2013年05月23日

神を引き合いに出す愚かさ:原爆投下を神の懲罰であるかのように主張

新聞について、かたるというスタイルで今回はお伝えしましょう。

一般の日本国民の多くは、国際関係が「国際法」という明文規定された内容にしたがって上手にコントロールされているとお考えなのではないでしょうか。だとしたら、そのような考えは、いったん留保していただく必要があるでしょう。

しかし、あくまで留保であって、「国際法」をすべての点で否定するような極端に走る必要はありません。 「国際法」が定めるところを知りかつ守る人々、「国際法」の背後にある道徳性、モラルを認識する人々、そう認定できる人たちとだけ、国際法を共有するというスタンスでいればいいのです。相手を見ること、相手の主張の理由をみきわめること、相手の道徳的な判断のプロセスを検証することが重要です。

ですから、相手が、国際法の背後にある道徳性やモラルを認識できていないと判断される場合、そのような人々とは、「国際法」の外で議論すべきだということですね。

産経新聞に以下のような記事が出ていました。南朝鮮の新聞の翻訳を紹介する記事ですが、この南朝鮮の中央日報というマスコミの記事内容をまず確認しましょう。その後で、これを批判しましょう。

「原爆投下、神の懲罰」と韓国・中央日報 「日本軍国主義へのアジア人の復讐」

産経新聞 5月23日(木)7時55分配信

 【ソウル=加藤達也】韓国の中央日報が日本への原爆投下を「(神の)懲罰だ」とする記事を掲載し、在韓国日本大使館は22日、同紙に抗議した。

 問題の記事は20日付で、安倍晋三首相が東日本大震災の被災地視察で航空自衛隊松島基地を訪問した際、操縦席に座った空自機の番号が「731」だったことを取り上げ、細菌兵器を研究したとされる旧日本陸軍の部隊名称と同一だとして非難し、日本の反省が足りないと主張する内容だ。

 さらに、大規模空襲や原爆投下を神による「過酷な刑罰」としたうえで、第二次大戦末期のドイツ・ドレスデンへの空襲を「ユダヤ人の復讐(ふくしゅう)だ」、広島、長崎への原爆投下については「日本軍国主義へのアジア人の復讐だった」と主張。非戦闘員への無警告、無差別の大規模殺傷という事実も「国家を改造して歴史を変えた」と支持している。

 記事は、「日本に対する火雷(爆撃)が足りないと判断するのも、神の自由だ」と、日本への軍事攻撃を肯定する主張で締めくくられている。
 執筆した同紙のキム・ジン論説委員(53)は過去に「大韓言論賞」の受賞歴もあり、韓国では優れたジャーナリストの一人とされている。

実際のところは、この産経新聞の報じている内容は断片的なものです。したがって、ここで述べられていることから、すべてを判断することはできないでしょう。その上で、南朝鮮の新聞の論説委員の用いている言語運用や論理について確認しましょう。731という番号については、触れないことにします。あまりに端的な情報ですし、この情報がなくても、この論説委員はおそらく同じ内容を述べることができたでしょう。

最初に、この記事の中で不思議なことが一つあります。原子爆弾を落とした張本人が、書かれていないということですね。「日本への原爆投下」「原爆投下」などという言葉が出ていますが、いったい誰がこの残虐な行為をおこなったのか? 書かれていない。書いた方がいいでしょう。「アメリカ合衆国政府」であり、「アメリカ合衆国の軍隊」です。シヴィリアンコントロールができている軍は、政府の命令によって動き、作戦や戦闘を行いますから、より正確に表現するのならば、原子爆弾を落とした張本人は、「アメリカ合衆国政府」であり、「アメリカ合衆国政府から原爆投下の指示を受けたアメリカ合衆国の軍隊」です。 これは自然災害ではありませんし、神さまがやったことではありません。アメリカ合衆国政府が、戦闘員ではない民間人である日本国民で大半が構成されている町を破壊する目的で、大量の人命を一方的に奪う目的で、多くの人を殺害する目的で、やった行為なのです。

よく、「50万人の米兵を救うために原子爆弾投下が必要だった」「100万人の米兵を救うために原子爆弾投下が必要だった」などという妙な言い訳が聞かれますが、このような意見は何を前提としているのでしょうか? なぜ、アメリカの軍隊が、日本列島の内部に侵攻し攻撃を続ける必要があったと前提しなければならないのか? 意味が分かりません。それが前提でなければ、そんな大量のアメリカ兵が追加的に死ぬなどということは考えようがないからです。 そもそも、戦争は「自衛」のためと考えられることで、はじめて正当化可能になるものです。 アメリカは、すでに、自分たちの本土は何の危険にもさらされていなかったでしょう。昭和20年8月の時点で、日本軍によって、アメリカ合衆国の本土が大規模に攻撃され、自衛が危険に瀕する見込みもゼロだったと断言できるでしょう。そんな国の人々が、武装して、大量に日本列島内部に侵攻するなど、狂気の沙汰としか言いようがありません。沖縄での戦闘も同様です。アメリカは、沖縄に関するすべての戦闘を慎重に議論し、とりやめて、日本に対して粘り強く停戦を呼びかけることもできたのではないでしょうか? 

記事の内容に戻りますが、ここに「神の刑罰」「神の自由」 という不思議な観念が出ていますね。 どこの宗教の誰の神なんでしょうか。 一神教の神でしょうか、あるいは、多神教の神でしょうか? 神については、一言でいえば、21世紀の今も確定情報は無いといえるでしょうね。 だからこそ、宗教紛争がいまだにあるわけでしょう。 そんなことを完全に無視して、あたかも無色透明で中立なものであるかのように、この論説委員が出している「神」 この意味はなんでしょうか? 原爆を投下した動作主であり責任当事者である米政府や米軍を隠して、「神」を出してくる。ただ単に、これは謎ですね、ということで片付けるわけにはいきません。

この神は、要するに、論説委員が「自分の都合のいいように振舞うことを期待する神」 だということですね。 神を、自分の思うように振舞わせることができるということが前提になっているでしょう。 こんなふうに、自分の恣意的な欲求によって神の行いを規定しようとする考えは、実は、プラトンの時代に不敬だと言われています。 「国家」364B〜Cで出てきます。けちくさい供え物を神にすることで、神を通じて敵に危害を加えようとする。そういう人の馬鹿さ加減が論じられています。しかし、プラトンなんか出すまでもなく、不敬というか馬鹿げているでしょう。 一人の人間に一つの神がいる。 その人間が「殺してほしい」「懲罰してほしい」などという完全に恣意的な欲求を、そいつに代わって満たしてくれる神がいるなどという馬鹿げた話があるでしょうか。そんな神を、2013年に引きずり出して、そして、日本を懲罰させようというわけですね。言語道断というべきでしょう。 神を語る以前の教養が決定的に欠落していると言えるし、その意味において、文明の基本がまるで分かっていない現代の野蛮な人間だと断定することができるでしょう。

日本の広島と長崎に、米軍が原子爆弾を投下しましたが、これは戦闘員ではない一般国民の大量虐殺となることを事前に分かっていて、やったことです。広島の爆心地は小学校でした。 戦後のGHQの言論統制によって、あたかもこの原爆投下が戦争終結に必要であったかのような論が一部で信じられていますが、それは、最も基本的なヒューマニズムを欠いた論というべきでしょう。われわれ日本国民は、今後も米国政府に賠償金を求めることはなくても、この原子爆弾の投下による日本国民の大量虐殺が、平和とヒューマニズムに反する悪意に基づいておこなわれた犯罪的な行為であることを認めるように要求する必要があると円猿は考えています。東京大空襲などの空襲についても同様です。

話をもどしましょう。この論説委員は、あたかも「日本国民に限って大量に死ぬべきであり」、それが、「神の刑罰」であり、今後も、「神の自由」によって、日本国民を大量に殺すべきだ、という意味のことを書いている。 この人物には、いかなる正義の観念もないというべきでしょう。人類が人の死を悼むとか埋葬するというレベルで脈々と継承してきた宗教心の基本さえ認識できていない人物だと断言すべきでしょう。こんな最低レベルのヒューマニズムの欠けた主張をする人間は、冒頭に書いたように、「国際法」の背後にある道徳性、モラルを認識している人間としてみとめる必要はありません。したがって、「国際法」の埒外で、議論すべきでしょう。 そうするとどうなるでしょうか。 この論説委員こそ、ヒューマニズムの軌道を逸脱してふるまう、あなた自身の神によって、さっさと懲罰され殺されてしまえばいい、ということになるでしょうね。 残念ながら、そう言うよりほかありません。彼が殺された後に、追悼されるか埋葬されるかについても、何も関心を持つことはできないでしょう。

こんな人物が、自分に同情してもらおうとか、自分を被害者として認めてもらおうなどということを言い出す資格は絶対にないと断言できます。日本人に限って死ぬべきだ、などという主張を遠まわしであれ、できる人間は、日本国民に対して「命の差別」をやっているだけです。 ある国の一般国民を、「神の自由」で殺してほしいなどとこいねがうことのできる人間、そういう完全な差別主義者の人間は、恣意的な力によって、自分の命を奪われたとしても、何も抗議することはできないでしょう。 悪質なのは、このような論を、南朝鮮の多くの読者に対して主張しているということです。それに対してまともな反論をしない、できないならば、南朝鮮という地域は実質的に前近代的な言論統制の下にあるということでしょう。 まして、仮に、こんな残虐非道な論に手放しに賛同する南朝鮮の領民がいるとしたら、その人々は、完全に論外と言うべきでしょうね。 そんな人間とはひと言も言葉を交わす必要はありませんし、近寄ってはならない。なにしろ危険ですから。相手は無差別に日本人の命を奪うべきだと主張しているわけですからね。 自分の生命、自由、そして財産を守るために、心ある日本人ならば、そういう人を避け続ける必要だけがあるでしょう。ただ逃げるわけではありません。こちらに危害を加える意図を持つ者から上手に遠ざかりつつ、強力な弓を放つのです。パルティア人のテクニックを用いるのです。

あともう一つ注意しないといけないのは、この国際法の埒外者の用いる「アジア」 という言葉ですね。 この言葉は要注意です。特に南朝鮮の人物や、シナの人物が、日本政府や日本国民に反して用いる場合の「アジア」は、注意する必要があるでしょう。 これは、正確にはアジアではありません。 領域を明確に示すことのできない領域ですし、 今の「アジア」の諸国民の間に、「日本人に限って一般国民も殺すべきだ」などと主張をする国民は、南北朝鮮の暫定政府の領民とシナ共産党政府の下の国民以外には、存在しないと考えた方が無難です。

要するに、南北朝鮮やシナ(中国)が、自分たちの反日の主張をするときに、「アジア」という言葉で、あたかもすべてのアジアの諸国民が、それを望んでいるかのように偽装しているということなのです。卑怯きわまりない言語運用ですね。 今、東南アジアその他の「アジア」と呼ばれている地域におられる日本人の方は、是非現地の方に語りかけて確認していただきたいと思います。「大東亜戦争の罪を、私は2013年に負うべきで、そして、私は日本国民としていますぐに殺されるべきでしょうか? 神はそれを切望されているでしょうか? 」と。大笑いされること請け合いです。 そして、よほど戦争について知識のある方や、高齢で戦争体験のある方も、こう言うでしょうね。 「その神が、どこの宗教の誰の神なのか、自分はさっぱりよく分からない。しかし、あなたが日本人として、今の時代にこうしてわれわれと語り合い、ただ卑屈になるのではなく、ちゃんと事実をもとに議論したり、お互いの未来について考えることが大切なのです」 と。
posted by 警鐘凡打 at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「自分は人殺しにはならない」の無責任

「外国の軍隊が攻めてきたとしても、自分は死んでもいい」
「自分は人殺しにはならない」

おかしな非武装中立論者の中には、こう平然と発言する人がいますね。あたかも、平和の殉教者みたいな子供じみた発言、あたかも崇高な理想を自分が一身に体現したかのような幸福感に満ちたおめでたい発言をする人物です。こういう平和の理念を具現化したのが自分だ、みたいな主張には徹底的に反論しましょう。

「どうぞ。あなたは勝手に死ねばいいですよ。でも、ほかの人はどうなるんでしょうか? あなたの主張するにように、日本がまったく武装しないで抑止力としての軍隊を持たなかった結果、軍備を強化して侵略を意図する外国の軍隊によって、日本が軍事侵略された場合に、死にたくない人まで死ねとあなたは主張するんですか? 平和の殉教者みたいな、あなたの馬鹿げた平和論でほかの日本人の多くも死なせるつもりなんですか? 他の日本人の人たちが無残に殺害されることについて、あなたは責任を持てるんだろうか? 大勢の人たちは、あなたの巻き添えになって死ななければならないのか? それは、きわめて理不尽じゃないか? 」と。 

「自分は人殺しにはならない」とかいう主張をする人々は、所詮「自分だけ正義感を発揮して子供のような小さな虚栄心を満足させたい」「自分だけよければいい」そういう人々にすぎないのです。 多くの国民にとって、はなはだ迷惑ですね。国民の安全と国土の保全を重要に考える多くの国民にとって迷惑千万な奴らだと言い切りましょう。非武装で絶対に相手に攻撃しなければ、もし、軍事的に侵略された場合でも殺されないで済むなどという考えも甘いですね。 この21世紀になっても、力とイデオロギーで異民族を従属させたり領土に組み込んでいるようなシナの共産党が典型ですが、チベットの人々やウイグルの人々を、「被征服民」だとみなして、彼らの生命を、自由を、そして財産を脅かすようなヒューマニズムの基本さえ欠いたようなことを平気でやっています。 日本がまったく軍事的なプレゼンスを発揮しないで、シナの「被征服民」になったとしても、ほぼ同様の状況になるでしょう。、悲惨のひと言につきます。

「自分は人殺しにはならない」と恥ずかしげもなく平和の殉教者ぶることのできる人物は、別の見方からすれば、 「日本が負けることに賭けているだけの人々」 なのです。日本がもし、自衛の戦争であったとしても、もう一度戦争するようなことになれば、負けるように今のうちから準備すべきだと主張しているんですよ。すべての軍事力は防衛だけではなく、積極的な攻撃に用いられるものだから、持つべきではないなどと主張し、日本の国防に反対する。日本の国境を軍事力によって磐石にすることに全く関心がない人々なのです。今、自分が生かされていることの深い背後関係を考えない。とりあえず、自分が飲み食いできればいいと信じ切っている。

彼らは、どこか他の国と日本が戦争して日本が負けても、とにかく、戦争に反対し日本政府を執拗に批判していた自分たちは、優遇され「敗戦利得者になれる」 と打算しているだけなんです。いまこの瞬間を、そういう打算によって生きているし、自分が歳をとって死ぬ前に有事が起こった際の近未来を想定して、そういう打算をやっているんですね。言葉の字義どおりの意味において、腹黒い人々です。ほんとに日本の国民の安全と国土の保全に有害としか言いようのない人々ですよ。

そんなわけで、「人殺しにはならない」とかのたまっている人々は、単に自分や自分の所属する小集団の保身に関心があるだけの利己主義者だということなのです。日本が負けることに賭けて、日本が負けたときに、他の異なる主張をしていた国民がいくら惨殺されようが、いくら自由や財産を奪われようが、自分だけはかっこよく「変わり身の早さ」を発揮して敗戦利得者として生き延びてやろう程度にたくらんでいる。他人を犠牲にして、自分が生き残ろうという典型的な偽善です。腹黒いたくらみを隠しているのです。そんな恥知らずな希望を糧に、日々、自衛隊を人殺しだなどと否定し、日本の国防の弱体化につながるプロパガンダを流しながら、痛快そうに飲み食いして生きているんですね。

こういう連中の中には、日本に居ないで海外で活動している人々もいるようです。海外で活動できる自分は、日本にいる一般の国民より優越した人間であって、日本にいる国民や国土がどのような脅威にさらされても関係がないという立場から発言できる特権的な人間だと深く信じ込み、幼稚きわまりない自意識を満たしているわけですね。哀れな連中です。 こういう卑屈な態度は誰かと似ていますね。そうです。マスコミですね。多くの日本のマスコミも同様です。
posted by 警鐘凡打 at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「軍隊は人殺し」の幼稚さ

「軍隊は人殺しだ」とかいう、幼稚きわまりない決めつけに反論しましょう。

若い人でなくて、結構いい歳をした人、老人でもそういう主張する人物がいますね。 うかがいます。そういうあなたは、抑止力としての軍隊・兵器の意味を理解することができないんでしょうか? 軍隊が装備する兵器、その殺傷能力は、すべてリアルに人殺しをするためにあるんですか? もし、兵器の殺傷能力がすべて発揮されて現実になるかのようなあなたの話が「真」ならば、あなたは、冷戦の条件下で平和ボケしながら飲み食いできなかったはずでしょ。もう生きていないはずじゃないですか。 だって、あなたの話によれば、「軍隊は人殺し」なんだから、軍隊は抑止力ではなくて、実際に人をたくさん殺してないといけないですよね。兵器だって、そうです。兵器も抑止力ではなくて、実際に大量に人を殺してなくてはいけないですね。つまり、あなたは自分が生きていること自体を不思議に思った方がいいんです。

核兵器はどうでしょう。核兵器は全て大量殺人兵器なわけで、それが抑止力ではなく、どんどん使用されてはじめて、「核兵器が人殺し」になるわけです。実際は、核兵器という抑止力があって、そのバランスオブパワーが冷戦下にあったから、あなたは飲み食いできて何十年も生きてこられたわけでしょ。 冷戦下でなく、今の時代でも同様です。軍隊も兵器も全然無くなっていない、むしろ驚くべき仕方で軍事費を投入して兵器をどんどん増やしているシナみたいなのがそばにいて、 なんであなたは生きているんですか? 軍隊にしたって、有事を想定して武器を手に訓練している軍隊があるからこそ、それが抑止力になって、現実の戦争が、現実の「人殺し」が回避されているんですよ。その程度のことが認識もできない状態で、貧困きわまりないイマジネーションによって、軍隊は人殺しだから不要だとか、兵器は人殺しだから不要だとか。 国防を大切に考えている多くの日本国民、日本の主権である国民と国土を守ることを重要に考えて納税している日本国民に対して迷惑だから、即座にやめてひたすら沈黙だけを自分に課してもらいたいものです。 

ダメを押しときますが、「軍隊は人殺しだ」とか言えば何かを言った気になる人は、抑止力さえ認識できない思考停止した前近代的な人間か、軍隊や兵器が抑止力であることを知っているくせに、日本の国民と国土を守るという目的のために自衛隊によって武装をさせないように目論む人間にすぎないということです。「軍隊は人殺しだ」というのは、そういう人が繰り出す子供だましのプロパガンダにすぎないということです。良識のある方は、その程度のことは十分理解されていると思います。 とにかく、日本の国民と国土を守るための「抑止力」としての軍隊も兵器も否定する人間は、日本の国民と国土にまともな関心がない人間だと断言していいでしょう。日本の国民と国土がどうなってもいい、自分だけよければいいという人たちです。
タグ:抑止力
posted by 警鐘凡打 at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月12日

時事通信の偏向報道 - 排斥デモとヘイトスピーチ


今回は、半分かたって、半分新聞の批評をやります。
ここ数ヶ月で耳にするようになった、「ヘイトスピーチ」とかいう言葉があります。円猿は、こういう一般的な中学生の英語力で分かるような安っぽい語を公的な場所で使用して、何かを言った気になる、そういうタイプの猿ではありません。この語は、今回の記事以外では円猿は使用しませんが、一見分かりやすい単語でありながら、定義もされていない、そして、使用のされ方が非常に偏っています。それが分かりました。

マスコミ一般がこの語を使用する場合に、ヘイト=憎しみ、スピーチ=話 をする側の人、その主語となるのは、「日本人」ということに、予め決めつけられているようなのです。かなり限られた一部の日本人なのに、日本人一般にそういう傾向があるかのように主張しようとする悪質な例もあります。少なくとも、今回とりあつかう記事を含めて、そういう傾向は強いと思います。 異なる使用例があれば、ご教示ください。基本的に、日本国内での実際の現象についての使用例を知りたいと思っています。英語や同じニュアンスを示す他国の言語で書かれた論文とか、記事とか、そういうものではなく、このカタカナの「ヘイトスピーチ」という語を用いた、マスゴミの使用例、それも、日本国内での現象についての使用例を知りたいところです。

さて、今回、東京のある町の一角であったデモに関して、時事通信がこんな記事を書いていました。


「皆殺し」「追放」と過激化=ヘイトスピーチに非難強まる―コリアンタウン排斥デモ

時事通信 5月11日(土)4時15分配信

 
「皆殺し」「国外追放」といった過激な言葉で在日韓国・朝鮮人を批判するデモが、東京・新大久保などのコリアンタウンで繰り返されている。海外には差別を
助長するような主張を「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」ととらえ、取り締まる国もある。日本国内にも「言論の自由の範囲を超えた」として規制を求める動きが
あるほか、安倍晋三首相が国会で「極めて残念」と答弁するなど、非難する声が強まっている。
 デモを主導するのは在日韓国・朝鮮人排斥を主張する「在日特権を許さない市民の会(在特会)」など。新大久保や大阪・鶴橋で開くデモは「韓国は敵、ゴキブリ」「朝鮮人は全員殺せ」などと叫び、ここ数年で過激さを増している。
 沿道には「差別反対」「仲良く」と抗議する人も多いが、一部は「差別主義者を殺せ」と応酬し、デモ隊と衝突寸前になる事態も起きている。
 在特会側は、抗議や規制を求める動きに「よりひどい海外の反日デモもある」と反論。「過激な表現は注目を集める手段。1万3000人に増えた会員数がその成果だ」とし、「見直しは検討するが、個人の声まで抑える気はない」とする。 

円猿は、「皆殺し」は、どうせそこまでやらないんだし、威勢のいいところを見せるにしても、そこまでは連呼する必要はないだろうと考えています。「国外追放」はどうでしょうか。 まあ、これも追放というよりも、在日朝鮮人と呼ばれている人々が、自分の主権をもっている北朝鮮もしくは南朝鮮にすみやかに自発的に帰るべきだ、というのが筋ですね。外国人は、一時的な滞在だからこそ、一定の条件でもてなされることができる人々です。 そうでなければ、話はがらりと変わるでしょう。 しかし彼らは、自発的に帰るという意志を長期にわたって集団で発揮できない。日本にいすわって、主権者である日本人に寄生し、あたかも日本国民よりも上のプレーヤであるかのように振舞っている。この点は、「征服」「被征服」の関係でしか国際関係を理解できない人々  という記事で論じたとおりです。 自分で意志を発揮できないならば、仕方がないから、あるタイミングで、あくまで、在日朝鮮人の人々の「自分のお金」で、帰還してもらいましょうということにはなるかもしれません。日本国民が団結して、彼らを帰還させるという明確な取り決めを策定する意志を発揮するときが来てほしいと円猿は思う者です。

ちょっと話はそれますが、よく、「人口が少なくなっているから」「少子化だから」、外国人労働者によって、日本の労働力を強化すべきだみたいな論が説かれますね。 円猿は、これをまったく無意味な説だと考えています。少なくとも現時点では。 まず、高齢者のパワーをあまく見すぎているということ。その意味では、高齢者の可能性をうまくひきだしていないのが問題です。一昔前などにくらべて、日本人の60歳代、70歳代の人の中には、いや、80歳代の人の中にも、元気いっぱいで定年なんかなければ、一定の範囲でばっちり仕事できそうな人がたくさんいますね。実際、そうやって仕事している人も増えつつあると思います。もっともっと今後そうなるでしょう。確かに、老いは人それぞれですから、中には、視力や聴力がおとろえる方もおられるでしょう。でも、若い世代と一緒に協力するチームならば、多少そういう部分でおとろえがあっても、本当は大きな可能性をもっている高齢者の方は、数限りなくおられると思います。 もう一つ、少子化でも、それにあわせた経済規模、経済成長を志向すればいい、ということですよ。 まったく同じペース、同じ規模を目指す必要はないでしょう。来るべき人口増加に転じるまで、日本の総人口が、9000万人〜1億人 程度で推移することを想定して、さらに、その中に高齢者人口が多いことを想定して、国内の労働政策、経済成長戦略を考えればいいじゃないですか。 外国人労働者を入れるということは、外国にいるその家族を呼び寄せるとか、全然関係のない人間を呼び寄せるとか、そういうところまで考えなければならないし、日本人のための仕事が奪われるという見方もしなければならないのです。さらに、一定の時間をかけないとものにならないスキルの問題もあるでしょう。だから、今こそ移民政策を、人口の多いシナから人を入れろとか、あわてて低俗きわまりない主張する馬鹿な猿を見る度に、うさんくさい馬鹿アホな猿だな... とつくづく円猿は思っています。 

それより何より、外国人労働者、とくにシナの人間を入れることを徹底的にやめるべき理由は、その犯罪ですね。すでに今、日本に来ているシナの人間もどんどん減らすべきだと円猿は考えています。 その理由です。 最初に質問しましょう。 まず日本の国は、何のためにあるのでしょうか? 日本国政府は何のためにあるのでしょうか? 答えましょう。 日本国民の、生命・自由・財産を守ること、日本の国土(領海、領空)を守ることですよ。もっとも重要な基本機能です。さて、警視庁の犯罪統計を見たことがある方はいますか。 マスゴミが報道をしないから多くの国民は知りませんが、外国人犯罪の内の4割を超える数が、シナからきた人間によるものです。正確には、香港以外のシナの地域からきた人間です。共犯率が高く、窃盗、侵入等の犯罪を多く犯しており、強盗、強姦、殺人などの凶悪犯罪も起こしています。 これは何を意味するのでしょうか? 日本国民の生命・自由・財産が適切に守られていない。そういうことです。 だから、いますでに日本に来ているシナの人間をさっさと追い返すべきなのです。 このひどさを知りたい方は、坂東忠信さんという方の本を1冊でもいいから、手に取られることをおすすめします。この人は、警視庁で北京語で犯罪捜査を長年やった人ですが、日本国民が主権者である日本に来ているのに、いかにシナの人間たちが、彼らにとっての他者(=日本国民)の生命・自由・財産を考えることができないか、いかに尊重できないか、いかに軽視しているかが一目瞭然に分かります。

なぜ、日本においては主権者である日本国民の生命・自由・財産を一方的に侵害する、シナの人間たちによる多数の犯罪が起きているのか。もう、多くの日本国民は分かっていますよね。理由を分析したらきりがないかもしれませんが、奴らの本性にすべてを還元する気は円猿にjはありません。 最も大きな原因の一つは、教育でしょうね。シナの共産党の強制措置によって、シナの国内ではシナの人民たちに対し、わざと、日本人を残酷な性質を持った人々、自分たちにとって悪意を持った人々であるかのような偏見によって、日本の文化を尊重しない、日本人の命を尊重しない、日本人の財産を尊重しない、そういう教育をやっているからですね。 

話がそれて長くなりましたが、繰り返します。主権者である日本人の、生命や自由や財産が適切に保護される仕組みをつくる。 これが一番優先されるべきことです。 主権者が尊重される仕組みをつくる。 日本人が日本では主権者でもっとも大事にされるべき存在ですから、その程度のことも分からない、その程度のことも認識できない外国人は、たとえ10分間の単純労働でも、日本に入国させる必要はない。そう断言しておきます。旅行でくる、一定期間いて必ず帰る人は別ですよ。自分がシナで働いた金で来て、日本の公共空間で最低のマナーを守りながら観光でも食事でも買い物でもして、すみやかに帰ってください。

さて、時事通信の新聞記事です。これがなぜ偏向なのか? 説明しましょう。
差別を助長するような主張を「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」ととらえ、取り締まる国もある。」とありますね。 どこの国なのか、具体的な国名を出し、またその取締り文を挙げてほしいですね。そして、そのような取締りの例を、なぜ、今回の日本での現象に適用すべきなのか。その根拠を具体的に挙げた上で、意見も載せましょうよ。マスコミならね。3回シリーズでその程度のことはやりましょう。断片的なこの程度の内容を1回限りで投げつけて終わり。そういうのが一番よくないですよね。 それから、「憎悪表現を、取り締まらない国もある」そうではありませんか? 取り締まらないで放置している国のひどさ、現状を、しっかり記載してバランスをよくしましょうよ。 憎悪表現を取り締まらない国が、いくつかあるじゃないですか。 憎悪表現どころか、現地の日本企業に破壊活動をしたり略奪活動をしたり、日本人というだけで暴力を振るわれるとか財産に危害を加えられるとか、そういう表現を超えた暴力活動さえ、いとも簡単に発生し拡大する。こういうのは、ヘイトスピーチ(憎悪表現)どころではなく、悪質なヘイト・アクティビティー(hate activity 憎悪活動)でしょう。誰がどう見たって取り締まるべき現象でしょう。しかし、まともに取り締まらない。特定の外国人に対する憎悪活動を防止する程度のこともしない、できない、その程度の国内治安の確立していない国がまさにあるじゃないですか。シナですが。 

南朝鮮も、取り締まらない国でしょう。日本の国旗を鳥と一緒に焼いたり、日本の国旗を国会議員が踏みつけてうれしそうに笑ったり。戦時売春婦の人が、いかつい顔で、「日本人を殺して食ってやる!」とか言っているのも何回か聞きましたが、なんですか、あれ? いま日本列島で生きている日本国籍を持っている何の罪もない人が、あんたに殺されてしかも食べられなければならない理由がどこにありますか? 野蛮で非文明的ですね。 どんな土俗的な信仰をあつく信奉しているか知らないし、知りたくもありませんが、徹底的に糾弾されるべき憎悪表現の典型といえるでしょう。 まともな世論をつくろうとする動きが少しでもあれば、こういうのは徹底して取り締まるべきでしょう。こういう戦時売春婦の言こそ、まさに日本人に対する「命の差別」なんですよ。なぜ、そういう「憎悪表現を、取り締まらない国」を出さないんですか? 出さないくせに、なぜ、新大久保のデモによって、日本が国際標準から外れているかのようなニュアンスの記事をながすのでしょうか。偏っていますね。日本だけが国際標準から外れているかのような見せ方をしようとしている。 「日本政府や日本国民に対する憎悪表現を全くとりしまらない国」、そういう国が、いかに国際標準的なモラル、行動、言動の枠から脱落しまくっているか、ということをあわせて報道すべきでしょうね。 そういう報道は、時事通信が自ら調査してやって、自分の会社の記事をバランスのとれた日本国民向けのものにすべきでしょう。

もう一つの偏向です。「在特会側は、抗議や規制を求める動きに「よりひどい海外の反日デモもある」と反論。」 などと書いて、在特会側だけの特殊な見方であるかのような卑怯な伝え方は、明らかに偏っているでしょう。偏向報道以外のなにものでもないですね。偏っているというか、もし、この記事の書き手である記者が、在特会だけの特殊な見方で、一般国民の見方ではないと認識しているならば、認識が誤っています。なぜなら、多くの日本人が、おかしな誹謗中傷に満ちた、憎悪表現に満ち満ちた反日デモがあることを知っているからです。新大久保のデモなど比べものにならないような、憎悪表現に満ちた反日デモがあることは、広く一般国民が知っていることです。別に在特会という組織だけが極めて狭い範囲でそう思っていることではないですよ。 通信社で、公正な報道をやろうという最低レベルの意志があるなら、そういう誹謗中傷に満ちた反日デモを、ただ、「日本を批判するこんな過激なデモがありました」みたいに垂れ流しで伝えるのではなく、強く批判的な見地を盛り込んで、「憎悪表現を含む仕方で、日本政府や日本人をおとしめるデモがありました」 と報道したらいいじゃないですか。そういう報道を過去に時事通信はどれだけ蓄積していますか? おそらく皆無でしょう。だから偏向情報機関だとみなされても仕方ないでしょう。戦後直後のGHQの情報統制、つまり、「シナ(当時は中華民国)への批判、朝鮮人への批判はやってはいけない」とかいう情報統制を、主権回復から61年経過しても、いまだに後生大事に自分たちに課している報道機関、日本国民を主権者ではなく、永遠の「被」征服国民であるかのように不当に扱う報道機関、2013年になっても、自分たちの報道を公正中立であるかどうか自己分析して偏向報道を脱出することが組織的にできなくなってしまった報道機関とみなされても仕方ないのではないでしょうか。

でも仮に、シナとか南朝鮮でも、日本人は知らないだけで、一生懸命取り締まっているんですよ... ということなら、シナや南朝鮮の取り締まりの実態、詳細を通信社が自らの労力で渾身の取材をして、ルポルタージュにまとめて、日本国民に知らしめてくださいよ。 お願いします。やらせはごめんですが、本当にそういう努力を、過去に何年も積み重ねているのに、だめだ... というのなら、知りたいですね。

一般的に、日本国民は、何も理由がないのに、一方的に特定の外国の国民を排斥したり憎悪したりすることはないだろうと円猿は考えるものです。日本国民の良心を信じていますから。 だから、きっと社会的にとりあげるべき大きな問題が、このデモの背後にはあるのではないかと推察します。 在特会というのは、在日朝鮮人の特権に対して、抗議をする人たちの会のようですね。 「特権」というのは比ゆ的な意味ではないかと思いますが、 本来、日本国民しか受給資格のない生活保護費を、永住権のある外国人などという例外を設けて、数万人の在日朝鮮人の人々が受給していることは、国家財政に大きな負荷をかけつづけている問題、若者の失業率が高くデフレがつづいてきたここ20年の間の巨大な問題と言ってもいい問題です。それも、何世代にもわたって特定の国の外国人が「違法に」集中的に生活保護を受給していることが問題です。その一部が北朝鮮に流れて過去に日本を標的にした武器や核開発に用いられている可能性も否定できない。
 また、戦前に日本政府が強制接収した駅前の土地を、戦後になってから一部の朝鮮人が不当に占拠してきたことも問題です。主権者国民をさしおいて、在日朝鮮人の人々が行政レベルで金銭的な優遇や物的支援を受けることがあれば問題です。多くの日本国民は知らないが、NHKの受信料を在日朝鮮人が慣習的に免除されていることは問題です。日本国民の生命や自由を脅かす行動(拉致)を計画的に繰り返し繰り返し行ってきた朝鮮総連に対する税制の優遇は巨大な問題ですし、朝鮮総連と明確にひもづいている各種学校である朝鮮学校に自治体で補助金を出していることなど(例:東京都荒川区で朝鮮学校建替えに2億4000万円)も、問題です。彼らは、自治体行政に対して集団的な圧力をかけて、日本国民の税金を、自分たち用に奪い取ろうとしているとしか見えないのです。公正の観点が、まるでない。国や自治体に対して、日本人と全く同じ納税基準で納税し、公的な義務も果たした上で、それに見合った金やサービスを受け取るという思想が、まるでないのです。

さらに他に「特権」と呼べそうなもの、あるいは、日本の公的機関に圧力をかけて「特権化」していると判断できる事柄の例はたくさんあると思います。円猿も、だから、在特会は何をやってもいいとは思っていません。思っていませんが、こういう社会的な不公正を放置しないような仕組みが設計され、在日朝鮮人が被害者ぶったり弱者ぶったりしても、断固として拒否し、主権者である日本国民をまず中心にすえた上で、社会的な公正をもとに彼らの要求を客観的に吟味し議論し検証する。そういう公開のプロセスを経なければ、1銭たりとも動かないようになってほしいと考えています。 そして、さらに、不公正が行われていないかをリアルタイムで監視するくらいの強力な第三者機関、インテリジェンス機関が良心ある日本国民によって構成されてほしいと考えています。

最後に、日本人が特定の国民に対して、根拠を明確にした上で、憎悪に満ちた発言を含むデモをすることを、「極めて残念」(安倍首相)と表現したり、「規制を求める動きがある」(詳細不明)そうですね。 首相の発言は、当然といえば当然ですよ。日本の首相として、発言するとすれば、こうなるでしょう。円猿は、「日本人の良心を信じている」で終わりにしてもいいと思いましたが。それでも、日本のマスコミが正常に機能していなからこそ、首相が「日本人の良心を信じている」というコメントで終わりにできないということです。 今回の時事通信の記事でおわかりになったように、なぜ特定の外国人が対象のデモに発展しているのか根拠を説明して報道しない。それをできるのにやらないのです。現象面だけとらえる薄っぺらな報道をやる。「日本人」が一方的に憎悪表現しているという報道の仕方をする。日本人だけが国際標準から外れているかのような報道の仕方をする。時事通信の記事はそうではありませんが、中には、日本人一般が、本性として外国人排斥の傾向を持っているかのように匂わせる不当な一般化をして報道するものもあります。 「規制を求める動き」は、実際にあるなら、具体的に誰がどういう方法によって、やろうとしているのかを報じてほしかったですね。具体的に誰がどういう方法によって、というのがなく、誰かが場当たり的な発言をしたという程度ならば、「規制を求める動き」はこの記事に必要ないでしょう。 まず、なぜそういう現象が、この2013年に起きているのか? その原因や根拠を分析し説得的にレポーティングして、公に意味を問うことが、マスコミに求められる作業でしょう。 その上で始めて、規制をするかどうか、という段階について一言付け加えることができるでしょう。
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2013年05月07日

日本が負けることに賭けているだけの人々

円猿の語りを追加いたします。

日本が「もう一回負けることに賭けている人々」というのがいますね。護憲を訴える人々とか、国防や抑止力なしに平和を語る人々を見るたびに、円猿はそう思います。 日本の大手新聞や、NHKなどの論調は、典型的に「日本が負けること」に賭けている人々の論調と言ってよいでしょう。

別に、勝って勝って勝ちまくるべきだと円猿も主張しません。 でも自分の国の憲法くらい自分たち国民でつくるのが、なぜまずいのか? それを論証したらいいでしょう。そう思いませんか。例えば、こんな論理で誰かが意見を言っても、何も論証したことにならないでしょう。

1. 大日本帝国憲法だったから、戦争が起きた。あるいは戦争を防げなかったのだ。

2. 戦争が起きたのは、お上が人民に憲法を与えるという「欽定憲法」だったからだ。

3. 本来は、国民が国民自身のために、「民定憲法」をつくるというのがいいにきまっている。

4. しかし、日本国民が無能で教養もなく愚かなので、自分たち国民のために、憲法をつくれるはずがない。

5. だから、永遠に日本国民ではない、戦後の占領政策のGHQの人間が即席でつくった、いまの「日本国憲法」 という特殊な憲法を無理無理に運用してでも、それで満足して変えないべきだ。

すべての論理が破綻しています。前提条件として、すべてが誤っていますが、円猿としては、4. を徹底的に批判して、少なくとも4. の論調はやめた方がいいと信じる者です。いったい誰が、自分たち国民をトータルに愚かで無能で憲法をつくる資格もない人々だ、などと評価しえるのでしょうか? それがアポリアですね。ただ、取り掛かって、やればいいだけのことです。 何さまが、日本国民を憲法をつくる資格のない国民だなどと評価する資格があるのか。そんな主張をする猿に逆に公然と問いただしたいくらいです。 「なぜあんたは、今の日本国民の全体が、憲法をつくる資格のない国民だなどと主張できるのか。それを論証してもらいたい。 その上で、いかなる資質を持ち、いかなるスキルを身につけた国民が集団として憲法をつくる資格があると評価できるのか、すべての国民に対して説得的に論証してもらいたい」 と。 まあ、そんなまとも正攻法の質問で問いただすのも馬鹿馬鹿しい無思想な馬鹿ですけどね。 日本国民が自分たち国民のために憲法をつくる資格がない、などと主張をするのは。 そういう主張をしている時点で、思考停止型のどこまでも傲慢な勘違い人間とか、敗戦利得者のプロパガンディストなんですよ。ただ単に。そういう馬鹿は置いときましょう。

とりあえず、国民が国民自身のために、憲法をつくるのが可能ならばやったらいいじゃないですか。 何でやらないのかと円猿は思うのです。
国民の評価にさらされることのない官僚、機構や運用お金の計算や分配の知識しかない官僚や、一部の国会議員の人々、一部の政党に頼る必要もないと思いますが、様々な立場、様々な世代の国民の様々な意見が出され、イデオロギーに左右されない有益な議論がなされる場、会議を設けて、プロセスを考え、憲法を一部でも試験的に変える作業をなぜやらないのか、不思議ですね。まあ不思議です。

それで、マスコミ。というか、マスゴミですね。 たちのわるい組織であり、集団があります。マスゴミ批判をすると、そんなのは誰にでもできるし、言っても何も変わらないよ、と円猿もよく言われますよ。 それでも、ぼやき程度の話ではなく、多くの国民や公共を対象に情報を組織的に発信している人々には、よほど注意しなければならないと考えて、このブログでも、共同通信のつまらないコラムとか、時事通信のワシントンポストの捏造記事とか、そういう低レベルなものを扱って、批判の材料にしています。

彼らは、とにかく、「もう一回日本が負けることに賭けている」 人々ですね。 自分たちが正義の観点から日本の国防に反対とか、国境を磐石にすることを、軍国主義だなどとイデオロギーがかった平和主義を主張していれば、 どこか他の国と日本が戦争して、戦争で日本が負けても、もう一回、自分たちは、「敗戦利得者になれる」 と打算しているだけなんですよ。 だから、こいつらは全く正義を追求する人々ではなく、平和主義ではさらさらなく、 公益にかなったことなどほとんど全くやっていなくて、実際のところ、 ひたすらに「保身」にこだわっているだけの利己主義者集団だということなのです。日本が負けることに賭けて、日本が負けたときに、かっこよく「変わり身の早さ」を発揮してやろう、くらいにたくらんでいる子供のように無邪気で哀れな連中なのです。

そうでなければ、日本の国民と国土、領海、領空について、国民に多くの情報を提供するでしょうね。なんでやらないんですか? 竹島の歴史、南朝鮮の暴力による侵略が行われる前の、竹島の歴史を、どのマスコミが、詳報したでしょうか。 寡聞にしてきかないですね。 日本の国土ならば、定期的に多くの世代が共有できるような情報、若い世代が受け取りやすい教育的な情報を、吟味して提供するのが、「日本の国にある日本語で発信するメディア」の基本的な任務のはずでしょう?

北方領土も同様です。 旧ソ連がいかに卑劣な方法で、国際法にも条約にも基づくことなく、日本人を虐殺し、北方領土を暴力だけで奪い取ったのか、なぜ、その程度の情報を、世代が共有できるような情報、若い世代が受け取りやすい教育的な情報として提供しないのでしょうか。 旧ソ連からロシアへとレジームが完全に入れ替わっているのに、レジームが替わるタイミングで何も周辺国との問題解決をしないで、旧ソ連が不当に軍事侵略をした北方領土の所有権を主張しているロシアなどは、野蛮というほかないでしょう。

さらに、尖閣諸島ですね。 尖閣諸島が、どのような大島、小島から形成され、標高はどれくらいあるのか、周辺の海流はどうか、どのような魚がとれるのか、海の環境はどうか、住民がいた頃はどの島でどのような生活が営まれていたのか、島の季節の移り変わりはどうか、等々。 多くの国民はかなりそういうことに関心を持っているのではないでしょうか。安全に尖閣に行ってみたいと考える、納税者国民も結構な数がいると思います。四季を感じたり、ダイビングをしたり、海水浴をしたり、尖閣諸島でそういうことができたらきっといいだろうと思う国民も少なくないのではないでしょうか。なぜ、尖閣諸島について、多くの世代が共有できるような情報、若い世代が受け取りやすい教育的な情報として提供しないのでしょうか。 

分かったような猿みたいなツラをして、「チューゴクを刺激してはいけない」などと言う、警告発信猿がいますね。 何を主張したいんでしょう。 こういう猿は。 この言葉を翻訳してほしいものです。この猿のような言葉を。 
「チューゴクに攻撃をしかけられて、多くの日本国民が死ぬから、刺激してはいけない」 とこの猿は主張したいんでしょうか?
「チューゴクとの友好関係をなくさないために、刺激してはいけない」とこの猿は主張したいんでしょうか?
いずれの論理においても、批判すべきは、シナしかないでしょう。理由を述べましょう。 

1つめ。 「チューゴクに攻撃をしかけられて、多くの日本国民が死ぬから、刺激してはいけない」という理由は、まさに相手の国民(日本国民)に対して、一方的に殺害される不安と恐怖を与えていることになりますね。シナに対してそういう攻撃されたり殺害されたりする不安と恐怖を覚えるべきだという主張も含んでいます。考えてみてください。相手の国民にこのような不安と恐怖を与える国こそが、完全な「軍事主義国」だということですよ。 だから、シナこそが完全に迷惑な軍事主義国家なのです。それをこの猿は認識すべきです。 しかも、相手は共産党の暴力軍事主義国家です。過去にも数十万の同胞を殺害し、自治区の人々もやはり何万を殺害していると言われている。その数さえ正確に調査しないし公表もしない。野蛮きわまりない共産党暴力主義国家ですね。 自分が周辺国の安全と平和を脅かす、まったき暴力軍事主義国家だということを隠蔽するために、「戦前の日本は暴力主義だった」とか主張して、それに隠れて、征服者になろうとしている最低な卑劣な奴らです。 

交戦国でも全然なかったくせに、戦後北京を占領しただけで、戦勝国になったつもりで、「日本は、敗戦国なのだから国防を増強するな」とか意味不明なことを繰り返し繰り返し主張する。円猿に言わせれば、「敗戦国だからこそ、国境や国防をがっちり増強するんですよ。 じゃないと、また負けたらどうするんですか?」という話です。 実際は、過去の戦争に勝ったとか負けたとかいうことと、 いま、国民と国土を守るために国防するのは、まったく関係のない別の事柄でしょう。さらさら関係ありませんよ。 敗戦国が国防をやるのがよくないならば、敗戦国の国民には、「主権」が無いということになってしまうでしょう。なぜなら、国民や国土を守れないのは、「主権」が無いということでからです。 一度でも対外的に戦争して敗戦した国民には、「主権」が無い。シナが主張しているのは、ほとんどそういうまったく意味不明のことですね。これから先、シナの共産党の国家が内乱か外国からの侵略で「敗戦国」になったら、決して国防をやるなよ。そう円猿は言いましょう。必ずそうしてください。それができなければ、日本国民は「お前らは国防をする資格なし」を連発しましょう。 シナは、いまでも多くの日本国民が残虐で冷酷な殺人鬼のような国民性を持っているかのような主張をすることによって、自分たちの軍国主義をただ単に正当化したいだけなんです。 「過去の軍国主義日本」「残酷な日本国民」 を、バランスに用いている。 卑劣で、かつ、低レベルなレトリックの類です。これが単なる自己正当化のレトリックにすぎないということを、しつこく主張すべきでしょう。

2つめ。「チューゴクとの友好関係をなくさないために、刺激してはいけない」などという主張も、シナを批判する論拠にしかならないでしょう。シナ共産党が昭和40年の時点で領有を主張していなかった尖閣諸島ですよね。尖閣諸島周辺に資源があるという打算で領有主張していることについて、一度の説得的な説明もしていないのはシナの方なんですよ。 その態度こそ、友好関係に反するものです。シナこそが、すべてのシナの公船、おんぼろ漁船を含めて、日本の尖閣諸島周辺の領海に入らないように、徹底的に警備すべきでしょう。それが、「日中平和友好条約」の精神にもとづいて、義務を履行するということです。領有権の主張をしたいのならば、いったんそうやって義務を履行した後に、二国間協議を日本に求めるとか、国際司法裁判所で公正をもとに争えばいいことでしょう。その程度のことをやらないシナに、友好関係を語る資格など無いし、何の正義も主張しえないことは明らかなのです。

結論としては、「チューゴクを刺激してはいけない」などとほざいている猿は、ただ単に、「日本がもう一回負けることに賭けている猿」だということですよ。それだけです。陳腐ですが分かりやすい結論ですね。冒頭に戻ったわけです。 日本の主権者である日本国民の命、日本の領土主権よりも、「チューゴクを尊重すべきであり、刺激してはいけない」と実質的に主張しているだけですから、こいつは明らかに、日本人の命がいくら失われようとも、日本の領土がいくら奪い取られようとも、「日本がもう一回負けることに賭けている」だけの単純な存在なのです。 極めて単純です。

そして、この不潔な猿は、何千何万人の日本人の命が奪われようとも、どれだけの日本の領土が焦土と化しても、何の意に介することなく、自分の命だけ助かれば、猿回しの猿さながらの小気味よい変わり身の早さを発揮して、1分1秒でも多くの時間を生き延びてやろう。こう画策している不潔な猿だということです。他人よりも生き延びる価値など全然ない馬鹿猿のくせに、自分の保身と利己主義だけでひたすら行動することができる、そういうできの悪い最低の猿です。一昔前ならば、売国奴という言葉を用いるところでしょうね。 円猿はこの言葉は基本的に用いません。シナ語と共通する単語だからというのもありますが、売国などという事象は実質的に存在しないと考えているからです。その人本人の行動やモラルを徹底的に批判し弾劾すべきで、そんな人物に貼るレッテルに「国」などという文字を用いる必要はない。円猿はそう考えています。だから、「チューゴクを刺激してはいけない」とキュウカンチョウのように繰り返す猿は、ただ単に、使えない猿であり、不潔漢であり、無様な猿です。
posted by 警鐘凡打 at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする