法の遵守を語ったが、その放送法がNHKの番組に義務づけている「政治的公平性」を疑われかねない発言だ。

 籾井氏は従軍慰安婦問題について「今のモラルでは悪いんですよ」としつつ、「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの名を挙げた。「なぜオランダに今ごろまだ飾り窓があるんですか」とも述べた。飾り窓はオランダにある売春街を指す。

 さらに、個人的発言と断った上で、韓国についても「日本だけが強制連行したみたいなことを言っているから話がややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っている。しかし、すべて日韓条約で解決している。なぜ蒸し返されるんですか。おかしいでしょう」と批判した。その後、会長会見の場であることを指摘される
と、発言を取り消した。

 NHKの海外向け国際放送については、尖閣諸島、竹島という領土問題について「明確に日本の立場を主張するのは当然。政府が右ということを左というわけにはいかない」と述べ、政府見解を積極的に伝える考えを強調した。

 また、籾井氏は特定秘密保護法について「世間が心配していることが政府の目的であれば、大変なことですけど、そういういうこともない」「あまりかっかすることはない」と述べた。


籾井氏の話は、一般国民の良識を反映した

ものであり、すべて正しい内容です。個人的

発言か、NHK会長という公人としての発言か

どちらとしても通用させるべき内容でしょう。



なぜなら、NHKは、一般日本国民の受信料によって経営されている法人であり、朝日新聞社のように営利団体ではないのですから、自社の方針で日本国民に特定の論調をつくらせようとしたり、特定のプロパガンダを拡散する資格は完全にゼロだからです。

朝日新聞社をはじめとする傲慢不遜なマスゴミの態度、つまり、

「自分たちが世論をつくってやろう」などとい

う気張った態度をNHKが持つ必要はまった

くありません。そうではなく、NHKは、すでに

存在している日本の伝統や価値観、あるい

は、日本国民の良識に基づく世論を汲み取

って、それを公平に取り扱う放送をやれば

いいだけなのです。 その程度の作業が困

難なこととは思われません。


しかし、NHKは困難ではないはずの仕事を集団としてわざとさぼり、いまだにGHQの支配下集団であるかのように行動し、発信し、日本国民と日本の国土のために必要な放送、報道をさぼり続けているのです。

籾井氏には、引き続き、日本国民としての良識に基づく自分の意見を保持し、その上で、NHK会長としての任にあたっていただきたいものです。籾井氏は、NHKが、シナや南朝鮮の反日報道局と取引があるからといって、日本国民としての良識を棄てることはありません。 一般国民の良識から、どちらが正常かを常に判断してもらいたいものです。

AとBを比べれば、どちらを選択すべきか、明らかでしょう。

A: 世界でもきわめて稀な、わずか2つか3つ

の外国の反日政府の圧力が常にかかっている

NHKという集団の暫定的なトップに自分がなっ

たから、日本国民の良識に基づく世論を無視し

自分も日本国民の良識を棄てるべきなのか。




B: 日本国民の良識に基づく日本国民の世論

を尊重し、日本の国益のための放送を志向し、

NHKという
外国の反日政府の圧力がかかって

いる法人を根本から叩きなおさなければなら

ないのか。




日本の一般国民が納入する税金に極めて近

い受信料によって組織が成り立ち、主権者で

ある国民と日本の国益のために放送という任

務を負った団体のトップならば、B を常に選

択すべきことは、100%疑いの余地がありま

せん。


A を選択するということは、単なるローカルな個別利害の主体であるNHKという組織を尊重するということであり、しかも、国民の民意や日本の一般世論に価値を置くことなく、国民視聴者の意志を犠牲にした上で、あたかも反日国家の利害を代表する偏向組織としての側面を持ったNHKという組織を尊重するということにほかなりません。 国民視聴者の「受信料」という出資金によって一元的に組織の経営資金がまかなわれているにもかかわらず、国民視聴者の民意を無視し、国民視聴者の意志を犠牲にする。しかも、特定の反日外国政府のプロパガンダや圧力のためにそうする。こんなことは、ありえない行為です。民主主義の国ならば、広く一般国民の意見が自由に述べられる仕組みをいくらでもNHKがつくり提供した上で、公正な議論に訴え、それをすべて国民視聴者に放送すべきでしょう。NHKは、それを封じているのです。自由な議論を完全に封じているのです。「大東亜戦争」という語ひとつとっても、完全に使用禁止にしている。GHQの支配下組織として、いまだに主権国家日本に相応しい放送コードを構築したことがないNHKは、それを自力で構築することはもう絶対にできないでしょう。もうあきらめるべきときです。

その上で、今度の会長の方には、是非ともNHKを解体へ導いていただきましょう。とにかく、敗戦利得者として、サンフランシスコ平和条約締結後も、一度も放送コードを見直したことの無いNHKは、主権国家日本のために必要な放送とは何か? を過去に一度たりとも真剣に検討したことがなく、「主権国家日本に必要な公共放送」を一度も定義した過去がありません。もう無理なのです。それどころか、 主権国家日本を想定していない法人がNHKであり、NHKはこの20年、以前にもまして、日本国民と日本政府の主権を尊重しない内容を繰り返しています。日本の国土・領土・領空を尊重する意識を国民の間で共有したり、教育する内容の放送を制作し放送するのをさぼり続けていますから、むしろ、「主権国家日本」は、国民の主権を行使することによって、NHKを解体してしまわないといけないのです。

NHK解体の論拠とそのプロセスについて

NHK解体のプロセスについて 其の二
posted by 警鐘凡打 at 21:59| Comment(2) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月16日

都知事選の争点 〜 東京五輪の準備として国際警察との提携強化を


東京都知事選挙が、平成26年2月9日投票であります。
これについて、すこしかたります。

選挙の争点ということを、テーマにしましょう。
幾つかの争点ないし論点があって、当然だと思います。

日本の中心である首都東京の何に、都知事が重大な関心を示しリーダーシップを発揮するのか?

都知事の資質は選挙ではなく、選挙が終わった

後に問われるのです。


「反原発」を主張している、七十六歳の候補予定者がいることを円猿は知りました。高齢な人には尊敬を持ちたい円猿ですが、彼は別です。全く尊敬の念をもてないです。まったく。なぜなら、この候補予定者は、「選挙」だけにしか関心がないからです。選挙が終わって、万万が一自分が当選したら、実際に都政として何をするのか? からっぽなのです。なんにもないのです。ゼロなのです。

彼は、「反原発」を実現するための、政治プロセスを開始するでしょうか? 東京都で? 何をするのでしょう?おそらくは、何もしないんでしょう。 「反原発」をプロパガンダとして大声でしつこく発音し、それで都民に投票させようとしているのです。 卑劣きわまりない人間です。 政治からもっとも遠くにいる人物といって間違いないでしょう。 それから、

「反原発」を主張し、その実現のために一単位

でも作業をすすめたいという真摯な思いがある

のならば、実際に原子力発電所がある県の知事

になるべきではないでしょうか? 原発の放射性

廃棄物処理施設がある県でもいいと思います。

自分の残りの人生を、とにかく「反原発」に賭け

行動したい。そういう誠意と熱意がある人物なら

ば、きっとそうするでしょう。



しかし、彼はそうではない。自分の人生のこれっぽっちも「反原発」に賭けているわけではないし、行動する予定もゼロなのです。彼は、ただ単に

実際には一切何も行動しないが、反原発をプロパ

ガンダとして掲げ、2月9日の投票日までの選挙を

たたかうことならば、自分にでも何とかできそうだ。

だから数週間の辛抱だと思ってやってやろう...



そのように、老醜をあらわに不潔きわまりない打算をやっていることが分かりますね。要するに、


自分が選挙後に一単位もやりもしないことを

主張して、都民の多くに自分に投票させてや

ろう、それはできる。そう打算したということな

のです。これは、都民の政治参加をどこまで

も愚弄する思考であり、都民の投票という政治

参加を徹底的に侮辱する打算です。



間違いないところですので、円猿はこのように主張したいと思います。この主張に反論するのも結構です。反論するならば、他人事ではなく、自分自身の行動が確実に含まれる、そのような反原発を実現するための実現可能なプロセスを提示してもらいましょう。自分の行動計画を説得的に示してもらいましょうか。それができないのならば、それはただ単にプロパガンダにすぎないし、政治ではないと断言できます。自分の行動計画を示さないで主張するのなら、誰にでもできるのです。実現可能性が設計されておらず、自分の責任を伴う行動がぜんぜん埋め込まれていない主張。それを、「プロパガンダ」と呼ぶのです。 ですから、この人物は、一言で言えば、「政治ではないことを口にして選挙をする」。 こんな矛盾そのものを七十六歳で実際にやっています。都民の知的な能力を猿よりも低レベルなものだと想定しなければ、こんなことはできないでしょう。都民を知的な存在として認識できず、愚民とみなす。それを平気でやることができるのです。だってそうでしょう。都民すべてが、「反原発」→「自分に投票」 という猿以下の判断メカニズムで機械のように投票するだろうと打算し、しかもそれを強く熱望しているのだからです。徹底して都民を愚弄する人間でなければ思いつかないような打算です。クズ以下の最低としか言いようのない現象です。本当に信じられないようなことです。

考えてみてください。もう一昨年前になりましたが、「日本未来の党」などという愚劣な人々の集団が、「卒原発」などという完全なプロパガンダを掲げて、国民を投票させてやろうと不潔な打算をやっていました。この党は選挙で完全に敗北しました。するとどうなったでしょうか? 今も、「卒原発」を最大の自分の課題として、原発を廃止するプロセスに日々取り組んでいる人物がいるでしょうか? ゼロですよ。誰もそんなことをしていません。わずか13ヶ月前の出来事なんですよ。何十人もの不潔人間が、うれしそうに小躍りして、お祭りでもやるかのように「卒原発」などとキュウカンチョウのように繰り返して、それで、誰にも相手にされなかったら、一単位の行為にもむすびつけないで主張を棄てる。円猿から見れば、キュウカンチョウ以下の人々です。 正直、こういうのは、人間集団の現象とは思えません。吐き気を何度ももよおすほどに気持ちのわるい現象だと思いました。

さて、そういう国民や都民の政治参加の機会を愚弄することだけに関心を用いることができる人間は、自分で人間であると主張することは難しいのではないかと円猿は思うのです。とりあえず、キュウカンチョウの大きめの糞くらいを名乗ってもらいたいものです。

これからは、もう少し建設的な話にうつりましょう。今回の都知事選挙の争点として、それですべてではありませんが、平成32年(2020)年の東京五輪のための治安対策や危機管理は、重要な争点になりうるでしょう。 その点に関してですが、次に都知事に就任する人物は、この東京五輪の準備として、ぜひとも国際警察(インターポール)との連携を計画的にやってほしいのです。国際警察は、正式には、国際刑事警察機構というらしいです。これは、知人からアイデアをもらいました。しかし、かなりいいアイデアだと思います。ぜひ実現してもらいたい政策です。

警察組織の機能には、幾つかの基本機能というべきものがありますが、重要なものは、「犯罪防止」「犯罪捜査」「危機管理」「公安」ではないかと思います。警察の機能定義を円猿は知りませんので、他にもあるかもしれませんが、主要な機能はこの4つだと思いいます。 これらの中で、国際刑事警察機構(インターポール)と提携して、東京五輪の準備として着々と進めることができるのは、まず「犯罪防止」「危機管理」の分野でしょう。調べてみたら、生体認証システムを国際刑事警察機構(インターポール)と連携して運用している国もすでにあることが分かりました。これなどは「犯罪防止」策の一つですが、他にもアイデアを出し合って五輪の前に必要な体制をつくっていくことができると思います。また、いざ犯罪が起きた場合の「犯罪捜査」についても連携のための議論や訓練ができるかもしれないですね。

調べたら、なんと国際刑事警察機構(インターポール)は、日本企業であるNECとサイバーセキュリティ対策で2012年に提携していたのです。その内容を転載します。日本国内の通常業務で連携は難しいかもしれませんが、世界各国の選手や国民がかかわる五輪での連携は、まさにどんぴしゃりではないでしょうか。次の都知事には、サイバーセキュリティだけでなく、他の部門でも連携を検討してもらいたいです。

インターポールとNECがサイバーセキュリティ対策で提携
2012年12月18日
国際刑事警察機構
日本電気株式会社

国際刑事警察機構(本部 フランス リヨン市 以下、インターポール)とNECは、グローバルなサイバーセキュリティ対策で提携しました。本提携は、インターポールの国際的なネットワークとNECの最先端のサイバーセキュリティソリューションにより、複雑で高度化するサイバー犯罪などを調査・分析し、国際レベルでのセキュリティ強化を目指すものです。

インターポールは、国際的な犯罪を防止するため、1956年に世界各国の警察で結成された世界最大の国際組織で、190カ国が加盟しています。同機構は、2014年に新たなサイバー犯罪に関する研究開発・トレーニング・捜査支援活動を行う施設(The INTERPOL Global Complex for Innovation)をシンガポールに設立する予定です。
今回、NECは、同施設内に設置される「インターポール・デジタル犯罪捜査支援センター(The INTERPOL Digital Crime Centre)」に、サイバーセキュリティに関する脅威情報を調査/分析し、新たな捜査手法を開発、トレーニングするためのシステムと要員を提供します。これにより、両者は共同で、インターポール加盟各国へ提供する最先端のサイバーセキュリティ対策の開発に取り組みます。

本提携の期間は3年間で、NECはサイバーセキュリティソリューションのパートナー(注)である株式会社サイバーディフェンス研究所、株式会社ラック、株式会社フォティーンフォティ技術研究所とともに、Digital Crime Centreに約760万ユーロ相当となる、製品・ソリューションの提供およびサポート要員の派遣を行います。

インターポールとNECは、本協業のもと、互いの強みを結集し、さらに複雑化、高度化するサイバー犯罪などへのセキュリティ対策を強化してまいります。


本提携の期間は3年間とありますから、まさにNECは国際刑事警察機構と「提携中」なのです。日本企業あっぱれです。NECあっぱれです。これは、東京都の五輪開催準備にとって、かなりの追い風ではないかと円猿はすぐに合点しました。次に東京都知事になる人物は、上で転載したニュースに出ている、国際刑事警察機構(インターポール)がシンガポールにつくっているという施設(The INTERPOL Global Complex for Innovation)を視察して、さらにはNECと国際刑事警察機構(インターポール)で共同で運用している仕組みに精通し、ただ声明や共同文書を出すだけでなく、長期計画のもとに演習や訓練をともにしながら、警視庁+国際警察の提携を実現する基礎を着実につくってほしいと思います。
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2014年01月10日

NHK解体のプロセスについて 其の三


具体的な解体プロセスを語ります。今回は、第四段階までいきましょう。

第一段階 : NHKの現体制の全ポスト(職位)の精査とリストラ。全訴訟の取り下げ。
第二段階 : NHK内に不当に常設されている外国放送局を排除。
第三段階 : NHKの関連株式会社への、受信料を用いた決済、取引を停止
第四段階 : チャンネル整理。


まず、四段階の作業フレームを構築します。作業関係者を選定する。すべてのプロセスを管理し、作業プロセスの公開方式を選定します。一般の国民視聴者が定点観測可能にします。インターネットのNHK解体専用ホームページにおいて、一日単位で作業の進捗状況を確認できるようにします。

第一段階 : NHKの現体制の全ポスト(職位)

を精査し、暫定ポストを選定します。


これは、最終的には、NHK内の必要でない部門の選定と閉鎖につなげる意図があります。一般企業でも同様ですが、人事には高次の経営担当者の個別意思が強く反映しますから、一般国民の常識では想像できないような、あってもなくても公益には影響のないポストが多数つくられ、利害関係者の間で使い回されているはずです。ポストの使い回しほど、無駄な事象はありません。この使い回されているポストを検出することは重要ですが、一刀両断にこのような作業ができるとは限りません。

そのため、まず最初に、NHK内に存在する全ポストを精査します。視聴者国民に対して、NHK内の全ポストの業務内容と給与を公開しましょう。今まで公開されていなかったことが不思議ですが、すみやかに公開する必要があります。これには時間はかからないはず。名前を聞いて内容不明なポストや業務については、一般国民視聴者から任意で問い合わせを受付けましょう。そのすべての説明責任を、NHKに果たさせる必要があるのです。

その後、不要ポストを議論するプロセスをつくります。網羅的にリストアップされたポストの中から、不要なポストを、なぜ不要かを説得的に説明しながら議論する。その後、不要と考えられるポストをひとまとめにして、「暫定ポスト」を設置します。不要ではないと判定されたポストは、「正規ポスト」とします。

「暫定ポスト」に置かれたNHK職員は、自分の業務を標準的な業務として、「正規ポスト」として残った人々にすべて引継ぎ可能とするためのプロセスを検討し、引継ぎまでを実行します。暫定なのですから、効率的にポストを無くす作業が仕事の本体になるべきなのです。このような仕事を担当させると、サボタージュするNHK職員が出てくる可能性があるでしょう。「暫定ポスト」の引継ぎプロセスでは、すべての行程を管理する監査集団をNHK内に派遣し、「暫定ポスト」の処理が適切に進行するよう監視します。そして、サボタージュのひどいNHK職員に対しては指導をしますが、デッドラインを設けましょう。指導しても業務完遂の意思がない職員については、その作業を監査担当者にバトンタッチしましょう。そして、暫定ポストの引継ぎ業務をサボタージュによって放棄した職員は、「公益にもNHKという法人の業務にも貢献する意思のない職員」として認定した上で、休職させます。 「暫定ポスト」は、その後当然撤廃です。以上の作業は、実質的なリストラに相当します。

「暫定ポスト」の引継ぎを適切に実施できたNHK職員は評価し、次の段階の作業の主任として作業にあたってもらいましょう。しかし、あくまでも、国民の利益代表者、立法・司法・行政の利益代表者が上位に立つことです。 前回に説明した「其の二」の解体前段階までに、幅広い議論をおこない、また、「公益」「公共放送」をじゅうぶん国民の常識にしたがって定義できていれば、国民の利益代表者が一貫して、NHK職員に指揮を執ることは可能なはずです。

NHKが抱えている現行のすべての訴訟は、この第一段階において、すべて取り下げる必要があります。これほど国民のためにならない、公益に反する行為はありません。前回も述べましたが、「公共放送」を名乗る団体が、国民視聴者から徴収した受信料で弁護士を雇って国民を相手にしつこく裁判をつづけ、自分の主張を押し通そうとすること自体が自己矛盾なのです。すみやかに終了する必要があります。

第二段階 : NHK内に不当に常設されている

外国放送局、外国放送局の関連事務所を排除

します。


現行の放送法、その他の法にもとづいて実施可能な作業プロセスですが、実施困難な場合には、特別法をつくり対応します。前回「NHK解体のプロセスについて 其の二」で説明しましたが、NHKは、日本の主権回復前(昭和25年)と主権回復後(昭和27年〜)において、公益も公共放送も定義していません。定義しなおすという作業もしていない。 NHKにとっては、日本=主権国家であるかどうかは、どうでもいいことだということです。主権国家である日本は、彼らの考えている「公益」「公共放送」にはどうでもいいことなのです。だからこそ、あまたある世界の国家の中でも数少ない、ほとんど数えるほどしかない反日国家、反日政府の傀儡放送局である、シナの放送局(CCTV)、南朝鮮の放送局(KBS)を、渋谷の放送センターに入居させ、業務提携することができるのです。 国民の生命・自由・財産を守り、国土を守るという公益、そのような公益に基づく公共放送を妨げる要因は、いったんすべて取り除かなければなりません。したがって、NHK解体プロセスのかなり早い段階において、シナと南朝鮮の放送局の排除を徹底して行う必要があるでしょう。

第三段階 : NHKの関連株式会社への、

受信料を用いた決済、取引を一部停
します。


NHK関連会社は、株式会社なのですから、国民の受信料に依存する必要、受信料を原資とした取引に依存する必要は全くないはずです。受信料に依存しない原資を持ち、そして、日々の業務本体を、受信料に依存していない会社だけが、「一般企業」「株式会社」として認定可能でしょう。 したがって、受信料を流して取引してもらえなければ業務を続けられないような株式会社ならば、それは、公益にかなっていないということです。日本の社会に必要とは判断できないのです。よって、このNHK関連企業への受信料を用いた取引は、徐々に減額し、最終的には全面停止にしましょう。

NHKの関連会社が法人として存続するために受信料が原資の金を必要としない場合は、そのまま業務継続させます。受信料が原資の取引がなければ存続できない場合は、すべて株式会社を国民視聴者の監視のもとに清算し、内部留保金(=間違いなく受信料です)、資本金(=間違いなく受信料です)は、いったん全額を凍結しますが、その後、全額を国民視聴者に返還します。存続できないNHK関連会社は、NHK内にいったん戻します。戻しますが、ただし「監視ポスト会社」とする。

以上ですが、この第三段階が終わった時点で、ようやく、NHK組織本体のリストラと、受信料で成り立っているNHK関連会社の整理が実現したことになる。NHK解体の作業プロセスは、これ以降が本丸となるのです。

第四段階 : チャンネル整理をします。


テレビ4チャンネル、ラジオ2チャンネルの全チャンネルの1日のモデル運用コストを算定し、細目とともに国民に公開します。テレビは間違いなく高コストですが、それが具体的に明らかになるでしょう。テレビ4チャンネルの高コストが明確になるはずです。その後、テレビ4チャンネルを、計2チャンネルに削減する総合計画案を作成します。地上波1チャンネル、BS1チャンネルでの放送体制を構築する。そのために必要なのは、公益にかなっている度合いを判定する判断指標でしょう。ミニマムな公益に関する放送の範囲を検討し、公益にかなっている度合いを、番組ごとに点数制で定量的に評価します。 検討、議論する順番は、「国民と国土の保全」「その他の国民の利害関心」「国民の単なる時間つぶしの娯楽」でランク付けするでしょう。具体的には、 緊急地震速報・防災・災害報道→ 天気予報 → 報道(国内) → 教育・福祉 → 報道(国外) → ドキュメンタリー →娯楽全般 の順番でいいと思います。カテゴリをもっと増やした方がいいという意見もあるでしょうし、順番について異論がある場合もあるでしょう。議論すればいいことです。国民の利益代表者が意見を出し合って議論すればいいのです。

公共放送は、放送内容としても組織としても、

本来、規模が大きくなりすぎないように管理

される必要があります。限られた財産によって

ミニマムな運用を志向する必要があるのが、

本来の「公共放送」なのです。

これに対して、NHKは、あきらかに規模が大きくなりすぎた法人です。それも、職員規模や予算規模で、ある地点を定め 「ここまで大きくなろう」 という具体的な構想も何もなく、巨額の受信料を単に徴収し続けることができただけの理由で、行き当たりばったりで、徐々に徐々に大規模化してきたのです。 もし、受信料の徴収が過去に厳しく制限され、NHKの予算規模が現在の三分の一、五分の一に制限されていたならば、NHKの規模もそれに合わせた規模になっていたはずです。要するに、

NHKはカネ(受信料)だけが規模のベースだ

ということなのです。
 

そういう法人は、必ず腐敗しますし、自己管理ができないまま驚くほど長時間を平然と過ぎ行かせるものです。 NHKは、公益が法人としての規模のベースにあるわけではなく、公益を尊重した公共放送が規模のベースにあるわけではありません。繰り返しますが、限られた財産によってミニマムな運用を志向する必要があるのが、本来の「公共放送」なのです。そうでなければ、民業を圧迫するでしょうし、自己管理ができなくなるでしょうし、自浄作用がはたらかなくなるでしょう。公共放送こそ、限られた予算規模・職員規模の中で、工夫を凝らして、様々な試行錯誤と放送のバリエーションを追求し、公益に応えようとすべきなのです。

話がそれましたが、この段階の作業においては、「番組の総数管理」の方式を導入しましょう。これはNHK解体後の公共放送の運用を想定しているのです。公共放送は、ミニマムな予算規模、限られた規模を維持する必要がありますから、番組の数を増大させる必要はありません。公共放送は、総数として限られた番組の中で、公益に配慮した番組をつくる努力をたゆまずに行い、そして、番組の「数」ではなく、「質」に徹底してこだわる必要があるのです。

また、地上波とBSだけでなく、この段階で、NHKによる国際放送の内容の吟味と必要性の判定も行います。また、NHKが排他的に関係している放送大学の内容の吟味、運営の適正かの判断、さらに必要性の範囲の判定も行います。また、NHKがやっている「技術研究」内容の吟味、基礎研究と応用研究の実内容の全容を国民に公開します。さらに、海外支局の業務が適正かの判定も、この段階で行うでしょう。


第五段階以降は、次回に集中的にかたりたいと思います。
次回で、素描としてのNHK解体プロセスのすべてを、かたり終わりたいと思います。
posted by 警鐘凡打 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする