2013年06月24日

選挙について

円猿のかたりを、追加します。

選挙がありました。地方議会選挙なのですが、円猿は、かなり遠方の都民の猿で、一応選挙権を持っています。あまり多くはありませんが、納税もしている猿です。

円猿にとって、投票というのは、数少ない政治参加の機会であり、よほどの事情がない限り、投票には行くことにしています。しかし、国レベルでも地方レベルでも、どうしても政治を委託しようと思える人/政党がない場合は、「該当者おりません」と書くことにしています。無効票になるでしょう。いいんです。円猿的には、それでもかまわないと思っています。選挙には行ったし、自分の意志を表明したのです。

2013年の都議会議員選挙というのは、もりあがっていませんでした。過去の記事をお読みになられた方ならご理解いただけるかと思いますが、円猿もどちらかというと政治には関心のある猿です。 しかし、投票用紙が郵送で届いているのを見て、また選挙公報というのを見て、どうも関心が高まらないな−という思いを持ちました。その原因を、考えてみました。3つあります。最後に円猿なりの提案をします。ただけなしてばかりでは、だめですから。多少のアイデアが必要です。

1つめは、地方議会の「政党」の存在。 地方でも、地元の代表的な産業があるとか、代々名士であるような家があるようなところでは、産業や伝統のようなものに基づいて、その地域で持つ、政党の一定の意味が出てくるのではないかと思います。しかし、ある程度都会の場合は、どうでしょうか。○○党、○×党、●△党、などなど、幾つも政党があって、政党「公認」というような候補者の人々がいて、具体的に何がどう違うのでしょうか? この場合、「結果」として何が違うのかということに円猿は関心があるのです。選挙前の意気込みとか、選挙で当選する落選するというタイミングまでのことではありません。その後の数年間を経た後の、「結果」です。 政党に所属している、個々の議員が数年間で具体的にもたらす結果に、個々にどのような違いがあるのでしょうか? さっぱり分かりません。そのようなことを説得的に説明してくれる人はいませんし、選挙公報などを見てもほとんど分からないのです。 「国政レベルの政党が、地方で具体的にどのような価値ある活動をやっているのかが分からない」。

2つめは、個々の議員の人の実績が分からないということです。 新人の人でも何を判断材料として重視すべきなのか迷いますが、よく、現職の人が、「二期八年の実績」とか書いている場合がありますね。 何の意味があるのでしょうか。当選を2回した。8年間、年に数十日は議会に行って帰ってくる生活をした、地方政治に関係がないよりは関係があった、事前に調べて役人と折衝や対策の会話などをした上で、議会で何度か質問をした、という以外は何の意味もない語です。この人でなければできなかった、と思わせるような内容ではありません。
「立候補し、実際に当選した人が、3年とか4年の期間に、都道府県民のために、具体的にどのような価値のある結果を出したのか、検証できないし客観的に調査することもできない」

この2つめに関しては、「議会の記録を読めよ」「議会がストリーミングで見られるから見ろ」 そう言ってくれる人もいるかもしれません。どういう方法的な見方をすれば網羅的に見られるか? 教えてほしいですね。というのも、議会に関心を持つのは、地方の議会だけではない。国会にも一定の関心を持つ必要があると円猿は考えています。そうすると、 国会の両院の本会議、衆議院の委員会、参議院の委員会、都道府県議会、市町村とか区の議会、そういう議会を網羅的に見る、議会記録を読む。できますか? ほとんど無理でしょう。関心のあるときだけ見ればいいだろ、そういう人もいるかもしれません。選挙の前だけに、任意で議会記録を読む。ある議会の特定の時間、特定の人物だけ出てくる質疑を2、3時間程度ストリーミングで見る。そのことによって、投票に必要な総合的な情報が得られるでしょうか? 無理だと思います。

それでも、円猿は、関心のあるときに、実際に、できるだけ見るようにしているんです。でも、どうしても網羅的に議会の内容を把握するのは「無理だよなぁ...」といつも思っています。 個々の議員の人が、どういう思想信条を持ち、どういう価値観を持ち、どういう議論をし、議論するだけでなく、実際に、国民や都道府県民、市町村区民の日々の暮らしや将来に反映する事柄を決定するプロセスに具体的に関与したのか、どのような結果をもたらしたのか。まず、分かりません。それで、議員の人が自分でつくっているサイトとかを見ることもあります。これがムダな時間なんですよね。なぜなら、議員個人の人が発信している情報は、「自分は次の選挙でも当選したいから、がんばっています」 そういう内容ばかりだからです。中には、今度の議会でこういうことを質問します、とか、どこそこで演説をしましたとか、書いている場合もありますが、「本人」からの情報では、円猿は信用しません。信用に値するとは思えないのです。 「選挙で信託を受けたから、みなさんのためにがんばっています」と書いている人もいますよ。しかし、選挙で当選したいという欲求と、そうでなく、純粋に公的な活動にコミットして人の役に立ちたいということが、区別されていないんです。 それが問題なのです。それを分かるように、厳しく区別して書いている人は一人もいない。 そういう議員個人のサイトは見る価値はないと円猿は思っています。具体的にどういう公的な価値につながる活動かも論証できないような、あなたが、どこを訪問したとか、どういう会でちょろっとスピーチしたとか...  見ますかね? 見なきゃいけないですかね? あなたの「支持者」でもファンでもないのに。次も当選して税金で生活したいという気まんまんの熱意がこもっている、そういう情念と公的な価値が区別されていない。そんな、あなたの自己顕示のサイト。勘弁してもらいたいものです。

3つめにいきましょう。 これは、1つめとも、2つめと関係するのですが、「選挙後」 が分からないんですよね。 「選挙後」は、議会という閉鎖された空間に活動の場が移りますが、その内容は、全国の新聞でも地域の新聞でも定点観測して、報道も分析もしていません。よほど大きな問題に限って、断片的にマスコミは伝えているだけです。 断片的なところだけで、政治でなにがおこなわれているか認識しろと言っているようなもの。乱暴ですね。そういうのは世論操作と呼ばれるものです。注意しましょう。 そして「議会は開かれているのだ!」 と反論する人がいたっていいですが、さっきも書いたように、全部を全部、議会傍聴するのは無理だし、ストリーミングで視聴するのも無理なんですよ。 さらに、これも書きましたが、議員本人は、さも自分ががんばったかのように、「質問に立ちました」みたいな、これも断片的な情報を流す。自分がやったということだけを選択的に流す。やるべきなのにやらなかったことは流さない。客観性にとぼしい業績アピール、次回選挙当選の個人的欲求が入った情報を流す。 それから、議会を離れると、 誰それの表敬訪問を受けたとか、どこそこでスピーチをしたとか、研修旅行に行ったとか、そういう内容。 こんなのをもとに、「選挙後」の業績を判断しなければならないんですか? はっきり言いますが、情報内容が客観的でなさすぎるし、貧しすぎます。判断材料になるための要件をぜんぜん満たしていない。

ぐだぐだ語りましたが、円猿はこういうのがあったらいいのではないか、と考えています。非常にクリアに考えています。 それは玄人好みの、「われわれは選挙後にすべてをかけています!」 という政党が登場してほしいということです。 個々の当選者の選挙後の活動を、すべて有権者に客観的に情報提供し、やったことも伝える、できるはずなのにやらなかったことも伝える、選挙時にやると言っていたことは進捗を伝える、有権者とそこまでしっかりと情報共有できる政党です。 ただ情報共有するだけでは意味がありません。 さらに、評価指標を導入しましょう。政党だけでなく有権者も作成と評価に参加できる評価指標ですね。その指標によって、1年ごとに評価をやるのです。評価の結果、「努力が足りない」と政党+有権者が判断した議員の人には、党本部が向こう6ヶ月程度に実現可能な課題を与えて、本人が努力あるいは訓練をし、クリアさせる。 そうすることによって、議員ひとりひとりのスキルも上がる可能性があるし、議員の努力やがんばりを、リアルタイムに有権者も関心をもって見守ることが可能性になるかもしれない。 このような、「選挙後」をこまかく設計して、有権者とともに評価のプロセスをつくる政党が、少数政党でもぜひ出てきてほしいと思います。 

そのために、「選挙後」専用サイトをつくってもらいたいと考えています。「選挙後」専用サイトでは、個々の議員の人の、活動内容を、事実として、客観的に淡々と蓄積して公開してもらいたい。個々の活動記録について、議員本人が一方的に主観的に情報を付加したり補足するのはやめた方がいいです。政党の立場から、有権者の立場から、賛否両論を自由に書き込めるようにして、さまざまな評価があることが分かるようにし、議員と具体的に議論をするサイトであればいいのです。政治は議論が基本なのですから、議論を「議会という閉鎖空間」だけに限定する必要はありません。そういう議論を通して、有権者は、個々の議員の主張や思想や価値観を知ることができるはずです。 
 しつこいですが、個々の議員が「自分が再選されたい」という欲求を出して「がんばっています」と、議員それぞれ個々ばらばらに主張するサイトは閉鎖でいいです。有権者はそういう情報は必要としていません。投票のための判断指標にもなりませんよ。 ストイックにいきましょう。議員は公人なんですから。 個人のサイトで情報発信するのなら、政党と有権者が、「これは完全に選挙とは切り離された個人サイトです」と判定できるだけの複数の条件をクリアしたサイトでやるか、個人サイトでは、自分の趣味や言論一本の内容に限定すべきでしょう。 

そういう「選挙後」 専用サイトを政党レベルで設計して統一的なものを作成することによって、その政党の議員ならば、国会議員、都道府県会議員、市町村区議会議員の区別なく、検索すれば、ヒットするようになっている。 議員本人発ではない客観的な活動実態が分かる、政党と有権者の評価も分かる、議員に課された短期的な課題も分かる、議員と有権者の議論の内容も分かる、というようになっていれば、関心のある国民は調べたり、活動を知る努力をするようになるのではないでしょうか。さらに円猿は、「政党」という帰属の共通性をベースとして、地方議員と国会議員の議論も、こういう「選挙後」専用サイトを通じて活発になり、公的な場で行われるようになるかもしれない、ということです。地方の問題と国の問題がどのようにすみ分けているのか、どのように共同して解決できるのか良い議論ができるかもしれません。こういう地方-国が別々にかかえる課題の有権者との共有、地方-国が共にかかえる課題の有権者との共有、さらに課題の問題解決方法、解決プロセスは、現状の選挙だけを政党活動の中心に置いている限り、永遠に活性化しないでしょうし、有権者国民の前にほとんど明らかにならないでしょう。 

それから、円猿的には、これが最も重要ではないかと思うのですが、こういう議論の場を通して、個々の議員や政党が、公的な議論の場でみずからの「誤り」を認め、説得的に有権者に説明した上で、「誤り修正」をし、みずからの政策の軌道修正をすみやかにおこなう。そういう場になる可能性があると思うのです。広く行われる議論こそが、その機能を負うことができます。  たとえば、地方の事しか知らない議員がいたとしますね。 自分が実現します!と選挙運動時に声高に主張していた政策が、実は、国会議員と議論した結果、難しいという認識に至ったら、まず「誤り」を認めることです。できないと分かったんだから。そして、ちゃんと具体的な内容とともに「誤り修正」を加え、修正内容を明確にし、有権者に説得的に説明し、お詫びをした上で、軌道修正すべきなんです。それも、すみやかにやる必要があるのです。
 もうひとつ別の例を行きましょう。国政のごくごく一部のことしか知らない国会議員がいたとしますね。彼が、やります!と声高に主張していた政策が、自分の選挙区の地方議員と議論して地方の実態を深く理解した結果、実現が難しいという認識に至ったとします。ありえることです。そういう場合に、まず自分が選挙投票前に主張した政策は間違っているわけですから、すみやかに「誤り」を認め、意見陳述すべきです。そして、具体的な内容とともに「誤り修正」を加え、これなら実現を確約します、と国民に対して明確に公表すべきなんですよ。黙ってひっこめるとか、できないことを隠蔽して開き直るとか、そういう行為こそ根絶すべきですね。
 政党単位の公約も同様ですよ。 公約だのマニフェストだの、名前は何でもいいですが、選挙運動時にやるといって国民に投票してもらったくせに、できないと判明した時点で、分析も検証もすみやかにやらない。明確に「誤り修正」をした上で、軌道修正することまでもサボる。挙句の果てには、選挙前の調査不足だったとか認識のミスだとか、問題を完全に矮小化して、政治レベルでの「誤り修正」は必要ない、などと党責任者が言う。もっと悪いのは、逆ぎれして、具体的な政策の話を避け、国民にもそういう話をさせないようにして、「わが党なりにがんばっている」とかいう、ぜんぜん意味不明な一語を発声する。恫喝のように、そんな話をする。こういう馬鹿は、政党が何かという定義的な思考がゼロで、政党が実現する個々の政策を設計するという思考がゼロで、さらには、政治とは国民の信託を受けた重大な責任を伴う行為だという認識もないし、そういう認識にもとづいた道徳的資質にも決定的に欠けていると判断すべきでしょう。真剣に最悪としか言いようがないですね。

はっきり言いますが、こういう「選挙後」の領域を活性化すべき責任を持つのは、「政党」のはずなんですよ。実績を客観的な情報としてリアルタイムに伝え、政治案件を有権者と共有し議論し、自分たちが「公認」して立候補させた議員の誤り修正、自分の政党の誤り修正までも設計する。そういう領域を活性化すべき責任を持つのは、「政党」のはずなんですよ。やる気があれば、「政党」で実現可能なことなんですよ。そんなこともしないで、選挙区の区割りみたいな政治本体とは関係のないどうでもいいテクニカルなこととか、国民の政治への関心が低いとか、自分の党に支持してください投票してくださいとか、無意味なことばかりを主張する。選挙、選挙と言っていて、選挙が終わったら、中心は議会だから議会を見ればいい、細かいことは政党は知らないよ、個々の議員にやりたいようにやらせる、会派で自由にやらせる、稀に党議拘束をかける。そんな要件を定義しない活動で「政党」がごまかしているから、政党から国民の関心が離れていくのですよ。 

「選挙後」サイトがあれば、あらゆる議会のストリーミングを長時間かけて視聴して、総合的に政治に通じるとか、だれがどういう活動をやっているかを、議会の形式ばった内容や、議員が個人で主観的に発信している情報から判断するという不合理から、有権者はある程度解放される可能性もあるのではないでしょうか。

まあ、以上のような提案めいた考察をしたのには、円猿なりの長い考えがあります。というのは、「政党」というのが、国民や地方の都道府県民のための、政治プロセスの実現の集団にはなっておらず、 たんなる選挙目的の団体になっているという危機感を強く持ったからです。「政党」というのは、既存のあり方を強力に批判され、再定義すべき段階にあると円猿は考えています。その理由をお伝えしましょう。

民主党という政党がありました。この党は、「政党」をほとんどなんの共通項もない人々、理念も政策もぜんぜん異なる人々、さらに政策などまるでないような人物が、1円でも多くの税金を略奪するための隠れ蓑にするために、政党という形を取っていただけの党でした。円猿は、自民党も多くの点で腐りきっていると考えており、その点はまた機会を別にして論じますが、今回は、民主党を通して、「政党」というのがいかに国民のために設計されていないか、機能していないかを論じます。民主党というのが、「政党」を完全に信用のおけないものにしたことは間違いないと円猿は認識しています。

さらに、2012年12月の衆議院選挙を思い出してください。なんと、投票日のたったの19日前に有象無象があつまって、「政党」が出来ましたね。もう忘れている人も多いと思いますが、「未来の党」などというのが存在したのです。正確には、日本未来の党。 国民に対して、10年後に自分たちの政党が存在すると確約もできないような政党が、「10年後に原発全廃」「卒原発」とか主張していたんですよ。円猿は原発にはやや懐疑的な猿ですが、この「政党」を偽装したとしか言いようがない人々が、原発を廃止するとか言う資格は絶対にないと断言できると思っていました。 実際すみやかに消滅した、この元 「未来の党」の国会議員や地方の政治関係者の中に、10年後に原発廃止することを、今、2013年においても自分の政治信条として、徹底して日々活動している人物がいますか?ゼロでしょう。ふざけるな。まじで、ふざけるなよな。 国民の投票という政治参加を徹底的に愚弄したのが、この人々だと断言できるでしょう。

そもそも、「政党」とは、その中で、時間をかけて理念や政策を共有し、議論し、その上で国民に実現プロセスを提示する集団のはずです。
10年後に、自分たちの「政党」が存在するかどうか。そんなことも国民に対して保証できないような人間の集まりは、国民にとっ100%無意味で無責任だということです。最低レベルの政治の責任ということが、完全に欠如しているし、すでに議員である既得権益者が、政党を自由に作る権利(=結社の自由)を完全に悪用し、国民の投票行為、投票という国民の政治行為を、徹底的に愚弄しただけなのです。そして、1円の税金も払わずに、国民の税金を一方的に略奪するだけの組織に成り果てたのが、この「政党」なのです。

円猿は、選挙とは別の点において、「政党」を真剣に国民の審査の対象にしなければならないと考えていますし、日本の「政党」を再定義することが、絶対的に必要な地点に、まさに今、日本はあると考えています。 国政レベルで言えば、当選議員数に合わせて自動配分されている「政党交付金(=政党助成金)」は無駄です。 この政党交付金は、 「選挙後」の実績を国民審査にかけ、選挙運動時にやると主張したことをやらない、実現プロセスにのせない、そういう政党は、最大60%をカットすることでいいと考えています。そうではありませんか? 頭数が居るから金が要る。やめてください。実際に政治を行うかどうかだけが問題なのであって、頭数は全く関係ないはずです。 「選挙」を元に支給する必要はないんですよ。 「選挙後」の実活動に合わせて支給するべき金なのです。

それから、よく、選挙前後に政党を離れたり、いきなり政党に入ったり、既存の政党を元に、政党もどきをつくろうとする人々がいますね。離合集散という奴です。多くの国民がうんざりしていると思いますよ。議員ではない人が数人で全くあたらしい政党を新規に立ち上げるのは別です。そうでなく、すでに議員という特権的な立場にある人々が、保身のためにやる離合集散が問題なのです。 すでに述べましたが、「政党」とは、その中で、時間をかけて理念や政策を共有し、議論し、その上で国民に実現プロセスを提示する集団のはずですね。 だとしたら、一度、ある政党に所属したならば、自分の理念、思想、政策を根気強くその政党の中で共有し、実現へ向けて議論し、政党そのものを建設的な集団にする活動をすべきです。それができなかった人間は、「政党」政治家として完全な落伍者とみなした方がいい。だから、「政党」を離れる人は、 他の政党に入る資格があるかを、新たな政党をつくる資格があるかを、国民審査にかけるべきだと思います。ある意味の「監視ポスト」をつくるということですね。 国民を説得するだけの正当な理由がない人が、恣意的に「政党」を離れる、恣意的に「政党」をつくろうとするならば、その人は、一定期間、「監視ポスト」の置いて、とにかく無所属として活動すべきでしょう。だって、政党というかなり緩い結びつきの集団で、他者と議論しながら、国民のための政策実現ができなかったのですから、別の政党でがんばれる見込みは薄いと判断すべきです。実際、過去において、50人くらいのサンプルを採取して、恣意的な離党などで政党を渡り歩いている人物が、国民に有益な政治活動をしたかどうか検証してみれば、興味深い結果がでるでしょう。おそらく、その多くは口だけの人物で税金の略奪と保身に強固に執着する人物でしょう。それに、税金だって無駄になります。個々の議員が、リアルタイムに本来すべき政治活動をしないで、国民にとって意味があるかどうかも分からないような離合集散に関わる機会費用も無駄になります。すべての政党から中立的な国民審査によって、政党を離れ、別の政党に所属するだけの、国民に対する説得的な理由がある人だけが、別の政党の門を叩けるプロセス、新たな政党をつくるプロセスまで進めるということにすべきです。
posted by 警鐘凡打 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする