2013年11月12日

国民健康保険の不正受給=詐欺


「日本国民」ではないのに、

「国民健康保険」に加入している人がいます。
 

この異常さについてかたります。
一部の人たちは、そんなの以前からだろうと反応するかもしれませんが、保険料を支払っている国民健康保険の被保険者である日本国民の大部分は、日本国民=国民健康保険 だと思って、保険料を支払っている人で占められるでしょう。実際、円猿の周辺の何人かの国民健康保険加入者の人に聞いてみても、そう思い込んでいました。国民でないのに、国民健康保険に加入している人間がいること自体に一様に驚いていたのです。主たる被保険者である多くの日本国民に対して、十分な説明もなされておらず、同意も得られていない事柄と言うべきでしょう。 

なんなら、厚生労働省は、「国民健康保険法施行規則及び高齢者の医療の確保に関する法律施行規則の一部を改正する省令(平成24年7月9日施行)」 という民主党時代の最低な省令を、図やQ&Aつきで、国民に対して徹底して周知してみればよいのです。 このブログをお読みの方の中には、ときどき、厚生労働省が「ここまでやる必要あるのか... 」と思うくらいしつこく、図やQ&Aによる説明の冊子などを発行して、行政上の変化を説明しているのをご存知でしょう。 同じことをやればいいんですよ。 まだ遅くありません。今からでもやればいい。

そうやって、外国人が容易に加入可能となっている異常な実態に沿って、いったいどのような異常な事例が起きているか、なぜ僅少な保険料しか保険料を納入しない外国人が巨額の国民健康保険の保険金を一方的に詐取できるようになっているか、図示とQ&Aですべての可能性を網羅した上で、国民に向け、日本国民=国民健康保険加入者に対して説明すべきなのです。 馬鹿らしくて、国民健康保険料を支払う国民は、余裕で半減するでしょう。

「保険」というのは、加入者が平等に負担する

ことに同意し、保険料を一定の長期間納める

ことによって、信用が成立し、成り立っている

仕組みです。


外国人の中には、自分の母国に戻って、驚くほど高額の偽造の診断書や領収書を捏造し、それを日本に持ち帰ってきて、「国民健康保険」の保険金を請求し、日本国民が保険料として納めている金を、一方的に収奪、略奪、詐取し、私的な利得を得ている最低なモラルの人間が存在しています。

日本国民ではないのに、「国民健康保険」に加入している。これだけでも異常な状態だと思いますが、円猿の知っている範囲では、 グローバル30 などという意味不明な留学生受け入れ枠で日本に来ている留学生(当然、日本国民でもなんでもありません)が、なぜか日本の「国民健康保険」に加入している、しかも保険料を支払わずに加入していることを聞いたことがあります。このことは、一般の日本国民であり、かつ、国民保険加入者にもほとんど知られていません。気分のわるくなる話でした。

繰り返しますが、「保険」というのは、加入者が平等に負担することに同意し、実際に保険料を長期間納めたという実績と引き換えに、信用が成立し、成り立っている仕組みです。

保険料を同意の上で長期間きっちり納めた

という実績がない人間は、保険の仕組み上の

「信用」とは全く関係のない人間です。しかも

日本国民ではない人間が、いきなり日本にきて

「国民健康保険」に加入するなどということは、

まさに言語道断というべきでしょう。国会で審議

の上で、本来なら、即座にやめさせるべきです。



外国の国民が、日本に一時滞在や留学をするのならば、自分の国の政府や一般企業が提供しているサービスに基づいて、対価を支払った上で、自分の日本滞在中の保障を求めるべきでしょう。それが無理ならば、無保険者で通すか、日本で、自分たちの法的ステータスに従った保険を探し、対価を支払って加入するしかないはずです。それが困難だというならば、日本に来なければよいだけです。自分の出身国において、海外での自分の健康を保障する保険に入っているならば、いったん来てもいいでしょうが、保険が切れるというなら出身国にいったん帰って、再度保険に入りなおすか延長を自分でやってもらいましょう。健康保険に関わるプロセスで、日本国民のコストや手間を増やすことは、やめてください。その資格は外国人にはありませんから。自分の身体の健康は自分で面倒をみる。基本でしょう。


出身地に関わらず、いかなる国から日本に渡航してくる他国の国民、留学生に対して、日本国民が保険料を支払い維持している「国民健康保険」には加入させてはならない、加入を即座にやめさせなければならない。そう円猿は主張しましょう。

思慮の浅い人々は、「日本国民の子供や学生だって、保険料を支払い維持していないのに、国民健康保険の被保険者ではないか」 などと反論してくる可能性があるでしょう。こう反論しましょう。

日本国民の個々の子供の親が、いったい、どれだけ高額な国民健康保険料を払い、国民健康保険を維持していると思っているのか? と。親たちは、国民としての義務と責任を自覚して、自分の分だけでなく、「国民」であり、将来、国民健康保険の被保険者となる可能性のある自分の子供たちの保険料を、10年も20年も払っているのです。国民健康保険とは、日本で生活する、わずか数ヶ月とか1年とか数年とか、そんな短い期間の加入者のための保険ではないということなのです。成人の日本国民、その子供のための保険であるだけでなく、世代から世代に継承されてきた部分がある。世代から世代に継承していかなければならない保険でもあります。 なおさらのこと、わずか数ヶ月〜数年の滞在者、外国人が、自分が支払うわずかな保険料の数倍、数十倍もの保険金を、一方的に請求し、略奪することは、国民健康保険の仕組みに反することなのです。

さて、留学生だけではなく、さまざまな理由にかこつけて、「国民健康保険」に加入する人間が存在しますが、最近におけるもっとも有名な例は、今回新聞から引用する例でしょう。時事通信社の記事です。 本当なら、分かりやすく図を交えて、この悪質な国民健康保険金の詐欺を説明してほしいところですね。

ローラさん父を国際手配=詐欺容疑、海外療養費不正受給で指南−警視庁

 海外で支払った医療費が還付される国民健康保険の海外療養費制度を悪用して不正受給する方法を指南したとして、警視庁組織犯罪対策1課は25日までに、詐欺容疑でタレントのローラさんの父でバングラデシュ国籍のジュリップ・エイエスエイ・アル容疑者(53)の逮捕状を取り、国際刑事警察機構(ICPO)を通じて現地警察に手配した。

 手配容疑は、バングラデシュ人の調理師モハマド・アミン・ショリフ容疑者(45)=詐欺容疑で再逮捕、東京都世田谷区=と共謀し、2009年12月、世田谷区役所にショリフ容疑者がバングラデシュで入院したなどとする虚偽の診断書などを提出し、海外療養費など約87万5000円を不正に受給した疑い。 同課によると、ジュリップ容疑者は不正受給の方法を教え、このうち約40万円を受け取っていた。ショリフ容疑者は他のバングラデシュ人と、同様の手口で1000万円以上を詐取した疑いがあり、「(ジュリップ容疑者から)絶対ばれないもうけ話がある。利益を折半しようと誘われた」と供述。ジュリップ容疑者はグループの指南役とみられる。
(2013/06/25-13:01)

この日本国籍ではまったくない、「バングラデシュ国籍」のジュリップ・エイエスエイ・アル容疑者は、まだ逮捕されていないようです。彼は、「国民健康保険」の欠格者として認定され、永遠に、「国民健康保険」に加入不能のブラックリストに明記されたのでしょうか。 新聞報道は、そこまでをしっかり報道してもらいたいものです。

そもそも、日本国民ではない人間が、なぜ

「国民健康保険」に加入でき、しかもその上、

「海外療養費」などという名目の保険金を請求

できるのでしょうか? 



異常です。異常すぎです。「海外療養費」などという名目の保険金は根絶するか、日本国民ではない人間が、申請自体できない仕組みにすべきでしょう。

それから、国民健康保険の保険金を支払うプロセス、審査にも大きな問題があります。申請しても、厳格な審査で支払不可とすることはできたはずです。支払不可として、さらに、詐欺容疑で、欠格者扱いとし、余罪を防止できたはずなのに、なぜそこまでやらなかったのか? 今のゆるい条件で「国民健康保険」に加入できてしまっている外国人(=日本国籍を取得していない一時滞在者)の保険金申請そのものに厳しい条件が必要でしょうし、日本の国民健康保険制度とは関係がない、外国の病院や医療機関の診断書や領収書が提出された場合は、少額でも、即座に「監視案件」「調査案件」というステータスで管理すべきで、申請の信憑性を疑うだけでなく、保険金の支払が、日本国民へ損失を与える結果を生じないかを厳密に審査する必要があるでしょう。日本では少額でも、為替レートによって申請者の母国では巨額な場合もあります。また、少額を小分けにして申請する悪辣な奴もいますから、額を問題にしてはいけないでしょう。

海外の医療機関で診療を受けたという申請、手術を受けたという申請については、「本当に診療や手術を受けたのか?」を証明するための立証要件を、今よりはるかに厳しくする必要があります。書類だけで、立証されたことにして保険金を支払うなど論外でしょう。 詐欺を目的とした偽りの申請を排除することは、法にかなった処置です。 詐欺を目的としている偽りの申請に対して、保険金支払に応じることは、違法な処置なのです。

このバングラデシュ人容疑者は、日本人ではない=日本国民ではない わけですから、もう日本に来なくてもいい存在です。しかし、詐取した金は、全額を円で支払うべきでしょう。 その後で、彼はバングラデシュ国籍なんですから、バングラデシュ政府が提供する国民健康保険に入りなおすべきでしょう。永遠に、日本国籍を取得する必要はないのです。このような他人の財産を不当に略奪して平気な最低モラルの人間は、偽名や書類偽造、顔の整形手術、皮膚の移植など、あらゆる手段を用いて、日本に再入国しようとする可能性があるでしょうから、極めて悪質な外国人の再入国を徹底して排除するプログラムを作成してほしいものです。

在留資格を持ち一年以上滞在した外国人は、

国民健康保険に以前から加入できていたよう

ですが、論外です。すみやかに見直してやめ

させるべきでしょう。


国民ではないのですから、資格を付与する必要はないはずです。とりあえず、一時滞在でも日本での滞在が長期化するという外国人は、自分の責任でそれを想定した保険に出国前に自分の国で加入するのが前提でしょう。それができないなら、2つめの可能性は無保険者で通すことです、さらに、3つ目の可能性として、滞在の延長を自分の意思でしているわけですから、自分たち外国人が自分の財産を出し合って組合員を募る保険組織を作るべきでしょう。

もし、この3ついずれも無理だという人は、日本に居る必要はありません。お帰りください、という話でしょう。
「保険」とは、定義上、まさにそのような仕組みなのですから。日本国民のための国民健康保険の保険金を一方的に収奪するのはやめるべきです。

国民健康保険 = 日本国籍取得者 だけが

加入資格者である仕組みに変えるべきです。



それが、本来の国民皆保険制度の精神です。

この「国民健康保険法施行規則及び高齢者の医療の確保に関する法律施行規則の一部を改正する省令(平成24年7月9日施行)」 という最悪の省令を作成し、国民に押し付けた、国民健康保険の被保険者である日本国民に押し付けた人物は誰だったのでしょうか。

小宮山洋子  

という人物です。 国民健康保険行政を徹底的に腐敗させ、多くの国民の経済生活を意図的に破綻させようとし、きっちりと国民健康保険の保険料(決して安くない額です)を支払ってきた国民を愚弄するこのような人物は、今後も根絶すべきでしょう。健康維持のための日本国民の財産および福祉が、一方的に、しかも加速度的に損なわれるすべての可能性を実現しようとした、空前絶後の最低人物だと断言しましょう。

その時の首相は、野田という人物です。国民健康保険に関するこの詐取のすべての可能性の責任は、小宮山と野田にあります。

最後に、関心のある方は、

国民健康保険法施行規則及び高齢者の医療の確保に関する法律施行規則の一部を改正する省令(平成24年7月9日施行) 

で検索してみてください。めんどくさい役人言語で書かれていますが、その異常さが分かると思います。この省令について情報発信している人も少なくないことが分かるでしょう。一部は、以下に転載します。


0003.PNG
赤で示した部分に注目していただきたいと思います。

わずか3ヶ月の日本滞在で、日本国民のため

の国民健康保険の被保険者となることができる。

ぜんぜん「国民」ではないのに、日本国民のため

に積み立てられた大切な金を一方的に請求し、

奪い取ることができる。


無意味です。即座にやめるべきでしょう。 日本国民に損失を与えるのはやめてください。そういう悪意のある外国人は、一刻も早く日本を立ち去るべきです。

なにが、「外国人住民への基礎的行政サービス

を提供する基盤を確立するもの」でしょうか?

何が「外国人住民の利便の増進」でしょうか?

ふざけた言葉のもてあそびをやめるべきです。



国民の健康管理のための財源を、一方的に犠牲にしてまで、やるべき事柄ですか? 全然そうは思えませんね。正規滞在の外国人が年々増えているのであれば、それだけ多くの外国人が労働し収入を得ているはずです。彼らが、自分たちの金を投入して自分たち自身の健康に配慮する仕組みを作ればいいだけでしょう。年々外国人が増えているのならば、積み立て可能な金も多く出し合えるわけですから、なおさらです。日本国民のための国民健康保険に加入させる必要は全くありません。外国人のための外国人の健康管理について議論し統一的な仕組みを作れば、より容易にそれは出来るはずです。日本国籍を取得するまでの間、あるいは、日本を去って自分の出身国に帰国するまでの間、必要に応じて自分の出資に見合った健康管理のサービスを受けられる外国人向けの健康保険をつくればよいでしょう。

この箇所は、

「外国人住民の自助努力と自己管理により、

日本国民の税金や保険制度、日本の行政

サービスへの依存を最小限にするための

基盤を確立する」 に書き換えられるべき

でしょう。 


出身国で保険に入っていない、日本滞在中に健康保険の適用を受けられないことに不満な外国人は、彼ら自身の自助努力で可能な健康保険の仕組みを確立すればいいだけです。すでに、日本の行政サービスは、諸外国と比較して、外国人住民に対して「基礎的サービス」をはるかに超え出るサービスや金を提供しているのです。国民の同意を得ない、このような制度は即刻廃止すべきでしょう。

仮に、政府が、外国人の一時滞在者に対す

る健康保険に行政的な配慮をするとしても、

日本国民のための「国民健康保険」に加入

させる必要は全然ありません。その必然性

は全くないのです。


国民健康保険とは、完全に切り離された別の

ソリューションを外国人自身が自助努力で

構築すべきです。


外国人の人々が最大限の自助努力を払うこ

とを前提とし、彼らが独自につくりあげるべき

「在日本外国人健康保険(仮)」のような組織

に対して、組織が健康管理のための団体とし

て適切に運営されていることを厳格に審査し

た上で、日本国政府がごくごく一部を援助する

というスタイルで行政的な配慮を検討すべきで

しょう。

posted by 警鐘凡打 at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月10日

日本固有の領土に関する情報の共有

日本の固有の領土である、竹島、尖閣諸島、北方領土(北方四島 : 択捉島 色丹島 国後島 歯舞諸島)があります。
これらの領土に関する情報の共有、教育というレベルの活動がすくなすぎると円猿は以前から考えています。領土そのものについては、今回はかたりませんが、領土に関する情報を、誰が国民に対して流すべきかという点で、今回は短くかたります。



通信網が発達し、ブロードキャストがインターネットによって可能となりましたから、こういう動画を日本政府が日本国民向けに流せるようになりました。それも、日本国民だけでなく他の諸国民向けにも流せるようになったのです。

しかし、動画を制作し日本政府がインターネット経由で流す技術的な仕組みがなかった過去においては、これは誰の仕事だったのでしょうか? 円猿の考えでは、間違いなく、NHKの仕事です。 NHKは、国民視聴者からの受信料を原資に活動している会社ですね。 「放送法」という日本国の法律に依拠して、受信料を徴収している法人ですから、NHKの原資は「日本国民」のお金です。間違いありません。

おそらく、外国人が、日本に住んでテレビを買って一時的に住み、二ヶ国語放送をNHKを見ても、NHKは彼らから受信料を徴収していないでしょう。あるいは、在日○○人という日本国民になることを拒否して、外国人として、何世代も長期滞在している人々からも、NHKは受信料を徴収していないことがわかっています。

日本国民から、日本の国法(放送法)

にしたがって、受信料を徴収している

法人(NHK)が、日本の国土に関する

責任ある情報共有を日本国民に対し

て行わないということは、ぜったいに

あってはならないことだ



と円猿は主張しましょう。日本国民、在外邦人の生命、自由、財産、諸権利がまもられるために必要な情報を供与するべき法人がNHKのはずですし、日本の国土という主権がまもられるために必要な情報を国民に供与すべき法人がNHKのはずです。

尖閣諸島を国防という手段を用いて、適切に国土として守るために、国民個々が何を考え、どのような認識を持ち、どのような行動に結びつけることができるのか。問題の本質は、そこにあると思いますので、NHKは、尖閣諸島の地理や歴史や風景を定期的に報道した上で、国防によってこれを守るという日本国民の世論形成のための基礎となる放送を流す必要が当然あるでしょう。 

日本は、仮に国防を目的であったとしても軍事行動をできないとか、戦争をできないとか、平和憲法がどうのとかいう方は、過去の記事をご確認ください。日本は第二次世界大戦のときの戦争に負けたからこそ、国防を磐石にし、がっちりと国土を守り切る必要があるというのが円猿の基本的な主張です。

戦争犯罪 

不実な人間(=寺島不実郎)

平和を誓うこと 


領土を拡張することに、日本国民が関心を持っていないことは明らかでしょう。統計でも取ればすぐに明らかになるでしょう。「竹島、尖閣諸島、北方四島以外の領土を日本は戦争して勝ち取るべきである」と主張する国民は、限りなくゼロに近いはずです。竹島、尖閣諸島、北方四島を「日本固有の領土である」と主張する。それ以外の領土の領有権は主張しない。国民の世論に基づいた、十分に首尾一貫した主張でしょう。

それはそうと、NHKが、日本国民の諸権利や日本の国土を尊重する報道や教育番組をわざと制作しない、流さない、さぼっている原因を、多くの国民はすでに知るようになりましたね。東京にあるNHKの放送センターの中には、シナの放送局の日本支社、南朝鮮の放送局の日本支社が、権利もないのに陣取って場所を占拠しているのです。ありえない話です。 日本国民のお金を原資に運営している法人の事務所は、不当な使用、不法な使用がなされるのであれば、すみやかに国民に返還されるべきでしょう。 
タグ:NHK
posted by 警鐘凡打 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月03日

園遊会で天皇陛下に私信をわたす。何が問題なのか。


天皇陛下に対して、園遊会の場で一国民が私信を手渡すという椿事が発生しました。その経緯や、渡した人物の言い分については、もうすでに多くのことが報道されており、解説する人、分析する人、評価する人もたくさん出てきているので、追加で何か語る必要はないと考えましたが、論点を整理するつもりで、円猿がかたりたいと思います。


・公と私の次元

ひとつめは、これです。公と私。園遊会というのは、国民の誰がどう見ても「公的な場」ではないでしょうか。公的な場であるとともに、園遊会は、日本の文化を背景にした、一風変わった公の場です。 というのも、「一対多」の公的な場なのです。 「一」は、天皇陛下です。その中心が天皇陛下だと言ってもいい。皇后陛下や他の皇族がおられることもあります。しかし、天皇陛下という一人がいなくては、この園遊会は成立しないのです。そのような意味でも、「一対多」の公的な場なのです。

「一対多」の公的な場である園遊会において、天皇陛下が、「一」であり「一者」であるのに対し、 「多」は、園遊会に招待された、参加資格を付与された国民です。 園遊会に出席する国民は、いわば、one of them としての日本国民の代表者です。代表者として、あくまで公的な参加者です。 自分が選ばれたすごい国民なのだと個人的な感情を膨張させて、園遊会の場で尊大になることも奇妙ですし、逆に、one of them だからと卑屈になることも変でしょう。園遊会の場で、自分の「私的な」感情に基づいて、何を言ってもいいわけではない。何をやってもいいわけではない。つまり、参加する国民も、one of them ですが、日本国民全体を代表して参加している、公的な存在なのです。園遊会に参加していない日本国民の総意、日本国民の感情に沿った言動・行動を、参加者のひとりひとりが深く考えた上で天皇陛下に接する、そういう公的な場が、園遊会だということです。招待された国民の中に、そういう性質の園遊会が窮屈だと主張する人がいたら、単に園遊会に出席しなければいいだけです。他の、主旨を理解する園遊会の参加者に、国民を代表してもらえばよい。

・公と党派の違い

「公」をもう少し深く考えてみましょう。さきほど、招待された国民は、他の国民のいわば代表者だと述べました。 これがどういう意味かを、より具体的に考察しましょう。 園遊会で天皇陛下に対して、手紙を渡した人物が、「自分は原発廃止を主張する、多くの国民を代表して参加したから手紙を渡したのだ。公を代表しているじゃないか。何がわるいんだ 」 こう主張するならば、それは完全に、「公」の次元を誤っているということです。 なぜなら彼は、「原発廃止を主張する」という政治的立場が明確な国民だけを選択して意図的に代表したつもりになっているからです。

そのようなごくごく一部の党派的な国民を代表して、「公」を主張するのならば、誰でも自分の集団を「公」にたとえて主張することが可能となるのではないでしょうか。 そういう自分の存在主張、自分の意見陳述が、「園遊会」という場で可能ならば、園遊会は、党派的な立場の人が戦々恐々として、天皇陛下に対して、自分が勝手に同一化した任意集団、自分が金銭的あるいは思想的にむすびついている団体の利害の主張をどんどんやることになるのではないでしょうか。それが、当然ゆるされるということになるのではないでしょうか。 福島県の原発事故の立地地域の人々が、まっさきに、「陛下、原発をどうにかしてください。自分の地元に帰れるようにしてください」 と主張して当然だということになるでしょう。山本よりも、よっぽどそのような主張が似合っている人々です。 しかし、福島第一原発の立地地域の国民、あるいは彼らと深い関係があって園遊会に呼ばれている人もいるでしょうが、そういう主張はしません。 なぜでしょうか? それは次の論点です。

・政治というレベルの事柄

「原発をどうにかする」「放射能をどうにかする」「子供を放射能から守る」 すべてが、100%政治課題です。福島第一原発の立地地域の国民は、そのことをよく分かっているから、天皇陛下に対して、そのような問題解決を要請したりしないのです。 国会を通して政治的に意思決定をし
て、法律によって、原発や放射能をどうにかするというのが、日本の政治という仕組みであり、問題解決の仕組みなのです。 天皇陛下に対して、そのような問題解決のプロセスに相当するものを投げかける。問題解決のプロセスに何らかの形で貢献するように検討を促す。 日本の政治という、別の公的な仕組みをまったく認識していない人間の考えることでしょう。 

そもそも、山本という人間が、国会議員として国民の税金を受け取って、「原発をどうにかする」という仕事を国民から委託されているのです。彼は、7月に当選してからわずか3ヶ月で、自分の仕事を完全に諦め、自分の仕事を捨て去って、天皇陛下に投げつけようとしたのでしょうか。あるいは、天皇陛下に対して、自分の能力資質では貧弱すぎて実現できないから、味方になれと伝えようとしたのでしょうか。 いずれにせよ、自分の仕事の本質を認識しない、政治というミッションを理解できていない人間の行いであることは明らかです。


・天皇陛下という、「公」


国民の長い歴史を代表し、過去の様々な時代に生き亡くなっていかれた国民の思想や価値観を代表し、現代にまさに生きている国民の思想や価値観も代表する。そのような公(おほやけ)が、ぜんぜんない国もあります。そういう公(おほやけ)を一度も思いつかなかったから無い。そういう国もあるでしょう。一度はそういうものがあったが、もう無くなってしまった、そういう国もあるでしょう。 しかし、日本はいずれでもありません。日本には、そういう価値を代表する存在が、公的にあるのです。それが天皇陛下という存在です。皇族という存在です。 

公(おほやけ)とは、過去には単に朝廷という意味でも用いられた語です。しかし、この現代には、もっと拡張された意味として、生き続ける語です。日本という地の長い歴史を代表し、過去の様々な時代に生き亡くなっていかれた日本国民の思想や価値観を代表し、現代にまさに生きている日本国民の思想や価値観も代表する。過去の国民と現代の国民をしっかりとつないで継承し、伝統として、日本の未来に渡す。天皇陛下と皇族の方々が代表者です。そして、多くの日本国民が、まさに、そういう公(おほやけ)を大切に尊重し続けてきたということです。 

天皇陛下は、まったき公(おほやけ)を代表する方ですから、園遊会の場で、決して私的なことを口にされたりはしません。 国民を悲観的な気持ちにさせるようなネガティブなことや失望を口にすることもありません。国民を "おおみたから" と認識されており、国民の代表者としての、園遊会参加者と「公的に」交流することを楽しみにしているのです。 天皇陛下が国民を大切に思い、国民に対して一貫して共感する。それに対して、国民の側が有り難いことと受け止めて、天皇陛下に共感されるに相応しいような行動や事業を追求する。これが、日本の公的なレベルの価値を支える伝統的なものとしてあるのです。「それは、日本固有の価値を支える唯一のものではない」と言う人もいるでしょう。確かにそうです。それがすべてだということではありません。他にも日本の公的な価値を支える要素が幾つもあるでしょう。しかし、天皇-国民のこのような道徳的関係、あるいは精神的な関係、文化的コードが、日本の伝統的な価値を構成する非常に重要なものであるということです。モノやカネとは関係のない、日本の文化の精神性を示す側面とも言えるでしょう。

したがてって、以上に述べたような天皇陛下と国民の相互関係を十分に認識していない人間が、「自分は国会議員になったから、天皇陛下に私信を渡す資格がある」と考えるなどとしたら、これは完全に認識の誤りです。 園遊会という公的な場で、「私信」「個人的な内容」などを、天皇陛下に手渡すなどということは、会の主旨を全然認識していない者の誤りです。園遊会は、天皇陛下と一国民の私的なコミュニケーションの場では絶対にないと断言できるでしょう。 公的な「一者」である天皇陛下と、国民を代表して参加する公的な「多者」である参加者国民の、「公的」なコミュニケーションの場なのです。

天皇陛下は、手紙をその場では手にしましたが、すぐに侍従長に渡したそうです。当然でしょう。侍従長は、この粗末な手紙の内容を天皇陛下の目に触れないように取り扱い、宮内庁経由で国民に全文の内容を公示した後に、元のペーパーの手紙は破棄する必要があるでしょう。園遊会という公的な場で、いわば不規則に出された公文書という取り扱いをするなら、そうするしかありません。天皇陛下に一国民が、プライベートな文書を伝えるなどということは、一国民の一方的な意思で成立することではありません。天皇陛下が、そのような一方的な私信を受け取る意思も読む意思も皆無なのは当然のことです。それを園遊会という場で、力づくではないにしても、強引に言いつのって受け取らせたという行為が、大きな問題であることは間違いないことでしょう。


「エチケット」 論者への反論

さて、園遊会において、私信を渡さないということが、「エチケット」だなどという、驚くべき低レベルな議論の仕方をする傾向があることが分かりました。追加で、この「エチケット」というぶざまな切り口で、今回の問題を認識しようとつとめる立場が不適切であることにふれておきます。エチケット  etiquette : 調べてみたら、語源はなんと "荷札" です。荷物につける識別票ですね。こんなお寒い、由緒もなにもないような語彙によって、園遊会のふるまいや行為に関するコードを語るのが馬鹿げています。

日本国民が伝統にもとづいて価値を認めてきた、園遊会における「道徳的態度」のかわりに、皮相的かつ形式的な 「エチケット (=荷札) 」などという吹けば飛ぶようなものを置いて議論しようとする方法の無さ、認識につながる方法の無さが、そもそも愚かというほかない。奇妙というほかありません。 戦後日本において、道徳とは、本質や伝統などをすべて無視可能な、形骸化された形式でしかないとする論調も、なきにしもあらずです。 そのような馬鹿げた形式主義によって、園遊会の問題をとらえようとする人々については、国内、国外を問わず反論すべきでしょう。

すべての公的な場における文字化されたきまり、文字化されていないきまりが、単なる形式的な「エチケット」 でおわり、というのなら、ある国民が持っている伝統にもとづいた行為の様式や道徳的な態度が、文化と密接に関わっていることや、歴史と伝統をバックグランドに備えて成立していることを認識することはできないでしょう。 形式的なエチケット論者は、言い換えれば、文化や伝統ぬきに、理解可能だと強く信じ込んでいるということです。 すべての公の場での行為のパターンや振る舞いのパターンは、形式でしかないと認識していることになりますから。 そのような粗雑な認識方法では、永遠に、ある地域地域に根づいた伝統にもとづく道徳の本質を理解できないでしょう。

道徳=エチケットと端的に機械的に理解するなら、そんな簡単な話はないですね。言葉のまったく通じない地域の名誉ある公的な場に出る場合でも、自分の国の中で名誉を与えられた公的な場に出る場合でも、 ただ単に、文字に書かれた決まりを、理解したふりをして、それが善であるかのような嘘くさい表情とともに行えばよいし、禁じられていることを行わなければよい。それだけのことになるでしょう。彼には、公的な場の決まりが、地域地域によって、なぜ異なるのか、なぜ今ある仕方になっているのかという理由を、文化や伝統の視点から理解することは永遠にできないでしょう。書かれていないが「すべきではないこと」、あるいは、書かれていないが 「すべきこと」もあります。 そういう事柄を永遠に理解できないでしょう。 

「いや、全然理解する気はないですよ。関心も持ちません。 エチケットなんだから、単なる形式でしかないんですよ。」 そう主張する人の態度は、はっきり言えば、もはや人間の道徳的態度ではないということです。自動人形の道徳的態度でしょう。 彼には、行為やふるまいの道徳的な意味は理解できないということです。 

それでは逆に、このようなエチケット主義者でつらぬき通し、自動人形的な態度で、文化や伝統についてなにも考えないで生きてきた人が、他人から、「エチケットに反する」 ふるまいを強力に突きつけられたと仮定してみてください。 自動人形が、勝手に自分で思い込んできて数十年まともに考えもしなかった、「エチケットに反する」ふるまいをもろに眼前に突きつけられたと仮定するのです。 そのような「エチケット」にいちじるしく反する行いをする人物が、彼の目の前に出現して、やりたい放題やると仮定してみましょう。 するとどうでしょう。 エチケット主義者は、文化や伝統について考える思考回路がまるでゼロですから、この野蛮なエチケット違反者に異論を唱えることすら、できないでしょうね。

 「君のやっていることは、エチケット違反だ!」
 「エチケットに反しているぞ!」 

とヒステリックにしか言えないでしょう。 さて、これに対して、 野蛮なエチケット違反者が、「なぜ、エチケット違反なんだ? 」 と質問したとします。 彼は、さきほど説明したとおり、この問いには答えられないはずです。 だって、形式的に自分でエチケットだと思い込んで、それが普通だと思って、意味もなく守ってきた事柄なんですから。答えられるわけがないでしょう。文化も伝統も背景もどうでもよくて、とにかく盲信するかのように、エチケットだと信じ込んで、そうやっていただけなんですから。「エチケットだからだ!」 としか答えられないでしょうね。

「エチケットに反しているぞ!」 
「なぜ、エチケット違反なんだ?」
「そんなの当たり前だろ。エチケットだからだ!」

いわゆる、トートロジーですね。なんとも残念きわまりない人です、 形式だけのうすっぺらなエチケット主義者は。彼は、野蛮な違反者にこう言われておしまいではないでしょうか。

「なんだそれ? 内容ゼロの、くだらない形式だけのエチケットなんか、どんどんぶっつぶしてやるぜ」

そして、野蛮なエチケット違反者にどんどんやりたいようにやられて終わりなのではないでしょうか。そうでなければ、流血の騒ぎになるかもしれませんね。 日ごろから、自分の道徳的な態度の根拠や、一見したところ皮相的にしか見えない一般社会の態度やふるまいの背景や伝統について何も考えない人に限って、結局、そういう野蛮に堕するしかないかもしれない。そういうことを円猿は主張したいと思います。
タグ:園遊会
posted by 警鐘凡打 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする