2015年02月11日

平成二十七年(2015)紀元節に皇室を考える


2月11日は、紀元節です。神武暦ということばもあるくらいですが、日本独自のものです。ただし、この日の設定をめぐっては、旧暦から新暦への移行にともなう問題がいくつかありました。最終的に、明治政府が神武天皇即位の日を新暦(太陽暦)の2月11日に設定したという経緯があります。あくまで明治政府によって制度化されたものです。

今回は、皇室についてかたります。幾つかの論点にしたがってかたりたいと思います。最初に、明治の「立憲君主制」の実態についてかたりましょう。その後に、近代政府と皇室の関係についてかたりましょう。最後に、皇室のあり方についてかたります。

まず、明治の立憲君主制からいきましょうか。円猿が見るところ、多くの日本の保守を自任する方々もそうですが、「保守」という価値表明をする場合に、回帰点を、明治期のレジームや大日本帝国憲法に設定することが非常に多いように思います。したがって、彼らは明治期の天皇を頂点とした「立憲君主制」を、非常に肯定的な価値として、日本の政治体制(レジーム)が回帰可能なポイントとしてさだめるのです。円猿は、この考え方には、大きな疑問を持っています。 立憲君主制がわるいというわけではなく、この立憲君主制というのも、明治期の国際社会で、ある種の「デファクトスタンダード」と解釈されていたシステムでしかないからです。多くの現代の日本国民だけでなく、多くの世界の他の地域に住む諸国民にとって、立憲君主制を回帰すべき価値として設定することは、何か時代遅れなもの、アナクロニズムに見えても仕方ないでしょう。円猿は、天皇陛下=立憲君主制とはとらえていません。それを説明しましょう。天皇陛下は、日本独自の政治の二重構造における「権威」という存在であり、また政治的な価値を離れても、日本の千年以上の伝統および習慣上の原点だと考えています。

日本は、少なくとも鎌倉時代以降、権威=天皇と、権力=幕府体制(江戸時代は幕藩体制) がすみわけているのです。これを政治における二重構造と見ることができます。権威と権力がすみわけてきました。明治期に、幕藩体制がたおれましたが、薩長を中心とした人々が、幕藩体制の「権力」を継承して、新たに「明治政府」をつくりましたね。この明治政府という「権力」が、無理無理、もともと権威として存在した天皇をくっつけたと見るのが妥当だと思います。薩長の人々を中心とした明治維新関係者は、同時代の「デファクトスタンダード」と理解されていた「立憲君主制」という国際的な標準モデルに、日本のシステムを合わせようとしたのです。これは、日本のレジームを、ユニークで奇異なものではなく、国際標準の一角を占めるものとして示すという意味で、一定の効力があったでしょう。しかし、このような「立憲君主制」としての制度敷設も、しょせん、伝統的な日本の権威・権力の独自な仕組みの、「ひとつの見せ方」にすぎなかったのです。天皇陛下という存在は、別に、立憲君主制に見せかけても、見せかけなくても、依然として日本の伝統的な価値、日本の長年の習慣を体現する精神的な存在であることに変わりはありません。21世紀にいたるまで、そうなんです。ですから、少々うがった見方をするならば、一言でいって、明治政府は、「天皇陛下を政治利用した」 と言えるでしょう。その結果が、立憲君主制であり大日本帝国憲法だとも言えるかもしれません。このように考えれば、保守を標榜する立場の人々が、明治期の立憲君主制こそ日本の立ち返るべき点だという主張への疑問が理解されるでしょう。

さて、大東亜戦争での日本の敗戦と、GHQによる占領と戦後に話をうつします。あたかも、戦後、「立憲君主制」がうまくいかなかったから、GHQにより、天皇を外して、日本に「民主主義」が導入されたかのような想像上の見立てがなされています。今も、そういう見立てがなされ続けていると言っていいでしょう。円猿は、このような見立ては、完璧な認識の誤りだと考えています。立憲君主制にかわって民主主義が敷かれたというのは、あまりにも馬鹿げた解釈であり、そのような解釈は、GHQ解釈と呼んでもいいでしょう。実態は、全然そんなものではありません。 

なぜなら、日本の天皇陛下は、超長期的な時間軸に沿った日本国民の精神的な最大公約数であり、一貫して国民が共感可能な権威であり、それが維持され続けてきた独自の文化の中心であって、21世紀もそのような存在だからです。明治期に当時の国際標準を意識して、「立憲君主制」に見立てて、権威と権力の関係を一部編集したという程度のものだったのです。権威としての天皇陛下はそのままなのです。 もう少し説明を追加するのならば、天皇陛下は、帝政ローマ以後のヨーロッパ地域の王、諸侯、皇帝がそうであったように、一度も、物質的な富の独占の象徴だったことはありません。これも重要なポイントであり、天皇陛下が質素な生活ぶりによって日本国民に共感し、共に暮らす(民のかまど)という天皇−国民の価値の共通性は、驚くべき長期に渡って存在し続け、継承され続けているのです。この現代においても、1995年の阪神での地震の際に、あるいは、2011年の東北の大震災と津波の大災害の時に、改めてそれは明らかになったことです。この意味からすれば、日本には少なくとも2000年程度の時間に渡って、「誰が富を独占し、誰が力にまかせて全面支配をするか」ということではなく、天皇陛下という精神的な存在とともに、ある種の共和主義的な価値観が伝統として確立していたのであり、明治期の立憲君主制は、すでにそのような共和主義的な価値観(現代的な意味での民主主義的な価値観)に沿った日本の伝統の上に、国際標準を意識して制度を「編集した」という程度のものにすぎないのです。したがって、円猿は、日本の政治制度、レジームの回帰点として、明治の立憲君主制を取り沙汰する必要はないという立場です。 強く断言できることですが、21世紀の日本国民相互の共感や、自分が日本人だと思う感性は、けっしてGHQ起点の自称「民主主義」によって築かれたものではありません。、確実に、それ以前からの伝統に大きく立脚しています。しかも、明治期に「立憲君主制」を見立てる以前の日本の伝統に起因しているのです。

次に、近代政府と皇室の関係についてかたりましょう。ここで言う「近代政府」とは、中央収税システムのことです。近代を何を指標に近代と呼ぶか、さまざまな議論があるので、ここではやりません。その中で、現代にも確かに通じる最も大きな特徴として、中央政府による一括収税システムを近代の最大の特徴と円猿はみなしています。ここに視点を定めると、近代政府の収税システムに取り込まれてしまっている皇室という姿が明かになります。とにかく、近代政府という収税装置によって、皇室が金銭的にやしなわれているという構造です。これは、どうもあまり正常な状態ではないと円猿は考えています。なぜならば、天皇陛下とは数千年の日本の伝統を体現する存在であり、皇室の価値の大部分は非近代に関係し、数百年あるいは千年単位の価値継承に価値が置かれているのですから、そういう存在をひたすら近代政府の収税システムに依存させるというのは、妥当ではないと考えるのです。近代政府そのものを否定するのではありません。天皇陛下と近代政府の両者を適切に両立させるための制度設計、思想の集約、議論があまりにもなされていなさすぎるということなのです。

これは、戦後の議論のつまらない還元主義的なやり方に大きな原因があります。戦後、あたかも、立憲君主制(明治〜昭和20年)、その失敗(GHQ〜戦後)という二つしか、日本のとる制度はないかのような見立てが行われてきました。そういう次元でしか議論がなされないような時代は、終わりにすべきでしょう。もっと大きな枠組みでの説明が求められているでしょうし、日本国民を主権者とする、いわゆる近代的な民主主義の政治の仕組みを前提とするとしても、「立憲君主制ではないから民主主義なのだ」というような馬鹿げた還元主義ではなく、日本の伝統を尊重し、天皇陛下と皇室を日本の伝統にむすびつけた、もっとまともな議論が構築される必要があるでしょう。皇室は、財政的に政府の中央収税システムに依存し、収税された金の分配を受けています。つまり、制度的に近代政府=中央収税装置にしたがわされながら、様態としては、近代以前からの、はるかなる日本の伝統を体現し、日本の伝統的文化と、日本人の伝統的な価値観や感性に共感するという「権威」としての存在であるということになる。近代政府と、日本の伝統の延長上に伝統を継承するという皇室という存在の間に根本的に矛盾があるということを、われわれ日本国民は認識する必要があるのではないでしょうか。そうしないから、いつまでも、皇室は税金取りだなどという子供のような観点からの批判が容易に可能になり、判断中止、議論中止、思考停止がなされてきたのだと考えます。

最後に、皇室のあり方について少し語ります。これは、財政的なあり方という側面に限定しましょう。
近代の収税システムに、皇室が経済的に全面的に依存しているという状態は非常によくないと思います。権威と権力の柱があいまいなまま、GHQに戦後華族を廃止させられ、皇室を弱体化させられ、さらに、一方的に近代政府という中央収税システムの税にのみに依存させられている状態は、あまり正常なことではないと考えます。かといって、具体的にどうすべきかは簡単にアイディアは出てきませんが、皇室が近代政府という収税システムから少しでも独立する道を模索すべきではないかと、円猿は考えるのです。皇室が独自の財源を獲得できるような非営利の事業をするということも一つの可能性です。そして、 話は少し飛躍しますが、皇室の方々が一国民として納税するくらいのありようが実現されていいと思っています。そうすれば、権威としての天皇は、財源的に近代政府にひもづけられ、それに従属させられる一方であるということではなく、「皇族」でもあり「国民」としての価値も共有できるということになるでしょう。納税の先に、選挙での投票という行為を皇族ができることも検討可能にしていいと思います。もちろん、皇族の方々は、日本の長い伝統に基づく皇族としての行動の価値を尊重されるべきですから、わずか数年や数十年単位の政治の動きや、単なる日々の生活に価値を置いた政治活動をする必要はありません。しかし、政治というのもは、短期的なレベルだけでなく、中長期のビジョンをもって担当される権力の支配領域であり、超長期的な皇室のあり様と全く無関係なものではない。したがって、皇族の方々が独自の非営利事業を持ち、それを財源に納税をし、かつ投票できたとしても、何ら非難されるべきものではありません。こう言うと、皇室の方々が納税と投票するのならば、皇室を廃止すべきだという馬鹿な主張をする人々が必ず出てきますが、無意味な主張です。皇室が近代政府の収税システムに依存しすぎているから、皇室としての価値の追求や独立した活動をやりづらくなっているのです。近代政府から距離をとることによって、皇族の方々が日本の伝統や習慣の継承というご活動、あるいは日本国民の伝統や文化が海外でより適切に理解されるためのご活動をより円滑に行うことができるようになり、そのご尽力の結果たまたま皇族の方々が納税することになれば、当然、限定的であれ、投票という政治参加の権利が認められてしかるべきでしょう。ただし、それは、皇族なのか、民主主義の国民なのかという、硬直的な二者択一である必要はないということです。皇族であり日本国民であるということは、もう両立していいでしょうし、両立の可能性を検討していいと思います。もちろん、皇族の方々の意思を最大限尊重して検討する必要があると思います。




posted by 警鐘凡打 at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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