2018年02月18日

「示談」をよそおって、加害者である自らの不正義を押し通そうとする人々


最近、警鐘凡打的に、きわめて不思議に思うとともに、重要な気付きがありました。

それは、

示談 という言葉をめぐるものです。

「示談」には、一般的な意味と法律上の意味の2つがあるようです。
1) あらそいをやめて、話しあうこと (一般的な意味)
2) 民事上の紛争を、裁判外で解決すること (法律上の意味)

多くの日本人は、この「示談」という言葉に、「双方が相手の言い分を認めて話し合いに応じる」 というポジティブな(良い)意味を見出しているのではないでしょうか。

ただ、「示談」そのものの概念が、われわれ日本人とはまったく異なる人々がいるようだとわかってきました。 最近のニュースからわかってきたのです。 その人々とは、朝鮮出身の人々です。 もちろん、そのすべてがまったく異質な「示談」の運用をしているとは決めつけませんが、まったくことなる二つの事例で、驚くべき共通点が見出されたのです。

これらの二つの事例を説明しましょう。

一つめの事例は、北朝鮮の人々が工作船で松前小島に上陸し、この無人島で非合法な暴力を行使し掠奪と破壊行為に及んだときの事例です。

彼らの行為は、日本という外国の領土における「戦闘行為」と呼ぶにふさわしいものであり、本来ならば、日本の自衛隊がすみやかに鎮圧すべきでした。

仮に、国家対国家の戦闘に発展させることなく、国内の警察事案とみなすとしましょう。彼らは殺人こそ犯していないものの、日本の領域内で治安を極度に侵犯したのです。一昔前であれば、半永久的な拘束に相当する罰を受けるべきだったでしょう。

あるいは、古代からの慣習に沿って、「人質」として身柄を無期限で拘束され、場合によっては、北朝鮮に不当に拘束されている日本人拉致被害者(北朝鮮が、日本を仮想的として拘束した人質です)との交換要員となるべきだったでしょう。

この北朝鮮の人々は、まぎれもない加害者であり、彼らには何の正義もないことが明らかです。 彼らは加害者である自分の不正を認めたうえで、損害を満額賠償するのが最低のつとめでしょう。より常識的には、旧状を回復するだけでなく、それにプラスして損害をつぐなうべき人々でしょう。

松前小島の件では、その後、動きがありました。

朝鮮総連が、松前小島を管理する松前さくら漁協に、示談を申し込んできたのです。多くの新聞は「示談」という語を用いずに報道していましたが、総連が一般的に日本で認知されている「示談」をもとめてきたことは明らかです。

そして、朝鮮総連は 1600万円を超える被害があることを報道で知りながら、真摯な謝罪をするどころか、わずかに40万円の金額を示し「被害届を取り下げてほしい」と要求してきたのです。信じ難いことです。自分たちが加害者であることを帳消しにすることだけに関心があるのです。

「示談をよそおって、加害者である自らの不正義を押し通そうとする人々」という形容がぴったりきます。

もちろん、北朝鮮の工作船の人々=朝鮮総連と完全に同一ではないという指摘があるでしょう。ですが、朝鮮総連こそは、日本と国交のない北朝鮮の非合法的な代表機関なのです。 大使館が無いかわりに、本来認められていないにもかかわらず、暫定措置として、朝鮮総連という非合法な代表機関の設置を、日本政府はいやいやながら認めさせられてきた。これが真実ですから、北朝鮮の工作船が加害者として一方的な損害を与えたことに対して、朝鮮総連がその非を直視したうえで、損害を賠償すべきなのです。

二つめの例にいきましょう。今度は、あやしい新興宗教を主催する者が、日本各地の寺社の建物等に、油をまいて汚損させていた事件です。日本に帰化した朝鮮出身の人物でした

ニュースなどでは、米国在住の医者だとされていますが、この宗教家ぶった人物は、みずからの恣意的な宗教意識によって、日本国民が何世代にもわたって大事に管理してきた伝統ある建造物を、汚損することに意味を見出していた異常な人間です。自らの不潔きわまりない意思によって、日本の文化遺産に対する破壊行為をおこなった最低な人物と言い換えてもいいでしょう。 

あえて、「最低」という語を用いたいと思います。 なぜなら、彼は日本に帰化したという過去がありながら、日本国民の共通の価値を認識することを徹底してさぼり、そして、たださぼるだけでなく、自らすすんで、日本国民が世代をこえて認めてきた価値を一方的に破壊しようとしたからです。 これを「最低」と呼ばずして何と呼ぶのでしょうか。こんな人物は、即日、日本帰化の無効を宣言し、日本の旅券を永遠に剥奪して、国外退去扱いとし、永遠に日本国内に一歩も足を踏み入れることができないよう監視すべき対象のはずです。本来、「起訴」する価値も無い存在です。そんなコストすら無駄だからです。

この油まき破壊活動者が、なんと、「示談」を持ちかけたのです。

この人物の「示談」は、上に一つ目の事例として示した、朝鮮総連の漁協に対する示談の申し出ときわめてよく似ていました。自らの罪を認めることなく、「処罰を望まない」との念書提出を寺社(被害者)に求めたのです。

加害者の分際で、いったいなにさまのつもりなのでしょうか。そして、姑息なことに、この人物は日本の寺社が「処罰を望まない」という念書を出して示談に応じたら、その後で、自分の非を認めてもよいなどと主張しているという。 ふざけるなの一言でしょう。 なぜ、一方的な加害者が、自分の随意に、自分の行為の是や非をコントロールすることができるのか、それができると信じることができるのか。まるで理解できない。この人物が、

「示談をよそおって、加害者である自らの不正義を押し通そうとする人間」 であることは明らかです。 以下の記事にも書いてあるように、加害者が、自分の犯した害を認知することがなく、なぜ、「示談」が可能になるのでしょうか。 ここには、「示談」について、一般の日本人と、朝鮮の人間との間に大きな認識の違いがあることが明らかです。

北朝鮮の工作船の加害について、「示談」を申し込んできた朝鮮総連にせよ、日本の伝統ある寺社への一方的な加害をしたくせに、「示談」を申し込んできた人物にせよ、自らの不正義を認知するというプロセスが完全に欠けている。


これが、二つの事例の共通点なのです。


そして、姑息な交渉を持ちかけ、自分の交渉しだいで、自分の不正義が帳消しになると信じ切っているというのも、共通点です。


この日本人が到底理解できない朝鮮の「示談」という文化ないし悪習は、おそらく、ものすごく古い歴史を持ったものなのでしょう。


この種の「示談」が朝鮮内で発揮されることを想像してみてください。力や金のある連中は、自分が一方的な加害者として、いかなる非人道的な行為をしても、「示談」によって、理不尽な被害をこうむった人々を封じ込めることができると信じてきたに違いありません。つまり、「示談」とは、不正義を隠蔽する手段であり、被害者を無き者にするような、恐ろしい手段だということが分かるのです。もう何百年、千年以上も、そうやって、社会的な不正義を放置し、人々の感情や民意を圧迫してきたに違いありません。そんな野蛮な「示談」の風習を色濃く残存している地域には、常識的に考えて、民主主義など根付くわけがありません。なぜなら、民意や一般国民の意志は、「示談」によって、容易にかき消すことが可能だからです。民意を、ふざけたローカルな「示談」の次元を超えて、公的な次元に高めることができないからです。


日本と南朝鮮の「慰安婦合意」のゆくえが問題になっていますね。 南朝鮮の大統領が交代したら、合意を破棄すると言い出しました。おそらく、ここにも彼らのゆがみきった「示談」の概念がねじこまれているのです。 


話し合いで解決するのは良いことだと日本人なら誰しも思っています。


しかし、その「話し合い」(示談)そのものの概念が、上に述べたように、一般の日本人と朝鮮の人々(一部であれ)は、根本的に異なることからスタートしなければならないでしょう。なんせ相手は、「示談」をよそおって自らの不正義を押し通そうと必死なわけですから。


話し合い(示談)の前提を徹底的に議論し、双方で認識を一致させることができなければ、「話し合いで何も解決しない」。そうなることは目に見えています。話すだけ時間の無駄。そうなりかねないのです。






posted by 警鐘凡打 at 02:50| Comment(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月31日

大相撲の騒動にもの申す(2)白鵬はすみやかに引退してモンゴルで相撲興行を立ち上げるべし!


大相撲の騒動にもの申します。 今回は2回目となりますが、もう少し具体的なことを述べます。

今回は、白鵬という現役力士について物申します。

彼の動きには非常に多くの疑問点があります。いくつかの疑問点を分類して具体的に述べましょう。


(1) 土俵上の取り口と態度が異常すぎる点

まず、これから行きましょう。彼の態度の異常さは、取り口の異常さ、相撲の取り口以外の異常さに分けられます。

取り口の異常さについては、立会い時、ヒジという凶器同然の身体の部分を用いて、頭をつけようとしてきた相手力士の顔面や頭を殴打している点を挙げるでしょう。この点には、複数の親方、対戦力士、相撲ファンも多数以前から気づいていました。 Youtubeなどでスローモーションで過去の取り組みを見れば、ヒジで相手力士の顔面や頭を強く殴打している取り組みが多数あることが分かります。 

「かち上げ」 だとする評者もいますが、これについても批判しましょう。 そもそも、「かち上げ」とは何でしょうか。 この「かち上げ」が厳密に定義されたことは、過去に一度も無いのです。 

「かち上げ」が用いられる文脈にもとづいて、これを定義的に述べるのならば、

「(立会い時、)腕に全身の力を乗せ、相手の身体に押しつけ、下からおっつけて相手の上体を起こす」 程度の意味でしょう。

 ヒジを使うかどうかは、「かち上げ」の厳密な意味には含まれません。しかし、人間のヒジが凶器になることを考えれば、かち上げの動作にヒジでの殴打を勝手に組み込むことはできないはずです。 つまり、「かち上げ」には、ヒジを使うことが暗黙裡に除外されているとみなす必要があるでしょう。

ところが、白鵬の動きはどうでしょうか。

白鵬の動作は、「ヒジを凶器として用いた、相手力士の頭や顔面に対する殴打」にしか見えないのです。文字通りの暴力です。

これは、危険行為であり反則動作として認定すべきものです。 本来ならば、行司がヒジでの殴打を視認した時点で、両者の動きを制止した上で、反則技をつかった白鵬の反則負けを高らかに宣言すべきなのです。

これに関しては、長くなりますが、

デイリー新潮の最新記事を以下に引用します。


2/1(木) 8:01配信

デイリー新潮
「卑怯な横綱」


豪栄道を破壊した白鵬のエルボースマッシュ 貴乃花が明かした“卑怯な特注サポーター”

相手を“瞬殺”するエルボースマッシュ
貴乃花は激昂!  「白鵬」最凶の所以は「特注サポーター」の異常硬度(上)

 ガチンコで22回の優勝を果たした「本物の大横綱」から見れば、白鵬(32)は「卑怯な横綱」に過ぎない。平幕力士に連敗し、逃げるように初場所を休場した白鵬が装着している右ひじのサポーター。貴乃花親方(45)がタニマチに明かしたのは、その「特殊性」だった。

 ***

 かち上げと張り手が使えなければ、白鵬の勝率は今の半分になる――。初場所が始まる前、白鵬が所属する宮城野部屋の関係者はそう「予言」していた。横綱になってからの白鵬の勝率は約9割だが、今場所は4日目で勝率が5割になったところで休場を決断。宮城野部屋関係者の予言は的中したと言って良かろう。

 初日、2日目は辛うじて勝ち星を掴み、迎えた3日目。前頭筆頭の北勝富士との一番は、

「白鵬の完敗でした。立ち合いの際に手をつけられないなど、相変わらず不安定でしたし、すぐに相手の押しに棒立ち状態になってしまった。最後は横向きに押し出されており、なすすべもなく負けた、という取り口でした」(ベテラン相撲ジャーナリスト)

 4日目の相手は前頭二枚目の嘉風(よしかぜ)。先場所、敗北したことが納得できず、土俵上に仁王立ちするという暴挙に出て猛批判を浴びた「因縁の相手」である。

「嘉風が左から差してきたところを白鵬が右からおっつけて左のど輪を狙ったが、それがすっぽ抜けてバランスを崩し、はたき込まれてあっけなく土俵に手をついてしまいました」(同)

 前人未到、40回の幕内優勝に歴代最多勝ち星。あらゆる記録を次々に塗り替えてきた「最強横綱」は、かち上げと張り手が使えないだけでこれほどまでに弱くなるのか……。そう感じた相撲ファンは多かったに違いないが、白鵬自身も醜態をさらし続けることに耐えられなくなったのだろう。両足親指のケガを理由に休場し、早々に初場所の土俵から“逃亡”してしまったのである。

「今場所の白鵬は何をやっていいのか分からず、自分自身を見失ってしまったかのようでした。優勝40回の金字塔を打ち立てた“大横綱”にはとても見えなかった」(同)


 貴乃花親方が有力タニマチに初場所の感想を述べたのは、白鵬が休場を決断したのと同じ頃である。白鵬に関しては、取組の内容には触れず、

〈彼(白鵬)が巻いているサポーターというのは特殊なものらしい。どうやら業者に特別に作らせて、一般の物よりも硬めに出来ているそうです。そういうものを使うのは卑怯です〉

 と指摘した上で、次のように語ったという。

〈相撲の土俵の上というのは真剣勝負の世界だが、一歩相手が土俵から落ちたならその相手を助けにいくような誠意の気持ちをもたなければなりません〉

 貴乃花親方が言及したサポーターは、確かに今場所も白鵬の右ひじに巻かれていた。そのサポーターの詳細とそれに関する「疑惑」については(下)で後述するとして、まずは今場所、白鵬が封印せざるを得なくなった「かち上げ」に触れておきたい。

「かち上げは相撲などで使われる技の1つ。鉤状に曲げた腕で、相手の胸の辺りを狙って突き上げるように体当たりする技です。しかし、白鵬は相手の顎よりも上にひじをぶつけている。あれはかち上げではなく、エルボースマッシュです」(相撲記者)

 スポーツ評論家の玉木正之氏もこう話す。

「あれはエルボースマッシュ、ひじ打ちですから、“かち上げ”と表現すべきではないと思います。白鵬は自分のひじでフック気味に相手の顔や顎を狙ってみたり、時には上から斜め下に振り下ろすひじ打ちを行うこともあり、明らかに反則。横綱としてのあるべき姿とか、そういう問題以前に、彼は反則技で勝ってきたことを自覚した方がいい」
豪栄道を「破壊」

 その反則技がいかに危険なシロモノかは、取組の映像を見れば一目瞭然である。

 例えば、2016年の夏場所。白鵬のエルボースマッシュの餌食になったのは関脇の勢(いきおい)だった。立ち合い、白鵬はまず左の張り手を出し、次の瞬間、勢の左頬あたりに自らの右ひじを力任せにぶつけた。両の手を虚空に泳がせながら、腰から崩れ落ちた勢は、軽い脳震盪を起こしたのか、しばらく立ちあがることすらできなかったのである。

 さらに、同じ場所で白鵬は大関豪栄道を「破壊」してもいる。右ひじをもろにくらわせ、左眼窩内壁骨折を負わせたのだ。

 豪栄道の母校、埼玉栄高校相撲部の山田道紀監督が嘆息する。

「豪栄道がやられた時は“あー”と思った。横綱の相撲としては見苦しい。昔の横綱は相手を壊すような相撲はとらなかった」

(下)へつづく

「週刊新潮」2018年2月1日号 掲載


次に、相撲の取り口以外の異常さに言及しましょう。 

勝ったり優勝が決まったときに、奇妙なポーズや表情で、勝者であることを誇示したり、えらぶったりすることです。

これは、白鵬が外国人だからする行為では無いのです。簡単に証明できます。

直近の場所で優勝した栃ノ心(グルジア/ジョージア出身)は、14番勝利し優勝しましたが、彼は勝った一番の直後を見ても、優勝が決まった一番の直後を見ても、相手力士への敬意を失わず、たんたんと振舞っていました。親方衆、現役の力士、相撲ファンたちも、栃ノ心が誠実に相撲道を邁進していることが分かったのです。

相撲の取り口以外の土俵での態度の異常さと言えば、行司の下した審判に不満で、1分以上も土俵に居たことも挙がるでしょう。こんな醜態を示した力士は、過去に見たことがありません。力士としての地位は何ら関係ありません。序の口だろうが横綱だろうが、自分の一番を裁く行司と審判部に勝負をゆだねているのです。その信頼関係は、平素からだけでなく、仕切りの時間を通じて築かれていくものでもあります。相撲の文化をまるで理解しないからこそ、また、自分の横綱としての「権威」によって行司の審判を覆すことができると信じ込んでいるからこそ、行司に不満を示し、1分以上も土俵に居残ることができたのでしょう。 不遜きわまりない傲慢さです。

(2) 現役力士なのに、「内弟子」をモンゴルから引き連れてきている点

これも、ブログ主は最近まで知りませんでしたが、このモンゴル人力士は、将来勝手に日本で部屋を開くことを前提として、「内弟子」と称してモンゴル人力士を弟子入りさせているようです。 奇妙千万としか言いようがありません。 そんな制度が日本の大相撲にあるとも思えません。「部屋」に所属する力士を、一人の現役力士の恣意によって、外国から連れてきて、しかも、現役力士の直属の支配下に置くなどということは、到底考えられないことです。 この行為は、

現役力士が自分の勝手な構想にまかせて、「相撲部屋内の別部屋」をつくるようなものです。 こんな狼藉を放置すれば、「相撲部屋」そのものの意味がなくなるでしょう。 過去の大横綱は同様のことをやったでしょうか? 前例は無いでしょう。


現役力士は、心技体を鍛え、自分の一番一番の相撲に集中することで、相撲道を進むのです。 横綱となれば、その道をさらにきわめることだけが求められるのであり、 他人を引き連れてきて生活を保障して力士にしてやったり、引退後の自分の道を現役力士のときから準備するなどは、言語道断なことです。 

今の時点で、勝手に白鵬が「内弟子」と称して管理下に置いている力士が本当に存在するのならば、その力士をすみやかに彼の管理下から解放し、本来の「相撲部屋」所属の力士として生活させる必要があるでしょう。


(3) 現役力士なのに、親方や相撲協会に対して、意見している点

これも言わずもがなですが、多くの国民はおかしいと思っているでしょう。 現役力士は、先人の業績によって自分が相撲に集中できていることに感謝するべきであり、親方衆の好悪を口にしたり、特定の親方を批判するなど、論外中の論外です。彼は、「貴乃花親方の帯同する巡業には参加したくない」 などと子供のような身勝手なことを口にしたとされますが、大相撲の伝統も仕組みも何も認識することのない、赤子同然の認識にもとづく発言と見るべきでしょう。 彼が、巡業を大切に考えているかどうか、日本の地方の相撲ファンを大切に考えているかどうかも大いに疑問です。それは、地方巡業にかかわる人々がおそらく共通に感じている疑問でしょう。

これだけ長い時間、大相撲の一員として相撲をとってきた人物が、大相撲の歴史や伝統を軽視できるとなれば、もう、この白鵬には引退しか残されていないでしょう。彼の認識が変わることを全く期待できないからです。

日本では引退後に日本に帰化した人だけが、相撲部屋を開く伝統があります。 この伝統に従わないと自分で勝手に決めて、モンゴル人のままモンゴル人ばかりの奇特な相撲部屋を日本で立ち上げてやろうと画策することは、絶対に許されないでしょう。白鵬は、モンゴルで「相撲興行」を立ち上げればいいのです。 日本の大相撲の内部に寄生して食い荒らすのはやめ、

白鵬は、 日本の大相撲の「のれんわけ」を願い

出るべきなのです。 彼は外国人のまま、日本

の本家・大相撲の中心の位置を得ることはできま

せんし、もちろん、本家・日本の大相撲を乗っ取る

ことも永遠にできません。


日本の大相撲がそんなに気に入ったのなら、

日本相撲協会に正式にお願いをして「のれんわけ」

を許してもらい、日本の大相撲風の興行を、

「モンゴル版大相撲」として、公認の上で祖国モン

ゴルで一から立ち上げればいいだけです。 


たとえば、場所や興行の枠組みだけ、日本の大

相撲のスタイルを借り受けて、衣装や競技上の

反則規定等は、すべてモンゴルネイティブにしても

良いでしょう。 部屋制度を廃止してもよいし、巡業

もやめればよい。 土俵の外ではジャージを着て、

一般の運動選手のように歩けばよいのです。

モンゴルで、彼の思うようにやればいいのです。 


自分の故郷に錦を飾ることは、日本に出稼ぎ労働者として来て、外国人のままカネと地位だけを目当てに低次元な認識で立ち振る舞うよりも、はるかに彼にとって価値があるはずです。

すみやかに彼が引退し、相撲協会に「のれんわけ」を願い出て、モンゴルで大相撲モンゴル版を実現することを期待しましょう。もっとも、願い出たところで、前例のないことであり、完全に拒否されるかもしれませんが。
posted by 警鐘凡打 at 20:38| Comment(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月12日

大相撲の騒動にもの申す(1)


今回は、大相撲についてかたります。

多くの国民、相撲ファンが大相撲の現状について、大きな疑問を持っているでしょう。ブログ主も同じです。

「大相撲なんて無くなってしまえ」と思っている日本人は、まずいないと思います。多かれ少なかれ、大相撲に関心を抱いており、その発展を期待していると思います。 ですが、個人的には、ここ4〜5年、相撲を見る機会が少なくなっていました。なぜかは分かりませんが、どこか、相撲がつまらなくなったように思うのです。

それはさておき、今回の大相撲の騒動の原因を分析すると、ほとんどきりがありません。相撲協会、横綱審議委員会、力士の行動、モンゴル人力士の同郷組織、NHKなどのメディア等々です。これらの諸問題を微細に論じていると、何字あっても終わることがないでしょう。 事実関係に着目し、論点をしぼって何が問題かを指摘する必要があるのです。

(1) 相撲部屋の「外」での暴行事件は、

相撲部屋内のしごきや暴行よりはるかに大きな

問題である


今回の一連の経緯の発端となったのは、鳥取県の飲食店における力士から力士への暴行です。 その暴行が一方的なもので、非常に激しいものであったことは、すでに明らかになっている。「暴行」は、相撲界の問題として、新たに浮上したものではありません。もう以前に聞いたことのある問題です。 

直近の過去の最大の暴行事件といえば、やはり時津風部屋の暴行事件でしょう。 親方以下、先輩力士たちが、「かわいがってやる」などと称して、稽古の場等でビール瓶で殴る等、想像を絶する暴行を繰り返し、将来ある若い力士に致命傷をあたえ、死に至らしめたのです。 明らかな刑事事件です。 この事件を受けて、相撲協会も一定の努力を見せた結果、相撲部屋や稽古の現場からは、暴力を排除できたように見えました。

しかし、です。まだ暴行事件は無くなりませんでした。今回、暴行事件は、相撲部屋の「外」で発生したのです。

今回の暴行事件の大きな問題は、「相撲部屋の外」「稽古以外の場」での事件だという点は決定的に重要です。せっかく、相撲の関係領域から暴行を排除したはずなのに、飲食店で、この暴行が起きた。 見方によっては、相撲部屋での暴行事件よりも、さらに悪質な事件と言えるのではないでしょうか。 なぜならば、相撲からいったん離れた場所、一般の人々が交わる公的な領域で暴行がなされたからです。 こんな暴行が普通に起きてしまったら、相撲取りは、一般の飲食店などに出入りすることができなくなるでしょう。 

ある特定の職業団体の人々が、職場を離れ、公共の場や一般の店でメンバー間で暴力を繰り返すと仮定しましょう。そんな「職業団体」は、暴力団か、そうでなくても、明らかな反社会的団体に違いありません。 日本において、法の裁きを免れ、あるメンバーが他のメンバーに対して、一方的に暴力をふるい、深刻な傷を与える資格を持つような「職業団体」があるとしたら、その団体は、「破防法」で完全解体すべきかもしれません。 テロ支援組織に近い団体だからです。 論者の中には、ただ単に先輩が後輩を叱っただけだなどと論じて平気な人もいるようですが、問題外です。今回の事件は、確実に刑事事件相当の傷害事件です。


(2) 相撲協会は、「刑事事件」として告発した

貴乃花親方を尊重しろ



なぜ、被害者になった力士を守ろうとした貴乃花親方が、相撲協会内で糾弾されなければならないのか。これが理解できません。マスメディアも、貴乃花親方が沈黙したり、憮然としている様子を傲慢だなどと報道しているが、アホな報道はやめるべきでしょう。

相撲協会は、今回の事件を相撲協会内にかかえこんでもみ消そうとしても無駄なわけですから、これを刑事事件と判断して警察に一任した貴乃花親方の前例を、むしろ善い前例として認定すべきなのです。 相撲部屋の「外」での暴力をなくすためには、格好の事例なのですから。

日本に居る限り、ある人間が他の人間に、意に反して一方的に暴力を振るわれ、大怪我を負わされるなどということはあってはならない。そして、今回の事件は、相撲部屋ではなく、相撲部屋の「外」なのだから、なおさら大きな理由をもって、貴乃花親方は警察に一任する必要があったのです。 ただ、一つだけ残念な点があるとすれば、貴乃花親方は、あるタイミングで、自分が敢えて警察に届け出たことの真意を、しっかりと演説でもして国民に知らせた方がよかったのです。 必要ならば、関係者や弁護士と相談して、原稿をつくり、説明してほしかったものです。 

「自分は相撲協会の一員であり、相撲協会を信頼しています。相撲協会を信頼しないから、こういう行動をとるのではありません。自分は相撲界から暴行をなくしたいと思っています。自分の大切な弟子をあずかり、相撲に集中させることだけを考えてきました。日本に居る限り、ある人間が別の人間から、意に反して一方的に暴力を振るわれ、大怪我を負わされるなどということはあってはならない。そして、今回の事件は、相撲部屋ではなく、相撲部屋の「外」なのだから、なおさら大きな理由をもって、自分は警察に一任するのです。」 

短くてもいいから、このような演説を実現してほしかったと思います。そうすれば、彼の真意は相撲ファン、日本の伝統を大切に考える国民に伝わったでしょう。そして、この相撲部屋の「外」での暴行事件が、モンゴル人の同郷組織で発生したということを重く見る必要があります。


(3) 特定の外国から大量の力士呼び寄せは

もうやめろ。

モンゴル人の同郷組織は完全に解体しろ。

親方になるためには日本人帰化を遵守させろ。



ちょっと語気強く主張しますが、この(3)を断固主張する必要があると考えています。 何もモンゴル人力士を差別せよというのではありません。出稼ぎ労働者のように、集団で連れてくるのをやめろということです。 そもそも、最初のモンゴル人力士(旭鷲山)をつれてくるときに、相撲協会は、相撲ファンや国民にことわりを入れたでしょうか? 公聴会を設けたでしょうか? 設けていないでしょう。 相撲ファンや国民は、気がついたら、モンゴル人力士の相撲を見ていたのです。 もちろん、そのこと自体はわるいことではありません。技で観衆を魅了する相撲を見せてくれることは、すばらしいことです。 

ここで考えて見てください。 モンゴル人の力士が過去10年以上の間に一団となり、しかも権力を振るっています。これは相撲の番付どうこうではありません。 モンゴル人横綱が、「貴乃花親方のもとでは巡業をやりたくない」などと発言したことを想起する必要があるでしょう。 この発言は、明らかに権力者としての自分を意識したものです。 過去に力士が自分の部屋、他の部屋を問わず、公然と親方を否定するような発言をしたのは聞いたことがありません。 傲慢不遜きわまりない行為です。

外国人力士の過去の例を振り返って見ると、昭和40年代から相撲に入門する力士はいました。  高見山関、小錦関、曙関、武蔵丸関などがすぐに思い浮かびます。 彼らはハワイ出身の力士でした。彼らは、決して、ハワイ出身者で徒党を組んで権力者ぶったりすることはなかったのです。中には横綱になった力士もいますが、日本人の力士ですら、そんな発言をしないのに、「○○理事が気に入らない」「巡業はいやだ」「横綱で業績を出したから、好きなだけ言いたいこと言ってやるぞ」などと権力者ぶる人はいませんでした。 この明確な違いに注目する必要があります。

今回の(元)日馬富士による暴行を、現場にいた別の二人のモンゴル人横綱が止めなったことが分かっています。この事実は非常に重いでしょう。これは傷害を幇助したようなものであり、相手の力士(貴ノ岩)が、一方的に暴力を受け傷ついて当然だと判断していたということを意味します。 この現場は、異常きわまりないものです。 人が人に対する道徳的態度を発揮することのない、何か大きな理由があったということでしょう。その理由を、モンゴル人力士の内々の八百長にかかわる何かだと推測している人もいます。これは、あながち妄想とは言えません。

このような次第であり、モンゴル人の同郷組織は解体する必要を主張します。 これは外国人差別にあたりません。過去にハワイ出身の力士たちが飲食店で会食等をしたことは何度もあったでしょうが、こんな深刻な暴行事件は発生していないのです。 相撲部屋の「外」で同じ国の出身者で集まって、内々で相撲の伝統を傷つけかねないことを画策したり、上下関係にものを言わせて一方的に暴力をふるったりするのならば、そのような集まりはやめさせる必要があるということです。

日本の大相撲の世界に「モンゴル相撲協会」があるのはNGです。日本は狭いムラ社会のように言われますが、そうではありません。公共を広くとらえる意識が伝統としてあります。組織内組織、国家内国家のようなローカル組織を無差別に認めない文化があります。これは、不寛容なのではなく、全体を見すえてメンバーとして判断し行動する文化が継承されてきたからです。 白鵬という力士が、相撲協会内に「モンゴル人相撲協会」をつくろうとする行為は、日本の伝統からすれば言語道断です。彼が、もしそのような構想を実現したいと考えるのならば、さっさとモンゴルへ帰って、そこで日本の大相撲のアイデアをもとに、「モンゴル相撲協会」をつくればいいだけなのです。 そうでなく、日本で部屋をかまえたいのならば、日本人に帰化し、日本人として誇りをもって部屋を運営すればいいだけです。いつまでも外国人のまま日本のおいしいところだけを食いつくそうというような卑しい根性は唾棄すべきものです。そんな悪しき前例を認めれば、同じような卑しい根性のたかりが公然と増えていくでしょう。 相撲ファンはどんどん相撲から離れていくに違いありません。 

(4) 横綱審議委員会(横審)は自らの責任を

明確化し、国民が納得するような責任をとれ。


最後は、横審です。この組織は、かつて横綱の免状を出していた吉田司家がお家騒動で無能になったので、昭和後期に、いわば暫定的にできたような組織です。 いつまでも、日本国民は、横審に国民の民意が反映されていると思っているわけではない。今回の騒動に関していえば、横審も自分の責任を定義し、責任をとるべきでしょう。 なぜなら、「人格」をふくめて、横綱にふさわしいと横審は認定したわけでしょう? その横綱が凄惨な暴力をふるって引退したわけでしょう? ならば、人格はまともでない部分があり、横綱にふさわしくない点があった。それを認めた自分たちにはミスがあったと認めるべきなのです。 


ラベル:貴乃花 横審
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2017年10月28日

中国崩壊論から中国脅威論に「変わり身」する恐るべき人物


今回は、ちまたの言論人を批判しましょう。

評論家で、三橋貴明という名前で活動している人物です。ブログ主は、この人物の話に、3〜4年前くらいは「そうかな」と思える内容も幾つかあったのを覚えています。 しかし、最近の彼の言論の奇妙さにおどろいています。

三橋氏は、中国崩壊論を主張していました。


これを聴くとわかりますが、その内容は中国は実質的に経済崩壊するから、

「経済難民が日本に押し寄せてくる」 

と話をしていたのです。


ところが、、です。

最近、この人物は、急に中国脅威論をぶちあげてきました。 

では、どうなるのか?

最近は「日本は中国の属国になるしかない」

などと主張し出したのです。


どっちなんでしょうか?


以前は、日本で(経済の)低成長が続き、デフレが続けばという条件をつけていたようだが、もう、なりふりかまわず、これを主張している。

「2040年には、日本のGDPが中国のGDP

の10分の1になる。防衛費は20分の1になる」


というのが論拠になっている。

日本は、「中国の経済難民を受け入れなければならない」のか、「中国の属国になる」のか、どちらなのでしょうか?


大きな言論の矛盾が指摘できます。


そもそも、彼が以前主張していた通り、

中国経済が崩壊したら、中国の名目GDPが、

将来この通りになりえるわけがないですね。

というのも、 中国経済が崩壊するのならば、

チャイナの通貨が暴落して、GDPが日本の

10倍になるどころか、10分の1にすらなりえる

ということです。

直近でそのようになりうると主張していたも

同然です。 すると、中国経済崩壊の主張と、

「日本が中国の属国になるしかない」という

主張は矛盾していることが分かりますね。


ひたすら、中国共産党政府を賞賛しているのも矛盾している。

「こんだけ政府がまともだったらコケない」
「経済面から見れば立派」
「われわれは中国語を勉強した方がいい」
「ぜんぶ(日本の)財務省がわるい」
と断言している。お粗末きわまりない話ぶりだ。
極端すぎる。

中国は国際標準の統計もとれないどうしよう

もない国だという意見だった人物が、

いきなり感満載で、今度は、「政府がまとも」

「立派」と言う。そして、政府がまともな中国に

対して、政府がまともではない日本は、その

属国になるしかないと決めつける。

おそるべき変化でしょう。


なんでしょうか? この矛盾し切った言論人としての態度は。

彼には「そうである」という事実と、

「そうであるべき」という価値判断の

区別ができていない。

区別して伝えようという責任感すらない。

「このままでは中国の属国になる」というのは、事実ではない。上に示したように、彼が以前から主張していたように、中国経済崩壊すれば、成り立たなくなる立論だからです。ただ単に、彼一人が、「このままでは中国の属国確定だと認めるべきだ」と価値判断しているだけなのです。背言論人として誠実であろうとするのならば、「べき論」だということを、もっと聞く人にわかるように明確に伝えるべきでしょう。

言いたい放題言って、事実と価値判断の区別を、

すべて聞く人に丸投げする。

これが、無責任の極みなのです。

地上波の劣化したマスメディアと同じようなこと

をしているのです。

勝手に自分の価値判断を混入させて、事実であるかのように人に押し付け、自分の言いなりにしようとする。その劣悪さに気づく人々が増えてきてほしいものです。
ラベル:評論家 無責任
posted by 警鐘凡打 at 20:00| Comment(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

選挙後の議員と政党の「行為」を検証する必要性


「政党論」が必要だと書きました。これに関して、以前に説明したのをほぼ同じ内容ですが、

「選挙後」 の政党の行為=実施した事柄の検証の必要性を主張します。

以前は、「選挙後サイト」の立ち上げが必要だという主張を展開しました。この主張は変わりません。 個々の議員の人々が、個々別々に自分の主観で実績をアピールするのは、見飽きています、聞き飽きています。 どこに行きました。誰と会いました。何を挨拶しました。党内で何をしました、等々。それらは、議員としての公的な基本行為のレベルであり、選挙で「やります」 と主張した事柄とは違うでしょう? そんなミクロな実績を100積み上げても、1000積み上げても、別に何ともならないですよ。 そんなことは、一人の最低レベルの礼儀をわきまえた日本人ならば、誰でもあなたの代わりにつとめを果たすことができます。 その程度の仕事ならば、くじびきで議員を決めても、仕事は十分に果たされます。 そういう仕事で、「議員さん!」「先生!」とか呼ばれて、うれしそうに応じたとしても、あなたの高コストに見合った責務を果たしたとは言えないのです。

政治とは、「行為」なのです。


政治とは、議員であるという

「状態」ではないのです。


この点を、ぶれることのない定点として、断固として主張しましょう。 そして、

行為といっても、

「誰々と会いました」

「どこそこの学校で挨拶しました」

「党内で○△の委員をやっています」

「○△という肩書(役職)がつきました」

○△議員連の集まりに出ました」

等々ではないですよ。勘弁してください。

それらは、政治の行為の本質ではなく、

あくまでも、周縁なのです。


行為としての政治を検証するためには、

選挙時に本人が「やります」と主張した事柄の

進捗を厳密にトレース可能にする必要があります


「訴えて参ります」

「主張して参ります」
...

NGです。どこまでもNGです。

行為ではないですから。


口だけで言うなら、あなたでなく

ても余裕でできます。

ちゃんと、政治という行為を

具体的に示してください。


ひとりひとりの議員だけでなく、政党も同様です

政党も問われているのは、行為なのです。


各政党は、選挙前に有権者に示した

「やります」 という事柄をすべてプロセスに

分解して、達成率とともに示しましょう。

いつ、どこで切っても、どこまで進捗しているのか

が分かるように示しましょうよ。

その程度の最低レベルのことをしないから、

マニフェストではなく、「詐欺フェスト」だと

揶揄されるのですよ。


それを、「選挙後サイト」をつくって、すべて公開

してくださいよ。



さらに、達成率が十分でなければ、自発的に

算定して、政党交付金の一部を国民に返して

ください。

その程度のことは、国民にいわれなくても、本来、政党どうしで話し合って紳士協定として取り決めるべきなのです。
どの政党が音頭をとってもかまいません。

さっさとやってください。
posted by 警鐘凡打 at 00:40| Comment(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

おそらく、平成最後の衆議院議員選挙(平成29年)を終えての感想


天皇陛下の譲位が、平成31年3月末となることが法制化されるようです。この法制化の是非はともかく、このタイムスケジュールに沿って見れば、おそらく、それまでに衆議院選挙は無いでしょう。

とすると、ほぼ、

今回の平成29年(2017年)の衆議院選挙が、

平成最後の衆議院議員選挙となることは確実です


その結果も判明しました。今のタイミングで、警鐘凡打ことブログ主が考えたことをつらつらと述べたいと思います。



一つめ、政党の動きのひどさです。政党のひどさが

投票率を下げていると確信します。


好き勝手な、政党のぶっこわし、政党の捏造をするなよ! 
好き勝手なぶっこわしや捏造を、政治活動の自由だの、結社の自由だのと勘違いするなよ!
自分たちで勝手に恣意的な政党のぶっこわし、捏造をやっているのに、だまされる国民が悪いとか主張するなよ!

何度も重ねて、こう主張したいと思います。

どこまでも国民=有権者不在で平然とひらきなおる。選挙をクリアすれば、すべてが許されると信じ切っている傲慢さ、劣悪さ。それが、厚化粧の緑のタヌキをはじめとする政党のぶっこわし屋、政党の捏造屋たちの本性です。 

これは、希望の党の人々だけではありません。立憲民主などという有象無象も全く同様です。「立憲」を永遠にするわけがない人々です、後生大事に憲法九条を守り、軟弱なテロリストである自分たちが暴力で革命を起こす可能性を先送りすることで安楽な夢を見ることのできる人々です。こんな最低モラルの人々が、日本の未来を50年、100年見据えることは不可能でしょう。 自分だけ、できるだけ多くの回数当選すればよい、後のことはどうでもいい。そういう人々が、立憲民主の有象無象です。共産党のひどさも指摘すべきでしょう。 

共産党の選挙カーは、日本の周辺にある幾つかの国のリアルな軍国主義を黙殺していました。北朝鮮のICBMが本州のはるか上空を横切っているのに、いつまでも、「森友学園、家計学園疑惑を許すな!」 です。そんなみすぼらしいていたらくで議席を守れるわけもなく、惨敗でしたが。

自民党も、批判をまぬかれるわけではありません。

自民党という党が、日本国民の生命と財産を守るだけでなく、日本の伝党を守るために真摯な努力をつづけてこなかったことは、明らかです。昭和30年代から、自主憲法制定といい続けているくせに、60年以上さぼりつづけている。冷戦終結後25年にもなるが、まださぼりつづけている。 

野党の時、あれだけ多くの下野した議員がいたにもかかわらず、自分たちの政党の過去の総括や反省のレポートを1つも出しませんでした。戦後もっとも長い時間与党にあった人々ですから、しっかりと過去の自分たちの政治を振り返れば、未来を見据えた重要なドキュメントになったはずですが、彼らには、それができないのです。そういうアイディアがあったとすら聞きませんでした。つまり、自民党の多くの議員は、読み、考え、構想し、議論し、書くという行為ができないのです。論文やレポートを書くことができないのです。議論めいた、お気楽な「おはなし会」を多数こなしているだけなのです。行き当たりばったりなのです。自民党の人々も、その日暮らしの人がほとんどだということです。

日本の伝統を守るために、何が必要なのか? ゲゼルシャフト(近代社会、商業社会、カネで動く社会の層)のレベルの政策に限定することなく、ゲマインシャフト(地域、家族、お金に還元されない価値の層)としての日本の維持のために何が必要なのか? という知を追求しない、研究しない、ただ放置し続ける。無くなったら無くなったで仕方ないじゃないかという無関心を決め込む。 自分の利害関心にかかわることだけ、メモに書いて官僚に調べさせる。 自分ではレポートも論文も全然書けない。 「総務会」というブラックボックスで満場一致で決定しているだけなのに、「日本型民主主義」という笑止千万な主義だと言い張り、胸を張る。 地方の伝統や慣習を深く知る努力をさぼり、地方には土建工業とカネを落とせばよいと信じ込む。その斡旋屋・利権屋になって、よいことをしたと満足する。そういう人々が寄り集まった自民党という政党は、18歳の有権者から、さまざまな世代の有権者にとって、興味を引く組織ではない。 ただ、景気が少し良くなったように見えるし、町の人の声が明るくなったように聞こえるから投票しようか... 程度の動機しか与えないのです。 政治への無関心を増大させている人々です。

二つめ、マスメディアの報道のひどさです。 

日本のマスメディアほど、特定政党に肩入れする

メディアはありません。そして、その政党の議席が

伸びたり、その政党が政権をとったりすると、自分

たちの功績だと信じ込む、愚昧をきわめた、

おめでたいメディア(人)は世界に類がない。 


政治家はこれを指摘しづらいでしょうから、ここで指摘しましょう。 そもそも、日本のマスメディアの多くの人々においては、自分たちが何をすべきかというミッションが脳内から完全に欠落しているのです。 左翼政党の議席を伸ばすことがミッションであるかのように、アホ同然の勘違いをする。今回もそうです。 立憲民主などという価値のない用済みの反社会的な人々の寄せ集めを強力に支援していたようです。多くの視聴者、読者が気づいていたでしょう。朝日新聞、毎日新聞、それらの系統のメディアにその特徴があらわれていました。 AI(電子頭脳)で、取り扱い方法、取扱時間を分析させれば、すぐに目に見える指標として現れるでしょう。 

マスメディアの人々の多くは、自分たちの仕事が保守権力とみなされている権力を手段を選ばずに批判中傷することだと信じ込む。 世間の人々にそういう役割を求められていると信じ込む。 いわゆる左翼とか、隠れ左翼(リベラルを自称することが多い)の人々が、さも世間の人々の支持をうけているかのように報道する。 「政権を倒せ!」と連呼し、恫喝する変な人々をやたらクローズアップする。そのくせ、政権を倒した後どうするかを、国民とともに考え構想するということを一切しない、できない。

日本の周辺にある幾つかの国のリアルな

軍国主義を黙殺する。北朝鮮のICBMが本州

のはるか上空を横切っているのに、いつまでも、

森友学園だ加計学園だと騒ぎ続ける。

特に朝日新聞のひどさは、多言を要さないでしょう。


と、二つでいっぱいいっぱいになりましたが、この辺でやめておきます。

とにかく、日本の「政党」がレベル低すぎます。 そして、日本のマスメディアが、最低最悪すぎます。 このふた言につきます。じゃあ、どうするのか。それは、機会を改めて少しずつ説明するでしょう。
posted by 警鐘凡打 at 18:00| Comment(0) | かたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする