2016年11月20日

次期アメリカ大統領が決まる -「リベラル」な人々のおぞましさ


次期アメリカ大統領が、D.J.Trump氏に決まりました。
この事実を受けて、地味に語ります。

この数日、日本の内外のメディアの発する情報のいくつかに接していますが、円猿的にもっともあわれに思えたのは、日本の人々です。それも、自分で自分を「リベラル」だと信じ込んでいる人々のあわれさでした。

定義まではとりあげませんが、そもそも「リベラル」というのは、多様な人々の意見や生き方を認める立場を自任するということではないでしょうか。まちがっても、自分が加担しようとする気満々の「社会的弱者」「マイノリティー」 の生き方を認め、その他の人々の意見や生き方を無視することは、リベラルでも何でもないはずです。

実際は、一般的に「社会的弱者」「マイノリティー」の支持を取り付け、弱いものたちの味方になって世論の誘導者に成り上がったという自意識を持っている人々が、「リベラル」を自称するから、そうなっているだけなのです。 逆の見方をすれば、「リベラル」を自称する人々は、自分の営業のために、しつこく「リベラル」を自称しながら、もっぱら「社会的弱者」「マイノリティー」の味方の論陣を張っているだけの偏向しきった人々、分かりやすい馬鹿だということです。彼らほど、日本の世論を形成する多種多様な要素を無視し切り、簡単に切り捨てることができると信じきっている愚かな人々もいません。要するに、もともと偏狭な人々が「リベラル」を志向して、自分の勝手に思いえがく「リベラル」になっているわけですから、どこまでも自分で自分の首をしめつつ、偏狭さ加減を露呈すればいいだけのことなのです。分かりやすい話です。

それにしても、日本のマスメディアに登場する自称リベラルの人々は、まったくD.J.Trump氏を支持したアメリカの人々の世論を受け入れることができませんでした。アメリカの人々を、情念にふりまわされた愚民だとみなす。勝手に、アメリカの危険な傾向だなどと断じて、真摯に調査研究することをさぼる。 」

挙句の果ては、この選挙結果に

「発狂しそうになる」などと感情一色

の反応を示す輩までいました。

単なる一外国の首長選挙に発狂

できるような偏狭な輩ならば、 

どこまでも「リベラルではない」 

と断じましょう。一人で発狂すれば

いいのです。


彼らは不寛容の典型であり、まった

く「リベラル」ではないのです。


選挙結果に不満な人々による暴動を

民主主義であるかのように支持する

者すらいました。これなどは、野蛮そ

のものと言うべきでしょう。


労働者の暴力で革命を起こすべきだ

という主張を振りまいた最も高齢の

共産党員ですら、いまどきそんな野蛮

な立場をとらないでしょう。


ぜんぜんリベラルではない日本のみじめな人々にとりあうのは、もうやめましょう。その値打ちすらない人々ですから。


ところで、D.J.Trump氏が大統領になったことで、日本の何がどう変わるのでしょうか。円猿はアメリカにそれほど大きな関心を持っていませんし、予言者ぶるつもりもまったくありませんが、戦後民主主義の申し子である「自民党」が政権を維持している限り、さしたる変化はないと見る立場です。

確かにトランプ氏の大統領選挙中の発言の中には、相当、日本の安全保障や外交に関係するものがありました。でも、この人物はあくまでも政治素人ですから、高度な意思決定と緻密なプロセスを必要とする案件については、党ベースで有能な人に任せることでしょう。アメリカの内外に対して、政府の連続性をアピールすること自体が、当面の事案になるはずです。


posted by 警鐘凡打 at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月18日

ニセもの(贋物)を人々に押しつけるやからども


今回、ニセものを人々に押しつける輩どもという題でかたります。

円猿は、まだ老境に達しているサルではありませんが、かれこれ数十年生きてきて、どうやら世の中には、人々(日本国民でもかまいません)に偽物をおしつけて、カネを回収している組織があまりにも常態化していることに気づいてきました。 

最初におことわりしますが、円猿はそのような組織に対してまったく「うらやましい」などという気持ちを持っていないのです。多少は無駄があったとしても、日本が居心地のいい国であってほしいと思っています。

良心ある人々や組織が、日本の人々に本当に価値のある物やサービスを提供しようと努力して、実際に「本物」を提供してほしいと願っています。 まちがっても、自分たちでそうと知っていながら、だましの入った「偽物」を国民につかませて悦に入るような外道組織・外道人間がまかり通るのはごめんです。

「本物」「偽物」の区別も簡単に示しましょう。「本物」は、それで金儲けができているかどうか、ビジネスとして成功しているかいないかには関係なく、自分の道を追求し、自分の発想・活動・芸に価値があるかどうかという本質的な問いを自分自身で常に発し、「他人を引き込んで(だまして)とりあえずカネもうけできればよい... 」という打算を排した価値観で一貫して活動する人々、組織です。

「偽物」は、とにかく金儲けありきで、金儲けできていれば自分のことを「プロ」などと称し、自分の発想・活動・芸に価値があるかどうかという本質的な問いをつづけるのを怠る人々・組織でしょう。 他人とは単なる自分の引き立て役にすぎないと「偽物」たちは考えており、ひどい場合には、自分たちの安楽な生活の資金源くらいにしか考えていません。「偽物」が悪質なのは、このような卑しい考えを心中深く隠し持っており、決して公言しないところです。そして「偽物」どうしでの暗黙の了解事項としているのです。偽物がいかにぶざまなで卑しい人々か分かるでしょう。

どうも、円猿の見るところでは、この20年ほどの間に日本には急速に「偽物」が増大しているように思うのです。実にいろんな領域に「偽物」がはびこっています。もっともひどいのは、マスメディアの領域でしょう。ラジオは置くとして、テレビという今やレガシーメディアに登場していえる人々は、テレビ局の人々から「タレント」まで、ほとんどが「偽物」で占められているように見えます。

最近、解散がとりざたされているタレントのグループがありますが、円猿にいわせればこれは典型的な「偽物」の類です。彼らは自分で自分の活動が価値があるかどうか価値判断を全然することのできない年齢から、よろこびいさんで事務所の道具となった人々です。そして、事務所の金儲けのネタにされ、世の中を無駄金の流通で満たしただけであるにもかかわらず、なにやら自分たちが世間で確固たる地位を築いたかのように勘違いし続けていました。 愚かな人々です。だが実際には、過去20年の間に、一人のタレント、一つのタレントグループがあろうがなかろうが、そんなことはどちらでもいいのです。

テレビを代表とするレガシーメディアは、今や偽物の巣窟ですが、「本物」「偽物」を見分ける機能すら持っていません。名目的には、人々にウケるとか、視聴率をかせげるとかいう指標で何かを区別しているように見えるかもしれませんが、そんなものは、「本物」か「偽物」かを判別する指標では全くないのです。電○などの広告メディアの親玉ぶっている企業も同様です。徹底した価値の吟味のシステムを社内に持っていません。ただ金になるかどうかで判断し、「偽物」を垂れ流し、自転車操業している団体なのです。

本来、多くの人々に対して一方的に情報や活動を示すならば、その情報や活動が十分に吟味され、価値を保証され、本物である必要があると円猿は考えています。日本には「本物」の価値追求に本腰を入れて数十年活動している人々も大変多いでしょう。彼らが決して「偽物」に惑わされることなく、本物を追求していかれんことを願っています。

そして、「偽物」をばらまいて意味のない金を流通させる組織、人々は退場させる仕組みを設計する必要があるのではないでしょうか。日本で「あえて」共有する価値のあるものかどうか、さまざまな組織や人々の活動の価値をより本質的に吟味する仕組みが必要でしょうし、場合によってはその種の仕組みを制度化する必要があるのではないでしょうか。


ラベル:贋物 タレント SMAP
posted by 警鐘凡打 at 05:32| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする